良い映画の出逢い方
出逢いとは、必然と偶然を如何に愛するかである。
けれども、記憶の端に整理したはずの衝動を、赴きのままに放るのは容易ではない。
テレビや広告、口コミで気になるも、時間と金の余裕は中々生まれない。
いざ映画館に行こうと息巻くも、今日は雨が降っているから〜なんて言い訳を始める始末なのだ。
しかし足枷を振り払い、やや短い冒険を乗り越えられればこっちのもんである。
あの正統派エロスな暗さと既に鼻腔を占拠するポップコーンの薫りは、“テンプレート”だが唯一の異空間を演じる。
幾度も繰り返す、フレーバーは塩かキャラメルかの八百長クイズ。私の場合は結局塩に行き着き、ドリンクと合わせて届いてしまった4桁にまた浅く驚く。チケットに差し迫る金額に不思議と存在感を覚えないのは、小指を交えたフィルムに五感一脳を囚われているからだろう。それはまるで、週末の初デートまでの1週間が只の7日間になるのと同じであり、憂鬱な時間を夢現で乗り越える事が出来る。
紳士淑女の諸君であれば、そっぽを向いてスマートフォンをいじるのがどれだけマナー違反か分かるだろう。
開場したらすぐに入るのが私の流儀だ。購入した席に向け、確実に歩み始める。
各シアターまでの道のりは厳かな黒絨毯で飾られている。
この単性で端正な空間では、壁の繁雑な色のポスターが本当に良く映えるのだ。私の体よりも大きいポスターには、老若男女の演者やキャラクターが、顔を歪めたり、横にシワを沢山作ったり、目を大きく広げたりしている。
人間に生まれ落ちた私達はそれを、「苦しそう」「嬉しそう」「驚いている」と読み取るのだ。キャッチコピー、色使い、他の人物の表情と立ち位置、タイトル。一瞬で視界に入る情報の数々から、この作品の大まかな概要を掴む。
恋愛、ホラー、アクション、サスペンス、コメディ
誰に教わるでもないのに、私たちは理解出来る。
だが、1回立ち止まって考えてほしい。何故、そう判断出来たんだ?
もしかすると
おぞましい怪物が出るけれど、終始笑えるかもしれない
美男美女の振り振られたが、泣くほど怖いかもしれない
オマケで世紀の名推理がチラつくだけの、恋愛映画かもしれない
私たちはこんなワガママな変換を経ることなく、ポスターの後ろでほくそ笑む人間の思惑にまんまと引っかかる。
しかし、どんなに魅力的な餌があろうと、それを咥える技量を持ち合わせていなければ、釣られる事すらないのだ。
釣果はどのくらいになるか
君次第である。
宣伝とは、目の前にいない人間に対し、如何にして2時間弱の魅力が伝わる1枚にするか、1分にするか、1行にするかである。
ならば必然にして、会議は難航を極めるだろう。
笑みを浮かべるデザイナー
ため息をつくプロデューサー
しかめっ面のスポンサー
赤い顔の原作者
熟睡に入る監督
我関せずの広告代理店職員
期限と機嫌に振り回されたデータは、形をもって世に産み落とされる。葛藤と英断のその1球はいつしか膨らみと鋭利な角をもってして、私にブチ当たった。
重く深く誠実に受け取った私は、チケットを頼りに最後列へと緩い階段を踏み込む。心なしか皆に見られている気がする。偉そうにドカッと座った椅子は、狼狽えることなく私を迎え入れる。後は、いずれ訪れるフィルムの回転を待つだけだ。何にも邪魔されないこの空間に浸りつくし、バターみたいに溶けた憂鬱をコーラで「ごくり」と攫い流す。
荒野に生きる獅子の如く
輝きを渇する瞳はオアシスを求め、穴を開けんとスクリーンを凝視する。
目に見える見えないは関係なく
普段穢いものばかりを視界に入れる私たちの眼は、恋でもしているかの様に光の跡をうっとり追い続ける。
全てがメインディッシュのコース料理みたいな一時はいつの間にか終わり、天井に並んだ点灯で無理矢理に目を慣らす。
強い蹴伸びで起きた体を、人間らしくまた動かし始めた。
「この満腹感はポップコーンのせいではない」
夢から醒めるまではそう信じたい
蝉に慣れたある夏の日。
不自然にも涼しい研究室には、キーボードの音が鳴る。
途切れた緊張感の末に、1人が語り出す。
「あの監督の映画は何が伝えたいんか分からん」
呼応するようにもう1人が答える。
「脳止で見て面白い映画作れよな」
某天才アニメ映画監督の悪口で満たされていく部屋は、酷く居心地が悪い。矛先が誰に関わらず、こういった会話は気分が落ち込む。
パソコンを陰に頭を抱える私を置き去りにして、品位のない雑音は少しずつ加速する。
“人に正しく物事を伝えるのは難しい”
“人から正しく物事を受け取るのは難しい”
20年も生きれば鈍感な私でもいい加減分かる。
悲しいかな、彼らは身につけた知性を悪口へと昇華してしまう。
彼らが言わんとする事は理解出来る。
AはAだと。
1+1は2だと。
卵は卵、鶏は鶏だと。
脳と心と体に優しい甘味で己を満たしたいのだろう。
だが、
奥ゆかしさのない箱には何も入らない
影のないデッサンは狂気を帯びる
建前の使えない存在は忌み嫌われる
当たり前なのに、人は皆、見ないフリをするのだ。
分かっていても、他人に簡単に同調して自分を殺すのだ。
Aがaでもいいじゃないか!
1+1が100でもいいじゃないか!
卵でも鶏でもいいじゃないか!
原料を出し切ったパレットで、白いキャンバスに何を描くかは自分次第である。
それが「文化」である。
それが私の愛する「映画」である。
気がつくと悪口大会は3人になっていた。
生憎だが、猿の相手を請負うほど私は愚かではない。
「文化」の端でペンを持つ身として、最大限の軽蔑を捧げよう。
汗を垂らしながら振り回す雑音に、イヤホンでそっと蓋をした。
いかがでしたでしょうか
貴方にとっての「良い映画」って何でしょうか。
何をもってして「良い映画」になるのでしょうか。
「良い映画」に出逢うために、貴方は何が出来るでしょうか。
ぜひ、じっくり考えてみてはどうでしょう。
同名のInstagramアカウントより、解説予定です。