第8話
「まだちょっと早いかな。あと30分くらい待ってくれ」
「はい、じゃあここで待たせてもらいます」
椅子もないためそのまま施設の床に座り込む。地下深いため空気が冷たく、床から体に伝わってくる温度も低い。
「じゃあ僕はちょっとセッティング始めるから、向こうにいるね」
「わかりました」
ちょっとした体育館ほどの広さはあるだろうか、同室内の端の方にあるこのシステム用の端末に向かっていく。遠ざかる彼からすぐに視線を戻し、改めて試験管の中に漂う女の子に視線を向ける。
目を閉じたまま、眠ったようにガラスの向こう液体の中揺らめいている少女。しかし意識がないといったら嘘になる。彼女はその中で自分の役目を果たしている。5年前からずっと。見ず知らずの少女を意味もなく観察しに来たわけじゃない。彼女の名は『アタカ・ルリ』、妹だ。
博士と会話を交わすこともなく、ただ妹を見ている。今年13歳になる妹のあられもない姿を見て、普通の暮らしをしている普通の兄妹だったら少しやましい気持ちも芽生えるだろうが、そんな気持ちにはこれっぽっちもなれない。そんな青春の一ページとは無縁。彼女が担っている役目のことを考えると、すぐにでも替わってやりたい、そこから出して一緒に暮らしたいと強く願う。だが現実は残酷だ。
「時間かな。始めようか」
博士の合図とともにいつの間にか入ってきていた作業員が準備に取り掛かる。自分もその合図とともに腰を上げ、それから少し距離を取る。
「…午前11時。アイギスシステムナンバー07、メインスキャナーとの接続を断ちダミーサブスキャナーへと運用を切り替え。これからメインスキャナー体のメンテナンスへと移行する」
博士の号令とともに、暗かった部屋に電気が灯る。同時にガラスを覆っていく壁のようなもの。そこにも同じように「AEGIS SYSTEM」の文字が書かれている。閉じ切った後、中から水が流れ出るような音がする。試験管を満たしていた液体が排出されているようだ。
「排水完了。これよりシステムの切り替えに移る」
数名の作業員が試験管の裏へ回る。中へ入るのだろう。そこでさっき博士の言っていたシステムの切り替えを行う。中で何が行われているかは伺うことができない。さすがに部外者の自分がかかわるわけにはいかない。そして最初の作業員に少し遅れて一台のストレッチャーのようなものが裏へ回る。機械だらけでただ人を運ぶためのものではないことはすぐにわかる。ルリはあれに乗せられて、一年ぶりに外の空気を吸うことになる。
「心配ですか?」いつの間にか横にいた女性の研究員に声をかけられる。
「いえ、慣れてしまいました」
「そうですか、それも寂しいですね。でもルリちゃん、ずっと頑張ってますから今日はちゃんと話していってくださいね」
「はい」
そう声をかけると、彼女も奥へと消えていく。名前こそ知らないが、彼女がルリの生体データを取る担当だということは知っている。
30分くらい経った後、裏からストレッチャーが戻ってくる。そこにはシーツをかぶされたルリが、試験管の中とそう変わらない様子で横になっている。数え切れないほどの何かのケーブルが彼女の寝ている下を張っている。これがほとんどルリの体につながっていることを自分は知っている。
「お待たせしました。さぁどうぞ」
女性研究員に促され、ルリの横へと歩を進める。片手で妹の手を取り、もう片方の手で妹の胸元にある裂傷のような跡に手を当て声をかける。
「おはよう、ルリ」
しかし返事はない。わかっていたことなのに、張り裂けそうなほど辛い。