ウチの嫁のパート先は異世界らしい
召し上がれ
「私、明日からパート行くから。異世界に」
なんでもない、夕食の時間。妻が唐突に発した言葉である。
「…は?」
思わずそう呟いてしまうのも無理はないだろう。
パートに行くのは分かる。
でも異世界ってなんだ?
突拍子もなさ過ぎて言葉を失う。
落ち着け、落ち着くんだ俺。クールだ、クールに行くんだ!
「ど、どどどいうこと?」
…めっちゃ動揺したまま喋ってしまった。
『え?なにそれ?めっちゃキモいんですけどw』だって、いやそうなるに決まってんじゃん!ふざけてんのか!あんまナメてっとキレ……あ、ごめんなさい、謝るからそんな目で見ないで。
「えっと、なんでまた?」
やっと冷静になれた俺はごく当然の質問をした。
「ん〜…面接っていうの?なんかオオサマっぽい人から是非って言われたんだよね〜」
すごい軽い感じだな、おい。なんか疑えよ、いろいろと。はぁ…とりあえず……
「今日の救急病院はどこだったか……ぶふっ!?」
強烈な右フックが俺の体に炸裂した。
「あのね?救急車っていうのはホントに困ってる人が使うものなんだよ?私みたいな健康な人が使っちゃいけないの」
…ずいぶんまともな事言うじゃないか。でも心配するな。体は健康だろうが頭がとびきり重しょ……がはっ!?
今度は右アッパーが俺の顎を貫いた。
いや、言ってないよね?俺今度は何も言ってないよね!?
……え?『顔が全て物語ってた』だって?せめて確認して、理不尽過ぎる。
「とりま、明後日から出勤するからそのつもりで」
そう言って妻は話を切り上げた。
…せめて俺の返事を聞いて。ん?『どうせ決定事項だから必要ない』?
もっと俺の立場を上げてくれ!
♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢
それは休日の昼過ぎのこと、俺がテレビのチャンネルを高速で変えて回るという華麗な技を披露していた時のことだ。
妻が突然立ち上がると
「私パート行ってくるね」
と、宣ってきた。
…パート?……あー!あれね!あの異世界で働きます遊び、まだ続いてたんだ。
「…いってらっしゃい」
しかし俺は内心そんな事を思っても決して言わない。一度言ってしまえば俺の腹に強烈な右ストレートを迎える事になってしまう。……だから決して言わないのである。俺は学習出来る良い子なのだ。
その答えを聞いて頷いた後、妻は『それじゃ』と言ってリビングから出て行った。
しばらくはガタガタと音がしていたが、扉が閉まる音を最後に何も聞こえなくなった。
「……?」
それを不思議に思ったが、どうせ隠れたんだろうと思いまた高速チャンネル回しに戻ったのだった。
あの飽き性な妻のことだ。隠れんぼなどやめてすぐに飽きて出てくるだろう。なんで探さなかったの、と言われるだろうから、ご機嫌取りの方法でも考えておくか。
…それから二時間、妻が帰ってこない。
流石にこれはおかしいと思った俺は妻の捜索に向かった。
…
……
………
…………
三十分の捜索の結果、妻は見つからなかった。
外に出かけたんだろうかと思いながらテレビに目をやると、今現在映っている情報番組が今日の特集!
と題したコーナーをやり始めたところだった。
「今日の特集はこれ!〈旦那は甘く見ている!?妻の日頃のストレス!仕事から帰ってくると出迎えてくれるのは離婚届だった!〉です」
「……」
俺は弾かれたように動き出した。
次の捜索は妻じゃない。そう、次のターゲットは……離婚届だ!
…
……
………
…………
……………
………………
二時間の捜索後。俺は安堵のため息を吐いた。
そう!離婚届はどこにもなかったのである!神は俺を見捨てなかった。
なら妻はどこにいったのだろう?そう疑問に思っていると、奥の部屋から
「ただいま〜」
妻の声が聞こえてきた。
……俺は走る。愛しい妻を抱きしめるために!
「おかえ………がはっ!?」
「キモいんですけど!なんで抱き着こうとするの!?
すごくキモいんですけど!!」
そう言いながら妻は俺の腹に最高の右ストレートを打ち込むのだった。
♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎
今日は仕事が早く終わり、いつもより早く家についた。玄関のドアを開けると、キッチンから人の気配がする。
ここは愛しい旦那が帰ってきた事を、本当はお出迎えしたい(なお暇な時でも迎えられた事はない)可愛い妻に逢いに行こうではないか。
ガチャ
「ただい……」
バタンっ!!
そう思いキッチンへ通じるドアを開いたんだけど、秒で締めてしまった。
いや、だってよ?普通料理風景ってさ、エプロン付けた可愛い奥さんが手際よく(不器用そうでも可愛いのでそれはそれで可。)アットホームな感じだしながら作ってるもんじゃね?
間違っても通常の倍はある鹿を特注サイズのまな板に乗せてデカイエモノ携えてその周辺を血の海に沈めてなんかないだろ。
しかもなんだよあれ。鹿の顔二つあったぞ。
しかも一匹、この世に絶望したような顔してたんですけど。
え?どういう感じで狩られたの??
気になる…すごい気になるけど、知ってしまったらダメだと本能が訴えかけてくる。
……ていうか今晩あの得体の知れない鹿食べなきゃダメなの?そもそもあいつって食用なの??
それから妻はごく自然にテーブルの上に料理を並べていく。
……俺の目の前に何かの肉のステーキが置かれた。そう何かなのだ。俺は知らない。こいつの正体が二つ顔がある未知の鹿なんてこと、俺は知らない。
しかし出されたモノは食べなくてはならない。しかし感情がそこに追いつかない。妻は会心の出来なのかニコニコしている。
これぞまさに前門の虎、後門の狼。
覚悟を持ってそのステーキを口にした。
…………美味だった。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢
夕食後、二人でのんびりしている時、妻が家計簿を付けながら話しかけてきた。
「明日、パートの終わりにアップルさんとご飯食べて帰ってくるからそっちもご飯食べてきてね」
「あ、うん」
え?なに?その赤くて美味しそう方の名前?くだも…外国人の人に知り合いなんていたの??
曰く、『仕事でパーティー組んでる人』だそうだ。
……詳しく聞く事はもうやめた。
それに了承する旨を伝えて久しぶりの外食は何にするか考えだす。
「そういえばさ、最近よく携帯持ってるよね?ゲームする訳でもなく連絡したりするわけでもないのに何で??」
そう言う妻に対して、俺はドヤ顔で言う。
「それはないつでも救急車を呼べるようにするためだ。お前が手遅れにならないよう迅速に……ガバべバッ!?」
ちょっ…流石に顔面ハイキックはまずいって。
数刻後、何とか立ち上がり謝罪を述べる俺。
こんな感じが最近では当たり前になっている。
いろいろな事があるが、俺は妻を愛しているし、妻も俺を愛してくれている……え?愛してくれてるよね?ちょ…目をそらさないで!俺はここですよ〜。
ま、まあそんな訳でこれからもこんな日常が続いていくだろう。
でも皆さんに披露出来る話は一旦ここまで。
お別れの挨拶は妻風(厨二病的)なものでしめようか。
「俺達の冒険はまだまだこれからだ!!」
……とね。
「え?突然どうしたの??キモいんですけど」
「ひどくない!?」
お粗末さまでした。