第10話
「ん、終わったみたいね。じゃあ隣の部屋に行きましょう」
扉の上についたランプが赤から緑に切り替わる。ルリに対するメンテナンスという名の検査が終了したようだ。人間に対してメンテナンスというのもどうかと思うが、AEGISにとってルリはシステムの中心。この施設の人間にとってルリは人なのかそれともただの部品なのか。それを誰にも聞いたことはない。
隣の部屋に通されると、先ほどのストレッチャーからベッドに移され、服も着せられたルリが横になっている。手を握るとさっきより少し暖かくなっているのがわかる。
「体温こそまだちょっと低いけど、脈も心拍数も正常。何も問題ないわ」
「何も問題はない」そうは思えない。眠っているようにしか見えないが、彼女は意識をこちらの世界に戻してくれない。そうなってから5年が経っている。いつになったら目が開くのか。いつになったら目が合って口を開いてくれるのか。いつになったらまた「おにいちゃん」と呼んでくれるのか。
「綺麗よね」
「え?」ユキムラの不意の言葉にそちらに向く。
「ルリちゃん。5年見ているけど、すごく綺麗に成長したわね。普通に学校に行けていたらきっとモテていたでしょうね」
「そうかもしれませんね。兄馬鹿かもしれないですけど」
「ふふん。イケメンの言うことは違うわね」
「イケメンって」ユキムラの言葉に苦笑いするしかない。
成長は止まらない。試験管の中にいたとしても彼女の時間は外界と同様進んでいる。入ったころはまだ小学生の年齢だったが、今ではもう中学生の年齢。ちゃんと年相応の風貌になっており、そしてユキムラが言う通り可憐な少女へと成長していた。
「じゃあごゆっくり。私は自分の研究室に戻るから、なにか用があったらこれで連絡してね」
内線電話を指さして部屋を出ていくユキムラ。返事をする間もなく扉が閉まる。部屋の中には自分とルリだけが残される。
胸元を開き、先ほど見た裂傷をもう一度確認する。何も成長した妹の乳房を見たいわけではない。
「ここに、埋まってるんだ」
ちょうど胸の谷間の上部から放射線状に広がっているその傷。その中にこの眠りの原因が入っている。なんで取り出すことができないんだろう、敢えてなのだろうか。この症状には「スリーピングビューティー」なんて名前はついているが、そんな美しいものじゃない。当事者に言わせればただの病気だ。
胸元をしまい元に戻す。そして聞こえていないだろうが自分のことを話し始める。
「なぁルリ。この前お兄ちゃんな…」
いつの間にか時は過ぎて、島から帰らなくてはいけない時間が差し迫っていた。時計の針が指し示す時に少しだけ焦り、先ほど言われた通りユキムラに連絡を入れる。
「お待たせ」程なくして扉が開きユキムラが戻ってくる。
「そろそろ、帰りますね」椅子から立ち上がりユキムラに告げる。
「いいの? 君ならここに泊まることも許可されているけど」
「大丈夫です。仕事もノアの出港もありますし。それに、あの中に戻るのを見るのはやっぱり辛いんで」
「そう…」
「ルリのこと、よろしくおねがいします」ユキムラに頭を下げる。
「任せて。いつか必ず彼女たちが必要のないシステムを作ってみせる。そしてルリちゃんが目を覚ますように努力するわ」
「お願いします」
「話せた?」
「はい」嘘だ。
「そっか。ならよかった」
「じゃあ…」握っていたルリの手を離す。話した手にもう一度だけ触れる。
「またな」ファーストキスは誰か好きになる男のためにとっておけばいい。ルリのおでこに軽くキスをする。
部屋を後にする。外に出ると扉が閉まり始める。視界からルリの姿が消えていく。このまま本当に消えてしまうんじゃないか。ここに来るたびその恐怖に駆られる。まだこの世にいてくれと願う。
「別に一年後じゃなくてもいいのよ。来たいときは連絡して、あなたは特別なんだから」
「はい、ありがとうございます。それじゃあ」
「またね」
施設の玄関前で見送ってくれるユキムラに軽く会釈をして別れる。一人坂を下り施設を後にする。
「待ってくれ、イサナくん」
門を出ようとしたところ、小走りで近づいてくるアマクサ博士に呼び止められる。
「どうしたんですか。あぁ、すいません。ご挨拶もせずに出てきてしまって」
「いや、そんなことはいいんだ。実は君に頼みがあって」
「頼み?」