思い
同じ日の夜、中央部屋に集まっていた女中達は就寝前にそれぞれの時間を過ごしていた。
自身の房の中でベッドに寝転がる者、席に座り仕事をしている様子の者、カイリキとサイコロは椅子を寄せ合い何気無い世間話をしていた。
するとそこに看守のイロヨクが姿を現す。
「おーい、お前達。明日は映画の日だ。それぞれ希望を話し合え」
イロヨクの言葉を聞いた女囚達は色めき立ちすぐさまイロヨクの前に集合した。
ここ刑務所で月に1度のお楽しみとして設けられている映画の日を目前に女囚達は見たい映画を話し合い始めた。
「どうする?やっぱ”静寂シリーズ”がいいんじゃね?スティーブン・ゼネガルの渋さはたまらねぇだろ?」
「それ前も見たやん。私は”セブン・センス”がええわ。久々にあのラストの結末見たいねん。見逃してる伏せんとかもあるやろうし」
「黒人の出ない映画はお断りだよ。どれもこれもソウルが無くて退屈ったらありゃしない。”ラッシュ・アワード”の4が今製作中だそうだ。それに向けて3を見直しておくってのはどうだい?ほら、アレに出てくる東洋人はお仲間だろ?チャイナ」
「ジョッキー・チュンは香港人、私は台湾人。中国も日本も韓国も全部別の国だよ、バカタレが」
「げ、芸術性の高い映画がいいわ…。”山羊達の沈黙”…あれを超えるアート性のある作品がいいです…」
「おいおい何でもいいけど見れるのは1本だぞ。ちゃんと今日中に意見をまとめておけよ?そうじゃなきゃ映画は無しだ」
「そうだ!いっそのことAVとかどうだ?それならみんな共通して楽しめるだろ?」
「おー!ええやん!賛成やでぇ!んでもフェチはやっぱり分かれるんちゃうの?」
「もーちろん黒人モノだろうね?まさか東洋男のミニソーセージで興奮出来るだなんて思っちゃないだろう?」
「東洋人のセックスは愛と優しさに溢れてるっての知らないのかい?デカさだの回数だのにこだわってるのは本当の温もりを知らない証拠だよ」
「これでおばはん2人も生理再開かもなぁ?」
「黙りな、小娘が!」
女囚達がさらに盛り上がりを見せる中、イロヨクが一喝を放つ。
「おいコラ!真面目にやれ、お前達。そんな風紀の乱れるモノ申請出来ると思ってんのかぁ?そ・れ・に・だ…」
イロヨクは心理学者サイコロの背後に回りこみ自身の下半身をサイコロの臀部に押し付け卑猥な声色を耳元で囁いた。
「男のイチモツを欲してんならこのビッグマグナムがお前達の熱い場所に白い砲弾をぶち込んでやるぜぇ~?サイコロとハッカーならいつでも大歓迎さぁ~。コスプレなんてちゃちなモンじゃない、本当の監獄プレイってのを存分に味わわせてやろうかぁ~?」
全身に悪寒を走らせたサイコロは渾身の力で右足を蹴り上げイロヨクの股間にその踵を強くねじ込ませた。
「ぎゃぁぁぁぁ!!!」
その場に倒れ込み強く股間を抑えながら打ち震えるイロヨク。するとそこにエヴァンスが姿を現した。
「…何事だ?」
「別に。何でもないよ」
代弁するカイリキ。
イロヨクは辛うじて面を上げ涙と涎を垂らしながら断末魔かの様な声を上げる。
「エ、エ、エヴァンスゥゥ…。こ、こいつ、俺様の、アレを…あぁっ、うぅっ…。こ、このイカレ女を懲罰房に入れろぉぉ!!」
「ふざけんな。フニャチンの分際で下衆いセクハラしやがるからだろうが。自業自得だ」
「エ、エ、エヴァンス!は、早くしろぉぉ…」
「…」
エヴァンスは黙って静観していた。
状況を把握した様子を見せると小さく息を吐きイロヨクに告げた。
「机の角でぶつけた様だな。災難だった。次は気を付けろよ」
「なっ、何ぃぃ!!?」
エヴァンスが下した大岡裁判を聞いた女囚達は尊敬に近い念を感じている様子だった。
するとエヴァンスがあることに気付く。
「…マッドはどうした?」
「あぁ。アイツなら自分の房に居るぜ。映画は何でもいいってさ」
「映画が嫌いなのか?」
「いや、上映中はちゃんと顔出すよ。アイツどうしてかいっつもそんな感じなんだ」
「…そうか」
その後の話し合いとじゃんけんの結果、自身の勘違いにより運命を翻弄される飼い犬のアニメーション映画に決定し解散となった一同。
マッドの様子が気になったエヴァンスは1人、2階にあるマッドの房へと訪れていた。
「入るぞ?」
「何か用?」
マッドはベッドの上に座り大量の資料を黙読している最中だった。
「映画は”ボトル”というアニメーション映画に決まった。異論ないか?」
「何でもいいって言ったはず」
「興味無いのか?」
「別に」
「反りが合わないメンバーでもいるのか?」
「別に。どうせ私が本当に見たい映画の希望は通らないから。勝算の無い話し合いに参加するのはエネルギーの無駄遣いって思ってるだけ」
「…まぁ、お前が見たそうば映画は内容も難しそうではあるな」
「どんな映画でも少しは気晴らしになるから、それでいい」
「そうか。さっきから何してる?」
「学会の論文」
「自由時間なのに、随分と熱心なんだな」
「ただでさえ研究施設を追われた上こんな所に閉じ込められて遅れてるから。上手くいってたのに…」
「人体実験は許される事じゃないだろ」
「生易しい研究ばかりでぬるま湯につかってるから進歩が遅く不完全なの。これまでの歴史で人類が成し遂げた科学と医学の進歩が数え切れない人体実験の上に成り立っているのを今更になって目を背けてる。どいつもこいつも臆病な馬鹿ばっかり」
「言い分は分かるが、法治国家においては法が絶対だ。それなりの理由もある」
「それなり…。法律が科学や医学の進歩を中心に考えて作られてる訳じゃない。私達研究者は法律と馬鹿な金持ちの板挟みに長い歴史苦しめられてきた。手段を選んだおままごとみたいな研究をしてたら投資家達は”金をドブに捨てた”と罵って、必要な手段を用いて結果を出したら今度は牢屋に閉じ込められた。人類はバランスと正義を履き違えて自分達の首を絞めてる。救い様が無い」
「…」
エヴァンスはマッドの言い分が心に響いている様子だった。
ひたすら目の前にある論文に目を通し続けるマッド。
エヴァンスは返す理屈を見つけられず角度の違う言葉を掛けた。
「無口だと聞いていたが、意外と喋るんだな」
「別に。無駄が嫌いなだけ。口数増やしてもエネルギーの無駄使い。どうせ理解されないから。そう思ってるだけ」
「そうか…」
会話の最中も一切目を合わそうとしないマッドを房に残し、エヴァンスはその場をゆっくりと去って行った。
階段を降りながらエヴァンスはどこか物憂げな表情を浮かべ再度マッドが居る房の方向を見上げると小さく息を吐くのだった。