嫉妬
「平和だなあ」
「そうだねえ。でも、いきなりどうしたの?」
俺がしみじみと言うと、真未が同意した。さらに、俺の意図を尋ねてきた。
「いや、別に何も。なんとなく平和だと思っただけだ」
「なにそれ」
真未がくすくすとおかしそうに笑う。可愛いなあ。俺の彼女は可愛いなあ。
そう、真未は俺の恋人である。顔も良いし、性格も良い。ただ、欠点もある。
俺達は遊園地でデートをしている。アトラクションに待ち時間があるので、最後尾で待っている。とは言っても、そんなに人がいるわけでもないから、真未と喋っていたら、すぐだと思う。
「つーわけで」
「あら、井上君じゃない」
俺が嬉々として話していると、聞き覚えのある声で俺の名字を呼ぶ人間がいた。振り向く。
「洗井じゃん。こんなとこで何してんだ?」
「ここでやることなんて決まってるでしょ」
洗井が呆れたように言う。なるほど、ここは遊園地だったな。
洗井は俺と同じ学校の人間である。美人だが、若干性格がきついのが玉に傷といったところか。
「他に誰かと来たのか?」
「ええ、女友達と二人で来たのよ」
「なるほど」
俺と洗井は笑いあった。
「ところで、そちらは?」
洗井が真未に視線を向ける。
「ああ、俺の彼女の真未だ」
「あら、そう。真未さん、私は洗井って言うの。よろしくね」
洗井はにこやかに自己紹介を始める。しかし、真未は黙ったままだった。
「えっと」
洗井が困惑した顔を俺に向けてくる。
「こいつは人見知りなんだよ」
俺は嘘のフォローをした。真未は人見知りではないけれども、洗井に説明しない方が良い。
洗井は得心がいった表情をした。
「洗井ちゃん」
見知らぬ女が洗井を呼ぶ。件の女友達か。
「今行くわ」
洗井が大声で女友達にそう言うと、俺達に顔を向ける。
「じゃあね」
「ああ、またな」
そして、洗井は女友達の名前を呼びながら去っていった。いや、女友達の名前を俺は知らないが、人名っぽかったので、女友達の名前で合っていると思う。
俺は真未に視線を向ける。あからさまに不機嫌な顔をしている。嫉妬だろうな。
「あの女の人と楽しそうにおしゃべりしていたね、まさる君」
やっぱりか。これが真未の欠点なんだよな。嫉妬深いんだ。いや、標準的な嫉妬の濃淡を俺は知らないから、俺が気にすぎなだけかもしれないが。
「いや、これは普通だろ?」
「普通かどうかなんて関係ない。私にとってこれは非常識すぎる所業だよ」
矛盾してないか? いや、言いたいことは分かるけれども。
「分かったよ。気をつける」
「本当?」
「ああ」
真未の嫉妬深さは正直疲れる。まあ、この程度の欠点は彼女の魅力で帳消しにできるから、全然問題ないが。
俺達はその日のデートを楽しんだ。
大学の講義前に俺と真未が話していると、友人の良男が声をかけてきた。
「おう、久しぶりだな、まさる」
「良男か。そうだな。つか、お前この講義とってたか?」
「いや、俺はこのコマは何もねえぞ」
そうだよな。良男と一緒に講義を受けたことないしな。
「じゃあ、この教室になんの用だ?」
「教室に用はないぞ。お前を見かけたから、久しぶりに声をかけただけだ」
「そりゃどうも」
「ところで」
良男が真未の方へ顔を向ける。
「こちらの女性は誰だ?」
「俺の彼女だ」
「この人がお前の言ってた彼女か!」
そういえば、良男と真未は顔を合わせたことはなかったか。
良男は笑顔で自己紹介を始めた。
「俺は中西良男です。気軽に良男と呼んでくれて良いですよ」
しかし、真未は無表情で良男を見ている。ん? こいつはなんで不機嫌っぽいんだ? まさか、嫉妬とかじゃないだろうな。
「お、おい、まさる?」
何の反応も示さない真未に良男が戸惑った声で俺の名前を呼ぶ。やれやれ、またフォローしなくてはいけないのか。
「俺の彼女は人見知りなんだ」
「そ、そか」
良男はホッとした様子で呟いた。
「さてと、じゃあ、俺はお邪魔だし行くわ」
ニヤニヤしながらも気をつかってくれる良男に感謝した。
良男が教室を出たのを見届けてから、俺は真未に尋ねる。
「お前、あいつのことが嫌いか?」
「なんで?」
「いや、お前が怒っている時の態度だったから」
「怒ってるのと嫌ってるのとは意味違うよね」
「じゃあ、なんで不機嫌なまんまなんだ?」
俺がそう尋ねると、真未はため息を吐いた。そして、苦笑いをして答える。
「そうだね。私が怒ってるのは間違いないし、あの人を嫌ってるのかもしれない」
かもしれないって自分のことだろう。まあ、自分自身のことが分からなくなる時もあるけれども。
「じゃあ、なんで良男に怒ってるんだ?」
「だって、まさる君楽しそうだったもん」
まさかの嫉妬か。嬉しくない的中だな。というか、同性の男に嫉妬するってどういうことだ。これは女に嫉妬するのと話が違ってくるかもしれない。
ある日。俺と真未が一緒に帰路についていたら、犬をつれた人とすれ違う。
「ワン!」
犬が吠えながら、俺の足元にすり寄ろうとする。その声は嬉しそうだ。飼い主が黙ってリードを引っ張ろうとする。
「あ、大丈夫です」
俺はそう言って、犬の頭を撫でる。犬はしっぽを振って喜ぶ。
「お前は良い子だな」
俺の言葉を理解したのか分からないが、犬をキューンと嬉しそうに鳴いた。
「それでは失礼します」
俺は立ち上がってそう言う。
「失礼します」
飼い主もにこやかにそう言う。そして、彼らは去っていった。
俺が真未の顔を見ると、彼女は不愉快そうな表情をしていた。さっきまで楽しそうだったのに、どうしたんだ?
「なんで怒ってるんだ?」
「怒ってない」
「怒ってるだろ?」
本当は再度尋ねるのは良くないっぽいが、怒っている理由が本当に見当がつかないので、聞かざるを得ない。
「怒ってないってば!」
「悪い! マジで怒ってる理由がわかんねえから、教えてくれないか?」
本当は若干予想はついているが、そうあって欲しくないから、あえて見当がつかないことにする。
「しょうがないなあ」
渋々と言った感じだが、理由を話してくれるようだ。
「私をほったらかしにして、まさる君が犬とイチャイチャしていたからだよ」
やっぱり、ヤチモチか。犬にまで嫉妬するなんて、おかしいだろう。
「悪かったよ」
「うん、許すよ」
でも、真未のことは好きなので、疑問に思う内心を押し留めて謝る。彼女はにっこり笑って許してくれた。
「おかえりなさい」
俺があるものを買って帰ると、知らぬ間に自宅に真未がいた。彼女には合鍵を渡しているので、不法侵入ではない。でも、同棲しているわけでもないから、前もって一声かけてくれると助かる。その旨を過去に何度か彼女に言ってみたけれども、聞く気はないようだ。だから、もう諦めている。
「ただいま。来てたのか」
「うん!」
「まさる君、それカブトムシ?」
「ああ、今日買ったんだ」
そう、あるものとはカブトムシのことだ。俺はカブトムシが好きで小さい頃は買って世話してたんだよな。最近になってカブトムシが恋しくなったので、今日買ってきたってわけだ。
ニコニコと笑いながら、カブトムシの一挙一動を眺めていると、真未から好ましくない視線を向けられていることに気づく。
「どうした?」
女性は昆虫が好きという傾向があまりなさそうなので、気遣いができていなかったか? だが、予想の斜め上だった。
「まさる君、楽しそう」
彼女の言葉に疑惑が出てきた。
「私という者がありながら、カブトムシと愛し合うなんて酷い」
やっぱりか。こいつひょっとしてヤバい奴なんじゃねえの? このままこいつと付き合っていて大丈夫か不安になってしまった。
2週間後。
俺の家で真未とくつろいで喋っていたが、二人共やることがなくなった。真未が横になって寝たので、俺は法学の専門書を読むことにした。
「ねえ、どうしてそういうことするのかな?」
怒り心頭の彼女の声を聞いて、顔を上げる。今にも暴れそうな表情だ。そんなに放置をしていたのか? 時計を見てみる。20分くらいしか経っていない。
「子どもじゃねえんだから、20分くらいで怒るなよ。しかも、おまえも寝てたんなら、尚更な」
「そうじゃないよ!」
真未は大声で怒鳴る。
「じゃあ、なんだ?」
「まさる君は、なんで本と浮気するの? なんで私以外とイチャイチャするの?」
うわあ、意味不明すぎる。もうこいつと別れた方が良いんじゃないか?
真未を宥めつつ、俺は真剣に検討することにした。
1週間後。
「テレビでも見る?」
真未の家で俺と彼女がくつろいでいた。まあ、俺は今回は客だから、自宅程はくつろげていないが。いつも通り色々な雑談をして、話題がなくなった。そして、この真未の台詞である。
「そうだな」
そう言って、俺はチャンネルを手に取って、適当な番組のチャンネルにする。
テレビでは、コメンテーターが何かを話している。
「まさる君、どういうつもり?」
真未が強い口調で咎めてくる。え? 何かやったのか俺? あ、チャンネルを勝手に弄ったことか。確かに配慮がなかったかもな。親しき仲にも礼儀ありだからな。
「まさる君、チャンネルと身体の関係になるなんて酷すぎる! しかも、チャンネルといちゃついて浮気するなんて、本当に酷すぎるよ! ねえ、なんで? なんでそんな酷いことをするの!」
謝ろうとしたら、真未が意味不明すぎることを長々とまくし立ててきた。
あ、もうダメだ。異常者とは離れないといけない。別れないと、俺はヤバいことになる。
「なあ、真未」
「何!」
「別れよう」
俺の言葉を理解できなかったのか、彼女はポカンとしていた。しかし、すぐに理解してさらに俺を咎める。
「自分で浮気しておいて別れる? 信じられない! 何なのそれ!」
「うん、だから別れよう」
理解したくないことを言い続ける真未を無視して、俺は繰り返す。
「嫌! 浮気性のまさる君でもやっぱり好きなの! 嫌!」
「つーわけで、俺ん家の合鍵はちゃんと処分しておけよ」
「意味わからないよ! まさる君、お願い! お願い!」
「じゃあな」
すがる真未を無視して、俺は真未の家を出た。
あれから、真未には会っていない。実はストーカー化することを恐れていたが、そんなことはなかった。異常者ではあるが、一線を越えるほどではなかったようだ。良かった。