私文、自分が面白いと思うラノベの構造的変化
もういい歳をしてラノベを読んでいるのもどうかと思うが、文系でありすぎた以上むしろ自分の趣味を徹底して貫くのもいい生き方だとは思っている。
ただ、ラノベを読んでいるといってもラノベ自体は大量にある。
電子書籍で読んでいくうちに昔のラノベも読み直そうと灼眼のシャナを読んでいたのだ。
しかし、ここで予想外の自分の反応の薄さに愕然とする。正直、何故かつまらないのだ。
主人公が暗いからとかシャナが強すぎるとかではなく、むしろシャナが刊行された当時に批判されていた内容と同じ感想を持ったのだ。
社会が欠落している、ある意味中学生向けにふさわしすぎるラノベではないかと。
別に社会派だからとかそういうわけではなく、社会に縛られている年齢に達するとシャナにある社会性の狭さがよくわかるのだ。
第一巻からしてもほとんど難しい話は出てこない。
読み物としてあまりにも分かりやすく、ただひたすら社会、大人を居ない者あるいは駄目な存在として扱っている。
つまり、まだ社会をよく知らない子供を対象にした作品といってもいい。というより、大人が読んでつまらない作品の内に入る。
実際、好みとして最近の物も多いが、単純に俺TUEEE系が好きだからというだけではなく、構造的に社会がある程度主人公を拘束しているからそれほど空虚感が無いのだ。
強さよりも主人公が立って居る社会的構造が複雑な方が面白いと感じるようだ。だから、シャナのような社会人イコール無能、あるいはダメ人間、あるいは三下的な表現が空虚に感じたのかもしれない。
そして、友達の殆どは良いやつ、みたいな構造もあったりするが、自分としては主人公とヒロインが世界の中心であるべきとは思っていない。
むしろあまりにも設定が大仰過ぎるとかえってコントロールが難しくなる恐れがあるし、あるいはかなり空虚なものになりやすい。
エヴァやハルヒもそうだが、設定がかなり難しそうだが基本的に文系でも理解できる作品だ。
大仰かつかなり分かりやすいが、本当の所「自分もしくはヒロインが世界の中心」的なストーリーは時折つまらないと感じてしまうのが今の自分の限界なのだ。
中学生あるいは高校生じゃないとそこまで入れ込むことが出来ない、社会に対してある程度無知でないと自己中心的な作品にしか見えないのだ。
いい歳になって社会、人間の限界や技術の進歩具合が大体分かるようになるとこういったセカイ系は流石に見るのは控えた方がいい部類だ。
「世界の命運」とか「並行世界」とかを考えるよりは「主人公が悪いやつを倒す」や「異世界転移」の方がむしろ感情移入しやすい。
この場合、社会がどうのこうのではなくいくら強くてもセカイに異常をきたす程の力を持ったキャラクターが居ない事の方が普通なのだ。
というより、昔の作品で世界に直接影響を与えるほどの強すぎる設定が蔓延していたので、そもそも俺TUEEEなど問題ではない。
ラーゼフォンやエヴァの「世界を書き換える、破壊する力」はある意味「時代に合い過ぎた」感もあるが。
ただ今思うと世界を変える、破壊するという言葉はかなり恥ずかしい部類の言語に入る。
特にラーゼフォンあたりになると格好つけすぎて笑ってしまう時がある。というより、ラーゼフォンのような作品はもう二度と再び作られないだろう。エヴァもその他セカイ系は少々やりすぎたのだ。
ただ、今後もまた「セカイを書き換えたりあるいは破壊する」とか「主人公とヒロインが絶対的な世界の中心」であるみたいな作品が絶対に出てこないわけではない。
個人的な結論だが、あまり自分が世界の中心みたいな自己愛の塊のような思想は精神的に不健康だから真剣に考えるのは止めた方がいい、ということだ。