「スレイプニル馬車内にて」<エンドリア物語外伝45>
スレイプニル馬車と呼ばれる乗り物がある。
その名の通り、スレイプニルと呼ばれる中型のモンスターが客を乗せた馬車を引く。神馬スレイプニルによく似ていることから名が付けられた。8本の足を持ち、顔と首が長く、速く走り、力も強い。性格は温厚で人なつっこく、御者のいうこともよくきくのだが、とにかく、走り方が荒い。
平地を走っても乱気流に巻き込まれた飛竜並の乗り心地なので、整備されていない道や山道に使われる。
どうせ揺れるのならということなのだろうが、乗客はクッションを持参するか、馬車屋の貸しクッションを利用しないと全身あざだらけになるという、ハードな乗り物だ。
ララ・ファーンズワースが今乗っているのは、シェフォビス共和国からルギスに向かう定期便のスレイプニル馬車だ。貸しクッション4個に埋まるようにして座っている。それでも、激しい振動に天井や壁にぶつかりそうになる。
出発してまだ1分ほど。
窓の外には新緑に明るい日射しが注いでいる。
それをぼんやりと見ながら、ララ・ファーンズワースは思った。
なぜ、こんなことになってしまったのだろう。
「オレッゾ国で反乱が起きた」
ララ・ファーンズワースを呼びつけた上司のユーバンクが言った。
「オレッゾ国?シェフォビス共和国とルギスの間にある、極小の国ですよね?」
ユーバンクが苦笑した。
「極小はひどい。君の生国のエンドリアと変わらない大きさだろう」
「エンドリアの方が少しですが国土は大きいです。それに、平和な良い国です」
「エンドリアは国民に評判がいいな」
ララもエンドリアは大好きだ。【あれ】以外は。
「今回の仕事はオレッゾ国ですか?」
「そうだ。知っていると思うが、オレッゾ国は軍が政治を行っている。今回の反乱でここ10年統治していた穏健派のギルグッド将軍が幽閉された。ゴフ参謀長が次の将軍になることを宣言したのだが、その際、魔法協会からの脱退、関所の建設、通行税の大幅な値上げを発表した」
「通行税の値上げをするんですか?そうすると、今回の依頼はルギスですか?」
ルギスにとってシェフォビス共和国との交易は、国を支える収入源だ。通行税を値上げされたら、ルギスの経済が傾くおそれがある。
「いや、魔法協会からだ。ゴフ参謀長を自然な形で退かせ、ギルグッド将軍に戻ってもらいたいということだ」
「ゴフ参謀長を消すだけなら、魔法協会にはブライアン・ロウントゥリーという合法処刑人がいると思うのですが」
「今回の反乱の鎮圧には魔法協会は関係ないということにしたいらしい」
「脱退した国に、魔法協会は内政干渉しないという立場を貫くわけですね」
「そうだ」
「しかし、魔法協会がなぜオレッゾ国の反乱に手を出すんですか?言い方は悪いですが、魔法技術も低く、ろくな産業もない。魅力のない国です」
「現在、オレッゾ国の収入はルギスが支払う通行税が大半をしめている」
「それは、魔法協会としてはまずいですね」
「そういうことだ」
ルギスの狩猟民族が集まってできている国家だ。狩猟は魔法で行い、攻撃系の魔法技術は独自の発達を遂げている。魔法協会としてもルギスが衰退するのを放置できない。
それよりも問題になるのがルギスにしか産出しない魔法材料が多くあることだ。オレッゾ国に通行料をあげられると魔法協会に所属している魔術師達が使用している魔法材料が、手には入らなくなるか、高騰することになる。
「わかりました。ゴフ参謀長を自然死に見せかけて殺してきます」
「今回は、モイラ・フリースと組んでもらう」
モイラ・フリース。闇系の魔術師だ。
ララは自然死に見せかけるのに毒を使うことが多い。近寄らなければならないが、モイラならば、遠くから殺すことができる。ただ、防御結界が張られている場合は種類によっては、闇系魔法が届かない。2人で協力してケースバイケースで対処しろということらしい。
「わかりました。準備をしてきます」
「明日の朝7時にシェフォビス共和国からルギスへのスレイプニル馬車の定期便がでる。今後の状況によれば最後の定期便になるおそれがある。それに乗ってルギスに向かってほしい。馬車は午前9時から12時前までの3時間、オレッゾ国のターミナルに荷物の積み込みで停車する。その間に仕事を終わらせてほしい」
「3時間ということは、ターゲットはターミナルの近くにいるのですか?」
「軍の主要機関はすべてターミナルに隣接している。ターゲットに関する資料はモイラに渡してある。作戦の立案を含め、今回の仕事は2人に任せる」
「了解いたしました」
ララはその足でモイラのところに行き、資料を精査して2人で作戦を決めた。ルギスに買い物に行く姉妹を装う為に、自慢の赤い髪もモイラと同じ金髪に染めた。作戦に必要な物を可愛いバスケットに詰めた。夕方から深夜まで馬を飛ばしてシェフォビス共和国に移動。入浴して、シェフォビス共和国で着られている実用的なドレスに着替え、貸しクッションを借りて、バスケットを手にルギス行きの定期便に乗った。
あとはオレッゾ国に馬車が停車している時に、計画を実行するだけだ。
スレイプニル馬車はほぼ満席だった。
御者は一般人。いつも定期便の手綱をとっているようで、スレイプニルの扱いも慣れていた。
乗客は見た目普通の人々だった。だが、ララは気づいていた。
暗殺者や傭兵など、命のやりとりを仕事にするぶっそうな面々がほとんどだ。目的地はオレッゾ国だろう。ララが知った顔も何人かいる。ターゲットはゴフ参謀長の命。それぞれの組織のメンツをかけた戦いになる。個人として名を売るチャンスでもある。
馬車の中は、一見ごく普通の情景。隣に座った人と小声で話したり、目を閉じて休んでいたり。
だが、目に見えない戦いは始まっていて、独特の緊張感が張りつめている。
ララの身体のうちにも、自然と戦いの熱が高まっていく。
「出発します。揺れますから、クッションにうずまるように体勢をとってください」
御者が客達に声をかけた。
ララはクッションの間に、身体を沈み込ませた。
「待ってくれ!」
飛び込んできた人影があった。
「間に合った」
走ってきたらしく、ハアハアと荒い息をしている。
「お客さん、この馬車はルギス行きですが間違っていませんか?」
「そうだ。うん、ルギス。ルギスに行きたかったんだよ。間に合って良かった」
片手に箱を抱えて、席の方に移動しようとした。
「お客さん、クッションはどうしました?」
「貸しクッションなら、全部借りられたあとだった」
「クッションがないと、無理ですよ」
「オレは気にしないから」
「ないと本当に危ないんです」
「無理そうだったら、途中で降りるからさ。こいつを今日中に届けないといけないんだ」
片手にもった30センチ四方の箱を御者に見せた。
「料金はもう払ったから。クッションがないからと渋られたけれど、とにかく、金は払ったから」
「わかりました。どうなっても、知りませんからね」
御者が投げやりに言った。
「奥の席が空いているみたいだから、そこに移動するまで出発は待ってくれるかな。ほら、チビもいるから」
「待ってでしゅ」
ようやく追いついたらしく、小柄な影が馬車に乗り込んできた。
「お客さん、子供にクッションなしは危険すぎます」
「こいつは死んでも行くといっているから、ぶつかって死んでも気にしなくていいから」
「いや、そういう問題じゃなくて」
「オレ達、料金は払ったから」
そういうと2人は奥の空席に移動した。
「知りませんからね」
怒ったらしい御者は鞭をスレイプニルに振り下ろした。
動き始めた馬車の雰囲気は一変していた。
戦いを前にした高揚から、どんよりとした雨間近な曇り空の様相になっていた。
「お尻がイタいしゅ!」
「そんなのわかっていて乗っているだろ」
「抱っこしてしゅ!」
「商品の箱があるからダメだ」
「お膝に乗せてしゅ!」
「オレの膝は、可愛い女の子専用だ」
「女の子見たことないしゅ」
「いつの日か、きっと現れるとオレは信じている」
「いまはボクしゃんが使うしゅ!」
「だから、女の子専用だ。お前にはついているだろ」
「お膝がダメなら、オンブしてしゅ」
「背負ったら、オレまで壁や天井にぶつかるだろう」
「ボクしゃんが箱を持つしゅ。ウィルしゃんがボクしゃんを持つしゅ。それで解決しゅ」
「その手の冗談は、明日言ってくれ」
ララは2人を知っていた。
ウィル・バーカー、ムー・ペトリ。エンドリア王国の王都ニダウで古魔法道具店を営んでいる。商品を届けに行くところなのだろう。
「お膝に乗せてくれないと異次元モンスターを召喚するしゅ」
「小さいのにしておけよ」
「本当にやるしゅ」
「しかたないなあ」
馬車が走りだしてから、2人はずっと話している。
御者は走りだした時には、怒りと心配とイライラしていたが、時間が経つにつれて収まっていっている。
ウィルが上下左右、ランダムに動く馬車にいながら、普通に話して続けていることで安心したようだ。
ララも、どうやってこの暴れ狂っているような動きから逃れているのか知りたいが、後ろを振り向いて乗っていることを知られてたくない。
「ねえ、あれ、あれよね?」
モイラがララに小声で聞いてきた。
「ええ、あれです」
「なんでいるのかしら?」
「商品を届けに行く途中のようです」
「私のいいたいのはそういうことではないの。この馬車に乗らないで欲しかったということなの」
悲しみと不快が混ざった声でモイラが嘆いた。
他の乗客もイライラしているようだ。
「ムー、少し黙れよ。他のお客さんに迷惑だ」
「黙ると、酔いそうしゅ」
「酔いやすいんだからスレイプニル馬車は無理だと言っただろ。途中で降りろ」
「イヤしゅ。ルギスコウモリの雄の分泌液は今しか取れないしゅ」
モイラが「あっ」というのがララの耳に届いた。
乗客の何人かもムーの言葉に反応したようだ。
囁きが車内のあちらこちらでする「その時期か」とか「しまった」とかいう声が聞こえる。
「どうかしました?」
ララがモイラに小声で聞いた。
「ルギスコウモリの雄の分泌液は、闇系の魔法薬に使われるのだけれど、手に入りにくいの。高額なのはもちろんのことだけれど、品物自体が品薄で魔法材料店にもなかなか出回らないの」
モイラが右手をギュッと握った。
「ムー。お前にコウモリを捕まえられるのか?」
「大丈夫しゅ。昨日つくった【コウモリさん、いらっしゃい】の呪文を唱えれば、いっぱい飛んでくるしゅ。そこを、ウィルしゃんが捕まえるしゅ」
「やっぱ、オレかよ」
「ボクしゃんが分泌液を絞るしゅ。また逃がしてあげるしゅ」
「本当に高く売れるのか?」
「売れるしゅ。手伝ってくれたら半分あげるしゅ」
「オレが半分売るとして、残り半分で変な薬をつくるんじゃないだろうな?」
「大丈夫しゅ。薬には使わないしゅ」
「何に使うんだ?」
「キャンディしゅ」
「分泌液からキャンディが作れるのか?」
「違うしゅ。ペロペロキャンディにかけて食べると、とってーーも美味しいんだしゅ」
モイラは握った右手を、さらに強く握り込んだ。指のうごきに支障が出そうに思えて、ララはモイラの右手に自分の手を重ねた。
「………ごめんなさい」
モイラが握った手を開いた。
「貴重な材料をキャンディにかけて食べると聞いたら冷静でいられなくて」
モイラの目にうっすらと涙が浮かんでいるのがララに見えた。
黙れ。
ララの怒りが届いたのか、ムーはしばらく黙っていた。
ウィルはよく勘違いされるが、寡黙な方だ。
車内は静かになった。
だが、その静けさは5分ほどしか持たなかった。
「うげぇーーーー!」
「ほら、無理だろ」
「だ、大丈夫しゅ」
「おい、窓の外に首を出すのは危ないぞ。これだけ揺れていると、首が切れるぞ」
「ここで……いいしゅか?」
「御者さん!ここで吐いてもいいですか!」
「吐くなら降りてください」
「ほらな」
「わかった……しゅ。ダジガ……しゅ」
「あー、あれか。乗り物酔いに効く異次元モンスター」
「うぎゅ……げっ…」
「その状態だと呪文もまともに唱えられないだろ」
「ララ……しゃん。薬……持って……」
「そういえばララが乗っていたな」
見つかっていたかと、ララは唇を噛んだ。
「でもな、あの腐ったイチゴ色の髪をわざわざ黄色に染めているんだぞ。見なかったふりをするのが、卒業試験の仲間の優しさってやつじゃないか?」
腐ったイチゴ色。
自慢の赤毛を、ウィルはそう思っていた。
目の前が赤くなった。
「大丈夫?」
モイラの声に、息を深く吸い込んだ。
落ち着かなければ。
「生……なま……クリーム……」
「そういえば、ホップス大佐も乗っていたよな」
車内が一気に緊張した。
ララも名前だけは知っていた。
シェフォビス共和国の特務工作員だ。
「くす……薬…………」
「無理に決まっているだろ。ホップス大佐の得意技は札による爆殺だ」
ホップス大佐は”札使い”とララは新たに手に入れた情報を頭に刻み込んだ。
「…札……ある……しゅ…」
「札に酔い止めがあるのか?」
間があった。
「そうか、あるんだ。すみません、ホップス大佐。酔い止めの札があったらくれませんか!」
ララは体を動かさず、目だけを車内に走らせた。
誰も動かない。
乗客のほとんどが、誰がホップス大佐なのかと探っている。
「持ってないみたいだ」
「………ぜ、ぜ……ゼリー………」
「ゼリーじゃなくて、ジェリーだと何度も教えただろ」
「…いた………」
「そりゃ、いたけどなあ。あの人の専門は糸だろ。針なら治療の方法があるだろうけど、糸じゃなあ」
【鋼線使いのジェリー】
凄腕のフリーの暗殺者だ。
同業者だが、こちらも名前だけしかララは知らない。
「……針………ララ……しゃん」
「ララのやつ、酔い止めの針が使えたかなあ。あ、ダメだ。この間、吹っ飛ばしたばかりだろう」
再び、深呼吸をして気持ちを落ち着けた。
隣のモイラが心配そうな顔をしているので、微笑んで大丈夫であることを伝えた。
先日、ララと仲間たちは、深夜の山中で複数のギルドと連携して、禁呪使いの魔術師を追いつめていたのだ。あと少しと言うところで、禁呪使いの魔術師もララもララの仲間も他のギルドの暗殺者も、まとめて数キロ先まで吹っ飛ばされたのだ。
犯人はムー。ウィルと2人で、大型の草食竜から美味しいと評判の尻尾を切断に挑戦していたのだ。それに巻き込まれたことをあとから知った。
禁呪使い魔術師は捕縛できたが、許せるかと聞かれたらNoに決まっている。
「………ボク…しゃん…」
「わかっている。ムーは悪くない。オレも悪くない。あの件はオレ達のせいじゃない。オレ達が先に竜を見つけて、尻尾を切ろうとしていたのに、そこに飛び込んできたララ達が悪いんだよ。禁呪使いの魔術師を追っていただって、オレ達に関係ないだろ。文句を言う方がおかしいんだよ。どう考えたって逆恨みだろ」
「あれは彼らだったの」
モイラが呆然としている。
あのミッションにモイラもいた。吹っ飛ばされたときに左腕を複雑骨折して、高額な魔法治療で治したはずだ。上司から犯人を教えてもらったときには、まだ病院にいたから知らなかったらしい。
「落ち着いてください」
「そうね。いまは大事なときだから我慢するわ。でも、殺したいわ」
モイラの口元がゆがみ、狂気を含んでいる。
客席の前方からも、怪しげな雰囲気が漂っている。
あの辺りに座っていた知り合いの暗殺者達もミッションに参加していた。彼らも化け物のおこした強烈な風魔法に吹っ飛ばされていた。無傷だったとは思えない。
「……け…け……ケッ……」
「ケ、だけでわかるかよ。最初にケのつく名前の人が3人も乗っているんだぞ」
ララは頭痛がしてきた。
この調子だと、ウィルは乗客のほとんどと顔見知りの可能性がある。
後ろの誰かが立ち上がった。
「私の名前は呼ばないで欲しいものだな。ウィル・バーカー」
「おや、ヒンスさんも乗っていたとは気づきませんでした。よろしければ、酔い止めの薬をわけていただけませんか?」
小さな風切り音がした。
「オレが欲しいと言ったのは酔い止め薬で、毒つきナイフじゃありません」
「私は名前を呼ばないで欲しいといったはずだが」
「うっかりしました。お詫びにいいことを教えます。あなたが追っている【死に損ないのファビウス】は、先頭から5番目の席にいる赤毛の少女です」
動く気配と同時に金属がぶつかる音がした。
赤毛の少女と目つきの鋭い壮年の男が、ナイフを交えている。
「なぜ、私を裏切った。ウィル」
「裏切る?オレ達を殺そうとした奴に言われたくない台詞だよな」
車内が殺気立っていく。
このままだと、乗客のほとんどがウィルを襲う。
「殺していいわよね」
モイラが呟いた。
その声を聞きながら、ララは違和感に気がついた。
何かがおかしい。
ウィルは、アホで、間が抜けていて、そそっかしくて、勉強が苦手だが、バカじゃない。
運だけで生き残ってきたわけじゃない。
つまり、意図的に名前を出して、暗殺者の集団をあおっている。
理由を考えたが、ララには答えが見つからなかった。
ファビウスとヒンスが離れた。
次の行動に移るとき、乗客の何人かはウィルを襲う。放っておいてもウィルのことだから死にはしないだろうが、時間が無駄になるおそれがある。
ララは座席の背もたれの上に飛び乗った。
激しく揺れているが仕事モードのララには、難しいことではない。
「ウィル、話に乗ってあげる」
「助かったーー。そろそろ、誰か乗ってくれないとヤバいところだったんだ」
ホッとした顔でララを見た。
見なくても、乗客達が2人を注視しているのがわかる。
「そちらの条件は?」
「オレはこの箱をルギスに届けたい。理由ありの品でタイムリミットがある。日が沈むまでに届けないとやばいんだ」
「こちらが協力するだけのものを提示しなさい」
「この馬車に乗っているのはオレッゾ国の反乱を鎮圧に行く人達だよな。違うか?」
「おそらくね」
「余分が3人いる」
「3人?2人ではないの?」
車内の空気が変わった。
2人まではわかる。
右側の席、前方から3番目の窓側に座っている青いドレスの女性。
左側の席、後方から2番目に通路側に座っている老人。
この2人からは血の匂いがしない。
「そうなんだよ。3人目がやっかいなんだ。悪いんだが、こいつをなんとかしてくれよ」
「ウィル。やって欲しいことばかりでなくて、あたしに利があることを言いなさいよ」
「わかった。右、前から3番目の女性、ゴフ参謀長」
「えっ!」
殺しにいくはずのターゲットが同じ馬車に乗っている。
「左、後ろから2番目の席にいるのがギルグッド将軍」
「ちょっと、自分が何を言っているのかわかっているの!」
「ええとですね、お二人は恋仲でして、シェフォビス共和国でデートを楽しんでいるときに反乱がおきたんです。勘違いされないように言っておきますが、お二人とも独身です。今回、シェフォビス共和国に来たのも結婚指輪の購入のためです」
「あんた、2人と知り合いなの!」
「まあ、ほれ、いろいろと………」
ウィルが恥ずかしそうに頬をポリポリかいた。
顔見知りらしい。
「オレがお二人と今回同乗することになったのは、偶然です。オレは反乱には関係していません。反乱をどう納めるかはお二人と皆さんで話し合って決めてください。オレは箱を届けに行かなければならないので」
「相変わらず、わけのわからない不幸の呼び方をするわね」
「その言い方はグサッとくるからやめてくれよ」
「そうなら、さっさと言いなさいよ。何で名前をばらしたりしたのよ」
「オレの盾にしていた」
「何を言っているの?」
「ムーが車酔いで使えないのに、やっかいな奴に狙われていて、動けると思うのか?」
ウィルの乗ってからの言動。
乗客をあおって、常に自分に注意を向けさせていた手法。
「あんた、あたしたちを刺客からの盾にしていたのね」
「だから、そう言っているだろ」
乗客を盾にしていたウィル。
そうなると刺客の位置は限られてくる。
「なんで、乗るときに気づかなかったのよ」
「憑依型だと思う。やっかいすぎて涙がでそうだ」
「標的はあんたで間違いないの?」
「いや、オレッゾ国の2人だ」
「それなら、あんたが脅える必要はないでしょ」
「出発して少して、ムーが馬車に酔った頃からオレ達に変えたんだよ。なんでだろうな?」
ウィルが首をひねっている。
「わかるの?」
「何が?」
「ターゲットを変更したことが」
「そりゃ、わかるだろう」
いつものボッした顔で言われた。
このとぼけた顔を力一杯殴りたいとララは思った。
3人目の存在をララは感知できなかった。ターゲットの変更は、教えられていてもわからないだろう。
「オレとしては、十分すぎる礼金を払ったと思う。この箱をルギスに届けるための手伝いを頼みたい」
「具体的には?」
「この馬車が予定通り午後3時にルギスに無事につけばいい」
簡単そうで、恐ろしく難しい注文を言った。
「わかったわ。あたしはウィルの話の乗る。他に乗る奴はいる?」
提示したのはオレッゾ国の2人と反乱鎮圧の話し合いに参加するため権利。
それを手に入れるには、ウィルの要望を聞くこと。
乗客が次々に立ち上がった。
「オレは乗る」
「私も乗るわ」
半数強の乗客が立ち上がった。
「これで締め切るわよ」
残りの乗客は立たなかった。
「さて、そろそろかしら」
ララがジャンプした。
参加を表明した乗客も一斉に飛びかかる。
標的はウィルを狙っている憑依された人物。
最後尾に座ったウィルが乗客を盾にする場所。
つまり、先頭に座っている人間。
「さようなら」
御者が顔をあげた。
笑みが浮かんでいた。
本能でララは身体をひねった。
空中に忽然と現れた水球に巻き込まれ、数人が悲鳴を上げて落下した。
「やはり、ウォジャノーイか」
座っていた乗客のひとりが言った。
「倒すのは厳しそうだな」
農夫の格好をしている。
「こいつを知っているの?」
「私より、ウィルの方が詳しいのではないか?」
ウィルをにらんだ。
「え、オレ?オレ、知らないと思うんだけど」
農夫が薄笑いを浮かべた。
「ラトス水郷を救ったのはお前たちだろう」
「救ったというか、クランベリー畑があったんで、こっそり収穫していたら変なのがいて、ムーが吹っ飛ばして………もしかして、あれ?」
「あれだ」
「あれは人間じゃなかったような」
「ウォジャノーイは水の精霊の一種だ。人を捕まえて奴隷にする。おそらく、その御者は憑依ではなく遠隔操作されているのだろう」
「すると、この御者を殺しても、操っているウォジャノーイはダメージを受けないということか?」
ウィルの問いに農夫の格好の男がうなずいた。
「そうだ。どこかに潜んでいるウォジャノーイ本体に直接攻撃をするしか方法はない」
「なんで、ウォジャノーイがこの馬車の御者を操っているんだ?」
「ウォジャノーイは人間が嫌いで、人が苦しむことを喜ぶ。今回も誰かと組んでオレッゾ国の反乱に手を貸していたのだろう。反乱を完成させるために御者を操り、将軍と参謀長を殺させる予定だったのだろうが、恨みのあるお前たちが乗ってきたのでターゲットを変えたのだろう」
「なるほど」
うんうんとうなずいている。
「ウィル、ウォジャノーイの恨みを買っているのはあんたたちでしょ。さっさと倒してきなさいよ」
「本体がどこにいるのかわからないのに?」
「どこにいるのかはわからないが、遠隔操作が届く範囲にいるはずだ。ムー・ペトリならば可能ではないか?」
「そうよ、ムーなら遠距離攻撃はお手のものでしょ」
「こいつを見てから言えよ」
ウィルが右腕に抱えているムーを持ち上げた。
両手で口を押さえて、ぐったりしている。
「……うぐっ………」
「ムーなら詠唱いらないでしょ」
「印を結ぶにしても、手を離したら、ドバッ、だぞ」
前方にいた魔術師が、杖を掲げ祈り始めた。
「我は祈ろう、大いなる力よ
命を司る 銀の清光よ
聖なる祈りにこたえたまえ」
白い光が、杖の先に降りてくる。
「あれ、なんだ?」
「ホーリー系の魔法よ」
「あれだと、ウォジャノーイの支配から解放させられるのか?」
ララは答えなかった。
理論は正しい。だが、あの【ウォジャノーイ】という水精霊、かなり強力だ。簡単に解放できるとは思えない。
予想以上の差だったらしい。戦いに入る前に杖が壊れた。
「なあ、ララ」
それまでは遠慮していたらしく、名前を呼ばなかったウィルだが、面倒くさくなったらしい。
「なによ」
「オレ達がウォジャノーイをなんとかしたら、ルギスまで夕刻までに確実に送ってくれるか?」
「交渉する相手を間違えているわ。ここで移動手段を用意できる相手、ギルグッド将軍かゴフ参謀長とすべきだわ」
「オレ達との直接交渉には応じてくれないと思うんだ」
「あんた、また何かしたの?」
「まあ、ちょっと………」
こいつが卒業試験の仲間だという過去を抹消したいと、ララは心から思った。
馬車は激しく揺れている。
【ウォジャノーイ】とかいう精霊は、御者を通してこちらの様子を伺っている。
ララは前方にいるゴフ参謀長の側まで移動した。青いドレス、豊かな茶色の髪は軽いウエーブがかかり肩に流している。資料で軍服姿の肖像画は見ていたが、別人としか思えないほど違っていた。
「あそこにいるウィルの代理できました。精霊に支配された御者を排除する代わりに夕刻までにルギスにつく移動手段を提供して欲しいそうです」
「断る」
強ばった顔。
ウィルの名を聞くものイヤなようだ。
「ウィル達ならば、御者だけでなくウォジャノーイという精霊も討伐できるかもしれません。ウォジャノーイを倒すことはオレッゾ国の為には必要なことだと思われます」
「あの男……」
ゴフ参謀長がギリリと歯ぎしりをした。
「………カバの模様だといったのだ」
「カバ?」
「結婚指輪をギルグッドと一緒に買って、宝飾店から出た時だ。私たちはとても幸せだった。そのとき、ショーウィンドウを見ていた2人が飾られたペンダントを指して『カバの模様だ』と言ったのだ。そのペンダントには私たちが買った指輪と同じ文様を彫金されたいたのだ」
振り向いた。
ウィルが首を横にブンブンと振っていた。
「オレじゃない。言ったのはムーだ。ムーが『ドドレスカバの文様と同じだしゅ』と言ったんだ」
「ドドレスカバ?」
「見たことないか?こう、鎖がつながったような模様が腹をぐるりと回るようにあって、ペンダントの文様はそれとそっくりだったんだ」
乗客の数人はこらえきれなかったようだ。忍び笑いの客席からした。
「一発殴らせろ」
ゴフ参謀長が言った。
「ウィル、聞こえた。一発殴らせれば交渉に応じるそうよ」
「イヤに決まっているだろ。オレは善良な道具屋だ、一般人だ。軍人に殴られたら死んじまう」
「一発ぐらい我慢しなさいよ」
「それなら、ララがオレの代わりに殴られてくれ」
ゴフ参謀長が自力でウィルを殴るのは不可能に近い。
作戦を変更するしかない。
今回のララのミッションはオレッゾ国の反乱の鎮圧。
「考えたら、ウィル、あんたのことはどうでもいいのよね」
「はあ?」
ララは注意深く御者席に近づいた。
「呼び方はウォジャノーイでいいのかしら?」
「その様子だと私と交渉するつもりかな」
御者が微笑んでいる。
「ウィルとムーを倒すのを手伝ってあげる。代わりにオレッゾ国の反乱から手を引いてくれない?」
「ララ、オレを売る気か!」
ウィルが叫んでいる。
「手伝いは不要だ」
「あの2人の強さを知らないの?本気になれば、世界を滅ぼせるわよ」
「オレは善良な一般人だ。世界を滅ぼすとか言うなよ。信じるやつがでたら、どうするんだ!」
「魔力を使えるのは、あの小柄な少年だけだろう。あれほど弱っているならば、私一人で倒せる」
「みんな、そう思うのよね。でもね、問題はあっちのアホ丸出しの方なのよ。あれが倒せないから、チビまでたどり着けないのよ」
「オレを戦いに巻き込むなよ。仕事でルギスに行こうとしているだけなんだ。ルギスにさえ行ければいいんだよ」
「ならば、試してみよう」
高速で回転している水球が現れた。ウィルに向かって飛んでいった。ウィルは素早く避けたが、すぐに方向を変えてウィルを追った。
追尾魔法がかかっているようだ。
「危ないといっているだろ!」
ムーと箱を左右に抱えた状態で、背もたれを次々に飛び移って避けた。そして、ララの目の前に降りた。
「ほい」
箱を渡された。
「ちょっと、これは」
ウィルがすぐに屈んだ。水球が頭の上を通過する。
箱を渡して身軽になったウィルが、再び背もたれに飛び乗ろうとしたとき、前に若い男が飛び出した。
ウィルが水球に当たるように、進路を妨害したのだろう。
ウィルはその男の肩に空いた左手をかけると、弾みをつけて、男の肩に飛び乗った。
水球が若い男に直撃した。
「ぐふっ!」
ウィルがいなくなったことで水球の進路に入っていた。直前までウィルの身体で水球が見えず、気がついたときには肩にいるウィルが重石となって逃げきれなかったらしい。
若い男の右腕が曲がり、腹がくぼんでいた。男が通路に倒れると、床に血反吐が広がった。
「治癒系の人いませんか。いないと困るんです。治療費は、自業自得で本人が払うか、攻撃したモンスターに請求するのが筋だと思うんですけれど、このようなケースだと、なぜか、オレに請求がくるんです」
ウィルがバックステップで後ろに戻っていく。
床に倒れた男の隣に座っていた女性が、男を側に駆け寄った。手から白い光があふれだす。
「ウィル、この箱」
「【アングリィの首】ちょっと預かっていてくれ」
「嘘でしょ」
ルギスで作られる呪詛系アイテム【アングリィの首】
術者は1000人の人間の血を飲み、自らの首を切り落とす。そうして作られた【アングリィの首】は、呪いの成功率が非常に高いが、反動も大きい。
偽物が多く、本物は魔法協会本部の地下倉庫か闇ギルドにあるものくらいだとララは聞いていた。
「夜になると目を覚ますんだ。だから、夕方までにルギスにつかないと危ないんだ」
「こんなもの、持ち歩かないでよ」
「オレの仕事は古魔法道具店だぜ。しかたないだろ」
【アングリィの首】の扱い方などララにはわからない。
身体から離すようにして、箱を持った。
「なるほど、厄介であることは間違いないようだ」
御者がウィルを見た。
「オレとしては、ルギスに行ければ良かったんだよ。オレッゾ国の反乱を放置するのは、善良なオレとしては心が痛むから、提案したんだけどな」
ウィルが飛び上がるのと、御者が飛びかかるのがほぼ同時だった。
「何を考えている」
位置が入れ替わっていた。
ウィルが御者台に、御者が客席の通路に。
「一石二鳥の作戦」
笑顔のウィルが御者台から、ムーを前方につり下げた。
「好きなだけ吐いていいぞ」
「うぎぇーーーーーーーーー!」
吐瀉物がスレイプニルの背中にかかった。
スレイプニルがいなないて、スピードを上げた。
「バカなことを!」
農夫の格好をした男が背もたれから背もたれに移動して、御者に近づかないようにしてウィルの所に移動した。
「手綱を貸せ」
「ダメです」
「スレイプニルは匂いに敏感だ。止めて、背中を洗わないと」
「匂いに耐えきれなくなったスレイプニルが、暴走してくれることがオレの目的なんですよ」
ルギスに夕刻までに行ければいい。
ウィルの目的は達せられる。が、ララのミッションは失敗になる。
「ウォジャノーイ、何をしているのよ。早くウィルを倒しなさいよ!」
「人の世の情とは移ろいやすいものだ」
「あのね、こいつは元々、殺したい相手。あたしの獲物。超生命体の庇護にいるから合法的に殺せないけど、いつも殺したいと思っているわ」
「ララ、こんなに大勢いるところで言うことないだろ!」
「文句があるなら、あたしに殺されなさいよ」
「イヤに決まっているだろ!」
ウィルに抱えられていたムーが「よいしょ」と降りた。
「はあ、すっきりしたしゅ」
「あんたは出てこなくていいから」
「しゃっぱー、で、魔法を打ちたい気分しゅ」
「やめなさいよ!」
怒鳴ったララの声が打ち消されるほどの怒号が飛んだ。
「打つな!」
「死ね!」
「打ったら殺すぞ!」
動いたのはウォジャノーイだった。空中にいきなり出現した水球が、ムーに向かっていく。
「はぅしゅ!」
爆発音がした。
屋根が消えていた。
貸しクッションが風に飛ばされて、後方に次々落ちていく。
「うまくいかないしゅ」
「見たことないな。新作の魔法か?」
「こう、水平にいく予定だったしゅ」
「斜めだな。どうせ斜めなら、もう少し上にすれば消えなかったのにな」
のんきな声でウィルが言った。
「ヤバヤバしゅ」
「大丈夫じゃないか。あの辺りは廃坑で人はいないはずだ」
ウィルの視線の方向、馬車の後ろを見るためにララは振り返った。
なくなっていた。
先ほどまであった山肌がむきだしだった山の、山頂付近が消えていた。
「化け物だな」
ウォジャノーイの声がした。
通路にうずくまっている。
「早く倒しなさいよ。これ以上自然破壊をしたら、あんたに請求書を回すように魔法協会に進言するからね」
「何を……」
「とっとと倒しなさいよ」
ジャンプしてウォジャノーイの後ろに回ると、御者の尻を蹴飛ばした。
「何をする」
「あたしはこの箱を持っていて、あいつらを倒せないの。あんたが頑張りなさいよ」
「そうだ、頑張ってくれ」
「ムーを殺せ!」
「ウィルも頼む」
「裏の懸賞金はムーだけでも金貨200枚はかたいぞ」
「本当か!」
ウィルが食いついた。
「どこの組織の持って行けばいい?」
本気のようだから、ララがわかりやすく教えてあげた。
「死体であること。これが絶対条件よ。ウィルやムーを生きている状態で側に置きたい人間がいると思う?」
「いる」
力強く断言した。
「桃海亭住人をのぞいて」
「難しいところだよな」
「そういうこと。ムーは殺せないでしょ」
「しかたない。あきらめるか」
「ボクしゃんもあきらめるしゅ」
「何をあきらめるんだ?」
「ウィルしゃんを売ることしゅ」
「オレ、売れるのか?」
「死体なら金貨10枚ってところかしら?」
「ムーの20分の1か。やっぱ、善良な人間は安いんだな」
ウォジャノーイが動いた。
人間とは思えないジャンプ力で御者席の真上まで飛び上がると、水の破片が無数にウィルとムーに襲いかかった。
「はうしゅ!」
白い光で破片は消滅。
さらにウォジャノーイに操られている御者は、ウィルがいなくなった御者台にたたきつけられた。
「これでもムーは目一杯力を押さえているんだぞ。次にやったら、無事ではすまないぞ」
「………この御者が死ぬぞ」
「ボクしゃん、やるしゅ!」
「やめろ」
「新作ならばっちりしゅ!」
「新作で人体実験はとするなと言ったはずだ。この間、ゴキブリに変身させて、逃げられて大変だっただろうが!」
「しかたないしゅ。今回は亀しゃんにするしゅ」
「亀ならいいか」
変わらない。
実験が大好きなムーも、適当で大雑把なウィルも。
「行くしゅ!」
ムーが構えた。
御者がジャンプした。人間の力を明らかに越えている。魔法で補っているのであればいいが、人の筋肉を酷使していた場合、続けていたら御者の命が危なくなる。
「ほいしゅ!!」
何もおこらない。
かけ声だけだと気づいたときには、御者が通路にたたきつけられていた。
落としたのは、ほっそりとした細身の青年。女性のような細面だが白いローブに包まれた体つきは男性だ。
「助かった」
青年の後ろからウィルがひょいと顔を出した。
攻撃が苦手なウィルが、青年に代わりに攻撃してもらったらしい。
「代金は払えよ」
「金はない」
「身体で払え」
「え、オレ、そっちの趣味はないんだけれど」
青年の手刀の早さは、ララの想像をはるかに越えていた。
それをウィルはかわした。
「例の場所で、あれを手に入れてこい」
「あそこは、ちょっと」
「来月末まで待ってやる。忘れるなよ」
そういうと青年は座席に戻って、飛ばされずに残ったクッションを集めて座った。
床にたたきつけられた御者が起きあがろうとしたが起きあがれなかった。手足の骨が何本か折れているようだ。
「取り引きしないか?」
ウィルが、軽い足取りで近づいていった。
「取引だと」
「御者の体はもう壊れちまって使えないだろ?一度、そいつを解放して、また別の奴を操らないか」
「なぜだ?」
「あんたの本来の目的はオレッゾ国の反乱を成功させ、国を混乱に陥れることだろ?オレはこの馬車でルギスに行きたい。だから、今回はオレ達を見逃してくれよ。オレッゾ国の反乱の成功させるには今しかないが、オレ達を殺しに来るのはいつでもできるだろ?」
御者が口から血が滴った。
「………ここは引こう。だが、忘れるな。お前たちは必ず殺す」
「待っているから、安心して反乱を成功させてくれ」
御者が首をがっくりと仰け反らせた。
白目をむいている。
意識がないようだ。
「どうだ?」
ウィルが聞いた。
「ほいしゅ。追跡できたしゅ」
ムーが答えた。
「よっしゃ、行け!」
「いくしゅ」
ムーが右手をあげた。
天空から炎が落ちてきた。
周囲を赤く照らし、赤とオレンジが渦巻く柱が数キロ先に立ち上がった。高温の柱の根元からは水蒸気がモウモウとたちあがっている。
「予想通り湖に潜んでいたな」
「ばっちりしゅ!」
ムーが左手をあげた。
両手の指をヒラヒラさせている。
「………君たちは、自分たちが何をしたのかわかっているのか」
低い声で言ったのはギルグッド将軍。
顔面は紅潮して、額には何本もの青筋がたっている。
「君たちが炎の柱を立てた湖はオレッゾ国の唯一の水源であり、漁場でもある。水温が上がれば、湖の生態系だけでなく、湖から流れ出ている川下の農作物にも影響が……」
ムーが右手をおろした。
青い光が天空で拡散した。
轟音が響き、巨大な氷の柱が炎の柱を粉砕して、湖につきたった。
「冷却完了しゅ!」
「冷たすぎないか?」
「ここらは冬凍るしゅ」
「なら、いいか」
将軍の口がパッカリと開いている。
ウィルが御者台近くにいるララのところにやってきて、【アングリィの首】を受け取った。
ムーはひとりでは激しく揺れる馬車に立っていられないようで、通路に腹ばいになった。べったりと床にくっついている。
「反乱に一役買った悪いモンスターはオレ達が退治しました。皆さん、オレッゾ国の反乱の鎮圧、頑張ってください」
ウィルが笑顔で言った。
「なぜ、殺した!」
「ウォジャノーイが首謀者であった場合、計画の全貌がわからなくなるかもしれないんだぞ!」
「方法はいくらでもあっただろう!」
「あの柱をどうするつもりだ!」
延々と続く罵声をウィルは笑顔で聞いていた。
罵声が一段落したとき、別の男の叫びが客席に響きわたった。
「大変だ。スレイプニルが止まらない!」
農夫の格好をした男が手綱を握っていた。
スレイプニルを止めて、体を洗おうとしていたのだろう。
「このままだと力つきるまで暴走するぞ」
ララが考えたのは、オレッゾ国のターミナル付近でスレイプニルを殺して馬車を止めること。可哀想だが、現状では最善の方法だ。おそらく、他の乗客も同じ行動をとるだろう。
ウィルが笑顔で言った。
「オレッゾ国の反乱関係者の皆さんにお願いします。オレとムーはどうしてもルギスに夕刻前には到着したいと思っています。スレイプニルを殺されると困りますので、それなりの対処をとらせていただきます」
「何をする気?」
ムーが通路をコロコロと転がって、ウィルの足下で止まった。
「ムーの魔法陣が完成しました。これでムーがまた車酔いで動けなくなっても、オレだけでなんとかなります」
通路には小さな魔法陣が書かれていた。
腹ばいになっていた時、素早く書いたらしい。
数人の魔術師がムーの魔法陣を見たが、首を横に振った。解析できないらしい。
正体不明のムーの魔法陣。破壊するのは危険だ。
狙うのはウィルか、ムーか。
「おっと、皆さん、動かないでください。そいつが発動すると、かなり
やばいことになります」
油断した。
ララは頭に血が上りそうになるのを深呼吸で押さえた。
わかっていた。
ボッとした顔で、覇気がない。
魔法は使えない。
逃げることしかできない。
だが、百戦錬磨だ。
ウォジャノーイを倒すとき、ムーと一言も打ち合わせていない。目もろくに合わせていないのに、抜群の連携で倒した。
「馬車が激しく揺れていますが、それを理由に動かないでくださいよ。皆さんが、それなりの体術を使えことはわかっています。オレも魔法陣を発動させたくありません」
ウィルは、早い。
動きも早いが、判断も早い。
発動させるとなれば、ためらわないだろう。
ララ達は、数でも、能力でも、圧倒的に勝っているのに、ウィルの言うなりになるしかない。
ウィルが笑顔を浮かべた。
「そろそろ、オレッゾ国ターミナルを通過します。皆さん、途中下車、頑張ってください」
爆走するスレイプニル馬車からの途中下車。
浮遊系の魔法も使えない者には命がけになる。
「覚えていろよ!」
「絶対に殺してやるからな」
再び降ってくる罵声の雨を、ウィルは笑顔で聞いていた。
「それでどうなった?」
笑いをかみ殺した上司のユーバンクが話の続きを促した。
「乗客数人を除いて、反乱鎮圧のために共闘することになりました。ギルグッド将軍及びゴフ参謀長を浮遊系の魔法を使える魔術師数人で無事にターミナルに着地させました。残りは自力で着地。本物のお二人が戻ったこと、ウォジャノーイが消滅したことで、内部の反乱軍は無抵抗で降伏しました。あとはご存じのように権力はギルグッド将軍に戻りました」
「ミッションは成功というべきかな」
「私的には失敗です」
「桃海亭がからんでいるんだ。気にするな。それより、モイラ、どうした?」
ララより一歩さがったところにいるモイラにユーバンクが声をかけた。
部屋に入ってから、一言も話さずうつむいている。
「……これほど屈辱的な仕事は、初めてです」
「その台詞、この間の禁呪使いの魔術師の時も言っていたぞ」
「あれも、桃海亭が関わっていたのですね」
「そういえば、モイラには言っていなかったな。まあ、桃海亭のことは気にしないことだ。そうだろ、ララ」
「【あれ】はこの世のゴミです。いなくてもいい2人組です」
「卒業試験の仲間をそこまで………悪かった」
「記録からも記憶からも消しておいてください」
「そういえば、前回の件で桃海亭からお詫びの品が届いていた」
「お詫びの品?あの2人に買う金があるんですか?」
「草食竜の尻尾の干したものだそうだ。先に少しいただいたが、オレがいままで食べたもののなかでも1、2を争うほどうまかった」
「お腹こわしませんでしたか?あの2人が作ったもの…………あっ!」
「同居人からだろうな。同封されていた詫び状も流れるような流麗な筆跡だった」
「あの子は本当に良い子なんです。料理も上手で、気配りもきいて、字も綺麗なんです」
「ララ、姉馬鹿が顔に出ているぞ」
「あの2人を殺して、桃海亭がなくなったら、私が引き取って育てるんです」
「無理だろ」
「あの子に美味しいものをいっぱい食べさせて、可愛い服を着せるんです」
「ララ?」
「モイラ、放っておけ。同居人のことになると、ララの脳内がピンクの花で埋まるのはいつものことだ。それよりも、大丈夫か?」
「何がでしょうか?」
「桃海亭のことはあきらめろ。間違ってもあの2人を殺そうと思うな」
「思っていません」
「今回のことで他の組織の奴と顔見知りもなっただろう。ほとんどの組織が桃海亭には遺恨がある。手を組んで倒そうという誘いがあるかもしれないがのるなよ」
「……どうしてですか?あの2人がララの友人だからですか?」
「あたしの友人?ふざけたことを言わないでよ!」
「ララ、職場で”あたし”は使わないように」
「申し訳ありません。あの2人のこととなると感情的になってしまって」
「あの2人に関わるとろくなことがない。これだけは確かだ。私は君を失いたくない。わかってくれるね、モイラ」
モイラは黙っている。
その手をララはギュと握った。
「もし、あの2人を殺すときは私にも言ってね。手伝うわ」
「ララ、私の言ったことが聞こえなかったのか?」
「ただし、あの2人を殺せるという確信が持てるだけのプランを作ってちょうだい」
「ララ………」
「他の組織に頼る。冗談でしょ。殺るなら、自分の手で、プライドのすべてを賭けてあの2人を殺しましょう。それならば、いいですよね?」
「わかった。そのかわり、実行に移す前に私に作戦のすべてを見せること。それならば認めよう」
「ありがとう、ララ」
モイラだけでなく、上司のユーバンクからも感謝のまなざしが届いた。
あの2人にプライドをズタズタにされると、理性を失い、正道を落ちていくきっかけにもなる。モイラもその道に一歩を踏み出しそうだった。それをララは防ぎたかった。
「私が知っていることは、何でも答えるわ。あの2人を倒す計画を完成させてね」
ここは本気で言った。
絶対に殺す。その意志は変わらないのに、未だにかなっていない。腐れ縁はなかなか切れず、シュデルとも一緒に暮らせない。
「待っていなさいよ、ウィル、ムー。そのとぼけた顔を二度と見ないですむようにしてみせるから」
決意を新たに拳を堅く握った。
そして、エンドリアに向かって、ララは高笑いを続けたのだった。