想い
翌日の夜、自由時間を利用した映画の上映会が行われた。
話し合いで決定した動物のアニメーション映画を食い入るように見入る8人の女囚達は物語の山場になると小さく声を漏らしながらストーリーと映像を存分に楽しんでいる様子だった。
部屋の後ろで監視を兼ねてエヴァンスとイロヨクも映画を見ていた。
エヴァンスがいつも通り表情の無いまま冷静な顔付きをする傍ら、だらしない姿勢で椅子に腰掛けるイロヨクは時折欠伸をしながら退屈そうな様子だった。
そして映画が終了すると女囚達は満足そうに息を吐きながら映画の感想を語り合い始めた。
すると突然狂気の芸術家であるアートが1人足早に部屋を出て行った。
他の女中達は特段気にする様子も無く映画の余韻を味わいながら感想話に花を咲かせている。
アートの様子が気になったエヴァンスは少しの時間を置いてアートを探しに部屋を出て行った。
所内を巡回する中、何処からともなくすすり泣く様な声が聞こえて来た。
「ん!」
声が聞こえて来たのはアートの房の中からだった。
こっそりと中を覗いたエヴァンスの目にはベッドの上で三角座りになり顔を埋めたアートが震えながらすすり泣いている姿が映っていた。
「アート?どうした?」
「うぅ…うぅぅぅ…」
「アート?入るぞ?」
返答を返さないアートに構わずエヴァンスは房の中に入って行った。
そしてアートの横に腰を下ろすとなだめる様な声で語り掛けた。
「アート、どうした?何があった?」
「うぅ…うぅぅぅ…うぅ」
「泣いてたら力になれない。どうしたんだ?」
何度か鼻をすする音が聞こえた後、息を整えた様子のアートは消え入りそうな声で語り始めた。
「ママ…ママァ…」
「ママ?母親がどうかしたのか?」
「ママを思い出しちゃったの…。あの女の子、ママととても幸せそうだった…」
アートは先程上映されていた映画のラストシーンを細かくなぞりながらひたすら母親の事を呟いていた。
「ママは…優しかった。すごく大好きだった…。ママァ…ママァ…」
「母親が恋しくなったのか?」
「うぅ…。む、昔、ママが私の絵を褒めてくれたの、小さい頃。凄く、凄く下手だったけど、でも、ママはたくさん褒めてくれた。何度も頭を撫でてくれた。すごく、すごく嬉しかった…」
「…」
「もっともっと上手くなりたいと思った…。もっともっとママに褒めてもらいたいと思った…。もっともっと喜んで欲しかった…。ママが笑ってる顔をもっともっと見たいと思った…」
顔を膝に埋めたまま鼻声で語り続けるアート。
「もっともっと強いインスピレーションが必要だったの。色んなことをした。たくさん歩いたし、たくさん自分の体を切り刻んだし、色んなものを壊してもみた。人の作品をマネしたりもしてみたけど、でもダメだった…。だから、だから…」
「…殺人を犯したのか?インスピレーションを得るために?」
「じ、自分が無くなった様な感覚だった…。無くなった場所に色んなものが降り注いでくれる感じがあったの…。たくさん描いた。すごく綺麗な絵が描けた。…でもママは泣いてた…。すごく、すごく悲しそうな顔をしてた…」
「…」
エヴァンスはアートの懺悔に黙って耳を傾けていた。
「喜んでもらおうと思ったのに…。笑って欲しかったのに…。どうして、どうして…?うぅ、うぅ…」
「母親に喜んでもらいたい想い、その一心だったんだな」
エヴァンスはアートを諭そうとはしなかった。
そもそもが善悪の認識能力が低いと思われるアートが錯乱状態に近い今、それが逆効果だということを直感的に悟っていたのだった。
「そのことを他のみんなには話してるのか?」
アートは顔を埋めたまま強く首を横に振った。
「どうしてそれを俺に言う気になったんだ?」
「分からない…。けど貴方は私を初めて見た時に気味悪がったりしなかった。目を見たら何となく感じたの、洗礼された強い魂。でもどこかで強い迷いも感じてる。私と似てる様な気がしたんだと思う」
「…」
エヴァンスはアートからの言葉にどこか自分を顧みている様子だった。
「アート、今日はもう休め。寝られそうか?」
「うぅ…うぅぅぅ…」
エヴァンスはゆっくりとアートの肩に手を回しそのまま体を横に寝かせた。
アート自身も特段抵抗する素振りは見せず、エヴァンスが掛けたシーツを自身の手で掴み頭の上まで覆い被せた。
未だすすり泣く声は止まない中、エヴァンスは出来るだけ音を立てない様に房の鍵を閉めた。
そしてエヴァンスはそのまま監視室へと戻って行った。イロヨクが声を掛ける。
「おう。どうした?いつにも増してシケた面してんな」
「何でもない…」
「そうか?さっきまで何処に居たんだよ?」
「アートの房に居た。話を聞いていただけだ」
「ほー。で、何だって?」
「…ひと口に凶悪犯と言っても、色々だな」
「何だ?情でも湧いたか?」
「…いや。そうだ、映画のフィルムを片付けてくる。ついでに明日の運搬品のチェックも済ませておこう」
そう言って部屋を出て行こうとしたエヴァンスを見たイロヨクは突如立ち上がり、エヴァンスの肩に手を置きその動きを止めて。
「待て待て。それは俺がやるよ。申請したのも俺だしな」
「…別にどっちがやっても同じだろ?」
「いやぁ~、その、なんつぅか…そう!明日荷物を持ってくるドライバーにちょいと個人的な用事があるんだよ!」
「個人的な用事?」
「そうそう。実はそいつちょっとした商売やっててな。高校生の脱ぎたてパンティを安くで譲ってくれるってんだよ。明日受け渡しの予定なんだ。誰にも言うなよ?この事は絶対内緒だからな?」
エヴァンスの目が軽蔑に染まる。
「そうだ!お前の分も注文しといてやろうか?染み付きだとちょいと値段は上がるがな」
「…結構だ」
エヴァンスはそのまま踵を返し自身の部屋へと姿を消して行った。
その様子を見たイロヨクはほっと胸を撫で下ろし深い息をつくのだった。