5.暴走する二人
外に逃げ出した野上は、夜の神界を当てもなく彷徨っていた。神界は彼の想像していたのとはまったく違っていて、まるで日本の昭和レトロの世界に迷い込んだかのようだった。ドラえ〇んとか〇び太が住んでそうな町並み。ただ、町を歩く者達は絶対に人間じゃない容貌をしているものが多数だったから、ここが人間の町ではないのは明らかだった。
やがて、歩き疲れた彼は、ジャイ〇ンがリサイタルでも開きそうな空き地を見つけると、転がっている土管の上に腰を下ろした。
一体、どうすれば良いのだろう?
途方に暮れる。
戻るしかない気がするが、戻ったらあの異常な女どもの餌食になるのは分かり切っていた。なにか、なにか対策を見つけなければ。
ただいくら考えても何も思い付かなかった。やがていつの間にか辺りは白み始め、空の色は赤黒くなり始めた。朝焼けだ。
どうしよう? 明るくなったら、人間である自分はきっと目立つ。そうなったら、神か悪魔かに何をされるか分かったものじゃない。
そう彼が不安に駆られて顔を俯かせていると、不意に「野上さん」と声をかけられた。顔を上げる。すると、なんとそこにいたのは女魔王、イーデ・ハムラだった。「イーデさん!」と野上。
「ごめんなさい。私が欲望を抑えきれなかったばっかりに、あの人たちを焚きつけてしまったみたいで……」
彼女は潤んだ瞳で本当に申し訳なさそうに彼を見つつそう謝って来た。心から反省をしているように思える。
「いえ、大丈夫です」
そのしおらしい態度に彼は軽く感動を覚える。“やはり彼女は真っ当な優しい女性だ”と、そう思う。さっきはちょっと…… というか、物凄く変だったけれど。
兎にも角にも、これで彼は自分は助かると思っていた。彼女の力であの恐ろしい女達を説得するなり、日本に送り返してくれるなりしてくれるものだとばかり思っていたのだ。
――が、次に彼女はこんな事を言うのだった。
「お願いします! 手を貸してください。私の力だけじゃ、あの人達を抑えきれなくて……」
「へ?」と彼は思う。
「あの…… どうしたんですか?」
するとイーデは、心底困ったといった表情を浮かべながら、「実はあれからあの人達、更に暴走してしまいまして……」と何があったのかを語り始めたのだった……
アネーラは野上が戻って来るのに備えて縄を用意していた。もちろん、彼を見つけ次第ふんじばるためのものだ。ところが、それを見ながら矢吹が呟くように言うのだった。
「ふーん…… なんかちょっとつまらないわね」
「“つまらない”って何がよ?」とアネーラ。顎に手をやりつつ矢吹は返した。
「果たして、奴単体で〇子姉さんが満足するかしら」
それを聞いて、キュピーンとアネーラの瞳が光る。矢吹が何が言いたいのかを瞬時に察したらしい。
「なるほど。それは確かに正鵠を射た見解ね」
うん、と矢吹。
「〇子姉さんに満足していただくには」
アネーラはにやりと笑う。
「奴に適当な“つがい”を当てがう必要がある」
それから二人はアネーラのパソコンを同時に見やった。
「あのパソコンで検索して、いい感じのウーパールーパーを召喚するってできる?」と矢吹が尋ねる。「もちろんよ」と元気よくアネーラは答えた。そんな二人の様子にイーデは顔が青ざめさせた。
「あのー…… 二人とも、私ならもう満足しているからこれ以上は……」
なんとか彼女は二人を説得しようと試みたのだが無駄だと直ぐに悟った。振り返ったアネーラの目が異様に血走っていたのだ。過度に興奮している。アネーラは彼女の両肩をガシッと掴みつつ言う。
「いい? イーデ。事は既にあなた個人の問題を遥かに超えてしまっているのよ? 今更、あなたの満足がどーのとか、こーのとか、一切関係ないわ。正直、どうでもいいの」
そのアネーラの主張に、彼女は益々顔を青くした。
矢吹が二人のやり取りを無視して言う。
「さあ! アネーラ! とにかく、ネットを検索して良さげなウーパールーパーを見繕いましょう!」
目が活き活きとしている。なぜ、こいつはこーいう時だけは活力があるのか。
「オッケー」と言って、アネーラは小躍りするようにそこに向かうとパソコンの電源を入れた。“ひょっとしたら、とんでもない事になるんじゃないかしら?”とイーデは思う。が、危機感を覚えても、彼女は二人をアワアワといった様子でただ眺める事しかできなかった。
「やっぱり言葉は通じなきゃだから、取り敢えず、日本ねー」
アネーラがパソコンを操作すると、東京近郊のどこかの街がパソコン画面に映った。歩くくらいのスピードで画面は進む。やがて、良い男を見つけたのか、矢吹が「止まって」と言う。画面の向こうでは褐色の肌の健康そうな男がジョギングをしていた。
「あのスポーツマンタイプが良くない? ああいうのに肉体的に責められて、ヒーヒー言うのが野上には似合っていると思うのよね」
しかし、アネーラは首を横に振る。
「それも良いけど、インテリタイプの言葉責めの方が面白そうだわ」
別方向に画面を向けた。そこにはカフェテラスでコーヒーか何かを嗜む眼鏡をかけた30代くらいの男性が映っている。知的な印象だ。
「あら、意見が割れたわね」と矢吹。鋭い視線でアネーラを睨む。「ええ、あなたとは趣味が合うかと思っていたのに残念だわ」とアネーラ。彼女も鋭い視線で矢吹を睨み返した。火花を散らす効果音でも響いていそうな感じ。バチバチ、と。
“どーでもいいけど、二人とも、彼が責められる立場ってのは揺るぎないのね”などとそんな光景を見ながらイーデは心の中でツッコミを入れた。
しばらく二人は睨み合っていたが、不意に矢吹が口を開いた。
「提案があるんだけど?」
「あら? 何かしら?」
「どーせなら、二人とも呼んじゃうってのはどう?」
それを聞くなり、アネーラの瞳がまたキュピーンと光った。そして、グッドサインを出しつつ「名案だわ!」と答える。異様に上機嫌な様子で続ける。
「考えてみれば、〇子姉さんがたった一組のペアだけで満足するはずがなかったのよ。もちろん、性的な意味で!」
それからアネーラはパソコン画面から離れ、魔法陣のような図形の前に移動した。両手を振り上げる。
「んじゃ、ま、さっさと呼ぶわよ~」
そう彼女が叫ぶなり魔法陣が輝き始める。するとそこに二人の男の光のシルエットが浮かび上がった。矢吹が縄を手に持ちピンッと張る。いつでも捕らえるぞ、という準備だ。そして光が消えると先ほどの男二人がそこには現れれていた。辺りを「なんだ、ここは?」といった様子で見渡している。夢でも見ていると思っているようだ。
「ようこそ、ウーパールーパー達!」
と、戸惑っている男達に向かってアネーラが言う。
“は?”と、男達は頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。いきなり強制的に召喚された上にウーパールーパー呼ばわりされたら、何がなんだか分からなくて当たり前。
「あなた達をここに招いたのはわたし。女神よ! あなた達は重大な使命を背負っているの!」
それを聞くと「なんだここは?」とインテリ風の男が言った。スポーツマンタイプが「元の場所に帰してくれ。俺はジョギングをしていたんだ」と続ける。
二人とも明らかに怒っている。これも当たり前。そんな二人の様子を敏感に察したのかアネーラが言った。
「大人しくしてくれそうにないわね。矢吹!」
それを受けて矢吹は「オッケー」と返す。縄を引っ張ってパンッという音を響かせると、低い体勢の独特のダッシュでスポーツマンタイプに迫っていった。
「なんだ? やるのか?」
“女子高生になんぞ負けない”といった態度でスポーツマンタイプは身構える。がしかし、そこでアネーラが「身体強化魔法! みなぎれ! スピードとパワー!」と大声を上げたのだった。その瞬間、矢吹は急加速する。その急激な変化についていけなかったのか、いや、或いは変化がなくても同じだったかもしれないが、スポーツマンタイプは矢吹の接近をあっさりと許してしまっていた。矢吹は縄を彼の足にかけると、すくい上げるような動作で転倒させ、一瞬のうちに捕縛してしまう。
続いて、彼女はインテリ風を見やると口の端を上げてにやりと笑う。「ヒッ!」と彼は軽く悲鳴を上げた。逃げようとしたが無駄だった。「大人しくせんかーい!」と言う矢吹の叫び声と伴に簡単に彼も縛られてしまう。
「どう? わたしの身体強化魔法は?」
得意げにアネーラが言う。
世界トップクラスで無駄なRPG風魔法の使い方である。
「お前ら何なんだ? 解放しろ~」とスポーツマンタイプが言うと、「こんな事をやってただで済むと思うな。拉致監禁は重大な犯罪だぞ?」とインテリ風が続ける。
「うるさいわね~」とそれにアネーラ。面倒くさそう。それから「物置に仕舞っておきましょう」と虚空にドアを出現させて二人を放り込んでしまう。
「あら、便利ね」と矢吹。それを見て思い付いたのか更に続けた。
「ね、どうせなら、ウーパールーパーをもっと捕まえておかない? 〇子姉さんにも、その方がご満足いただけると思うわ」
「ふーん。良い案ね」とアネーラは言う。
「あのー…… 二人とも?」と、恐る恐るといった様子でイーデは彼女らを止めようとしたが、興奮状態にあるのか一切二人の耳にその言葉は入っていないようだった。
それからアネーラと矢吹の二人は、弾け飛ぶような勢いでパソコンのキーを押した。画面に映っている道行く男達を物色し始める。
「この男が良いんじゃない?」
「こっちのも有りね」
「あっちのも面白そう!」
ファッションモデル風、ジャニーズっぽいキュート系、筋肉質なマッチョ、明らかに変な奴、ヤンキー系…… ほぼ、ノリと勢いだけで彼女達は男を選んでいった。そして、それらターゲットにした男達を次々と呼び出しては縄でふんじばっていったのだった。
「アワワワ……」と、その光景にイーデは狼狽える。
そして、
“……これは、もう、私の手には負えないわ。助けが必要よ!”
と、野上を頼る事に決めたのだった。




