序章 何かが足りなかった
言えなかった
私はもう何時間も受話器の前に立っていた
少し時間がたち、私は椅子に深く腰掛け天井を眺める
何が足りなかったんだろうか
私は思案した
今までやれる事はやり尽くそうとした
ただやはり
経験が足りないのだろう
こんな体でなければ外に出れただろうに、もっと一緒に居れただろうに
ただこんな残念な体ともそろそろお別れ
直前になって名残惜しくなるがこれも定め
来世は健康な体であるように、そんな祈りをして薬を飲み目を閉じた
伝えたかった
「あ…………てる」
と
そして部屋には振り子の音だけがこだましていた
僅か20にしてまた1人この世を去っていった
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「起きてくだされ少年!」
そんなしわがれた声が俺を眠りから引きずり出す
静かだったはずの空間が一気に騒がしくなる
足音、風が耳を切る音、揺れ、乱れる呼吸
目を開けるとそこは薄暗い空間で俺はお爺さんに背負われていた
「目覚めましたか少年、戦闘中に突然気絶されたので心配しましたぞ、ただ少年を担いでは何も出来ませぬ、我の腰にある弓にて後ろをどうにかして下さりませぬか」
「後ろって何が...っ!」
後ろのそれを見た途端に虫唾が走る
それの肌は緑に塗られ、鼻と耳は長く垂れ下がり、僅かに空いた口と目は三日月の様に曲がりそこから聞こえる奇妙な笑い声
それよりも、まるで10年以上掃除していない公衆便所の様な汚臭が全ての感覚を鈍らせてくる
何なんだあれ?ひと、人なのか?
「早く弓を持って射ってくだされ」
「そ、そんなこと言われても、弓なんて使ったことないんだが」
「なにをご冗談を今はそんな時では御座いませぬぞ」
そんな会話をしていると、何かが腕をかすり、前の方でカンッと金属質な音がした
腕からは血が出ていた
刃物?投げたのか?殺す気?
突然の展開に脳が痛みを理解する暇がない
とにかくこのままでは死んでしまう
すぐにお爺さんの腰から弓を取り矢を持つ
弓の使い方を知らない俺は神頼みで矢を放つ
神頼みが通じたのだろうか矢は綺麗な軌道をえがき、蛮族の頭を貫く
蛮族から吹き出る血を目にして吐き気を催したがそんな事を気にしている暇もなく二人目が足に掴みかかろうとして来ていた
「爺さん早く走ってくれ手が手がきてる」
「がってん」
爺さんが速度を上げることによって掴まれることを回避したが
俺の足を長い爪が深い傷をつけていった
痛がる余裕もなく、また弓を構え矢を放つ
これもまた、2人、3人と貫いていた
まるで授業中にペン回しを行うがごとく、弓を使っていた
「出口が見えてきましたぞ、飛ばしますのでつかっまて下され」
お爺さんはそう言うと出口に向かって一直線あっという間に出口までの距離が縮まり森へ出た
出てきた洞穴からだいぶ離れた場所でお爺さんは俺を下した
「どうしてしまったのですか少年、戦闘中に気絶したり、弓が使えぬといってみたり」
俺はその質問に答えることはできなかった、いや聞いていなかった
頭がいっぱいだった
俺は人を殺してしまったのだから
恐怖していた
それなのに
この状況を楽しんでいた
さっきまでのスリルそれに妄想では到底得ることのない経験 臨場感、それらに...
興奮していた
そんな自分に恐怖したのかもしれない
「大丈夫ですか少年」
やっとお爺さんの声が聞こえ我に返りお爺さんの方に振り変える
そこにいたのは
端的に言うと、長いひげを三つ編みにした侍
そのお爺さんは驚いた顔をして慌てて近寄ってくる
「血が出てるではないですかそれに頭も熱い、これで冷やしてくだされ」
何処から出てきたのか分からない氷を額につけ、冷静に物事を考えようとした
ここは何処だ?こいつは誰だ?私に何が起きた?
だか考えれば考えるほどあつくなってくる
そもそも何故、俺が弓の正しい構え方を知っているのか
そして何故、あの弓の構え方が正しいと思うのか
そう、まるで知っていたかのような
書きたい
さっきまでの経験を弓を射る感覚を臨場感をこの冷めぬ興奮を
そして
この謎と好奇心と恐怖を
何かにおさめたい、これを忘れぬ前に
ただ、この興奮もさなか目の前は虚ろい視界は闇に......
意識と感覚だけが残る中で
記憶が、謎が、氷が
少しずつ、かいとうし始め
全てがとけた