世間
コンビニもスーパーも車で片道一時間も掛かり、四方を山で囲まれた田舎で私は生まれました。
田舎では、近所の付き合いなども深く、私が小学生になって学校に行く前から身近な家の子供達とはとても仲良く過ごしていたのです。
今日も近所の友達が私を呼びます。「お~い、遊ぼうよ~」その声を聞くと私の心は弾むように明るくなり元気よく親に「いってきま~す」と言って玄関を飛び出したのです。
春には木の枝とどこからか拾ってきた汚れている黒いボールを使って野球をしたり、夏には虫かごと虫取り網を持って昆虫を捕まえに行ったり、秋には落ち葉を集めた後に親に頼んで焼き芋をし、冬には積もった雪で雪合戦をしました。毎日毎日がいつもキラキラ輝いていて、月日が嘘のような速さで過ぎて行ったのです。
小学校に入学すると、先生という存在が私の前に現れました。その先生というものは不思議な存在でした。今までは私に注意したり、心配したり、褒めてくれたりしていた大人達は親と近所の人達だけでしたがそこに新たに先生という存在が加わったのです。初対面の初めて会う大人に偉そうな態度を取られたり、きつく怒られ、ときには放課後の時間に居残りで勉強を強要してくる。そんな先生の存在が私は嫌いだったのです。
今日も学校の授業が終わって椅子から立ち上がり帰ろうとすると先生が私に「ちょっと、待ちなさい」と声をかけ呼び止めたのです。「今日の小テストあなたはわかっていないようだから、残って答えを理解してから帰りなさい」と私に居残りを強要してきたのです。
そう、私は馬鹿なのです。みんなはすんなり出来る問題が私にはできないのです。いつも先生の説明も問題の意味もよく理解できなかったのです。友達が私に言います。「お前また居残りかよ~。ホントに頭悪いよな~お前」この言葉を聞くと小学校に入る前にはなかったものが私の心にこみ上げてくるのです。これはなんでしょうか。劣等感でしょうか。それとも罵られた奴への憎しみでしょうか。私にはわかりませんでした。
学校という箱は仲が良かろうと、悪かろうとそんなものは関係なしに容赦なく、私達子供を鉄筋コンクリートで出来た建物に閉じ込めるのです。そんな逃げられない環境に居るものですから、私は日々周囲から馬鹿にされることに絶え続けなければいけませんでした。それでも小学校には、入学以前から仲が良かった友達も居たので何とか過ごすことが出来ていたのです。
しかし、中学校に入学してから妙な変化が始まったのです。中学校入学後も私は勉強が出来ず馬鹿のレッテルを貼られていたのです。その所為で小学校のときはそんなことも気にせずに仲良くしてくれた友達が徐々に私を避けるようになっていったのです。
その原因は周りの目でした。 「あいつと付き合うと馬鹿に思われる」 「馬鹿かがうつる」 そんな周囲の話を私は知り、今まで仲良くしてくれた友達がたったそれだけのことで私を避けるようになったと知ったときはこの世にたとえようもない絶望感と失望感を同時に味わったのです。
この瞬間から私の心には幼い頃に感じていたときめきのようなものがすっかり消えているのを感じ取ることができたのです。
これ以降、私の学生生活は書くに及ばないほどつまらなく、何の光もときめきもなくただ何の楽しさも湧かない、そうまさに生きる屍のような日々を過ごして卒業式の日を私は迎えたのです。
卒業式の日、教室に入っても私に声をかけるものなど一人もいません。私を見る周囲の目は実に冷ややかでした。それもその筈です。他の同級生は皆、高校に進学が決まっているのに、私だけ高校入試に失敗して進学さえもできなかったのですから。周りは私のことをおそらくは「こうやって、人間て駄目になるんだな~」とか「ああならなくてよかった~」とか思っているのでしょう。そんなことを考えながら私は自分の席に座りました。
しばらくすると、ガラっと教室の扉を開ける音がし、担任の先生が教室に入ってきました。
私は一番前の教壇から一番近い席に座っており、一瞬先生と目が合ったのです。その目はまるで、汚物でも見るような冷たい眼差しだったのです。「ああ~早くここから出たい・・・」私はそんな思いでいっぱいでした。いざ、卒業式が始まり名前を呼ばれて卒業証書を受け取った私はその場でやぶり捨てたい気持ちになりましたが、その場は堪えてしぶしぶ壇上を降りていきました。
卒業式が終わり、先生の話や、記念撮影が終わると私はすぐに教室を飛び出して下校したのです。
幸い親は卒業式に来なかったので、私はまっすぐに家には帰らずに人気の少ない丘の上にある公園に行ってひたすら泣きました。人生の中で一番泣きました、出来の悪い自分に泣きました、人間という利己主義に泣きました、たとえようもない嫌悪感に泣きました。泣いて泣いてもう涙も出なくなって、気づけば夕方になっていました。「帰らなければ」と呟き立ち上がると丘の上から綺麗な夕日が見えたのです。丘の上は眺めがよく田舎の風景が一望できました。
そんな景色に力を貰い家に帰る一歩を踏み出すことができたのです。また、それと同時に綺麗な田舎でも人間は醜いものだと学ぶことが出来たのです。
中学校を卒業した私は生まれ育った実家で農家という家業を継いだのです。
親の仕事は子供のときから手伝っていたので、特に大変なことも無いだろうと思っていた私でしたが、それは大きな勘違いだったのです。いざ、家業を継ぐということになると、育てたお米を買い取ってくれる人との交渉、お米を作るにあたっての苗の購入の交渉、それによって発生する収入と支出の計算など、人と多く関わりやりくりをしなければいけないことを親父から教わり。教わっていく中で少しづつその仕事をやっていくようになり、取引先を怒らせたり、困らせたり、ときには契約を切られてしまう大失敗もしました。それでも親父は私から仕事は取り上げなかったのです。
そうして家業を継ぐために必死に仕事をしているうちに人間が利己主義なのは仕方がないことなのだと思うようになったのです。利益が無ければ食べていけない、生きていけない、動物が生きるためになんでもするように私達人間も生きるためになんでもしなくちゃいけないんだと人間も動物となんの変わりもないのだから。中学校の同級生が私を冷たい目で見てたことも仕方ない、私と付き合っても得をすることなどないのだから、損はしても得るものなどないのだから・・・。
そう思うと心が楽になれましたが自然とそのことを考えると涙が何故か出てくるのです。止まらないのです。
そんなことを夜に思いながら酒を飲み、朝になれば起き上がって仕事をする。そんな日々を私は今過ごしています・・・・。