二話 『現出の悪魔』
や、やっとだー!次回一纏め入ります。あ、一章はまだまだ続きますよー!
ズズッ、と液体を酌む音がする。それは銀髪赤眼の少年が、ロザリーが煎れた茶を啜る音である。喉の渇きを訴えていた……と言ってもぼやいた程度であるが……少年は湯気の昇る暖かい茶を飲むことによってホッと溜息を漏らしていた。
勿論それは身体の芯から暖まるような感覚に苛まれたためであろう。苛まれた、などと言っているが、少年に害為す、と言った物ではなく、飽く迄その感覚によってでた、好感的反応である。
「美味しいね。また上達したんじゃないかな」
それは世辞などではなく、素直な賞賛の言葉であった。それを聞いたロザリーの気が悪いわけがない。少し嬉しそうな顔をして、それもまた照れくさそうに答えた。
「まあ、君が来てから結構になるし、頻繁に御茶請けしているさね。こうもなるさね」
「結構になる、かあ。そう言えばもう七年になるんだね、あの日からそんなに経ったのか……時間が過ぎる速度は思ったより早いようだ」
「そしてこれが君の最後の年でもある」
不穏な言葉がロザリーの口から小声で、小声で発せられた。勿論それが少年の耳に届く筈はない。
「ん、何か言った?」
それでもこの小さな違和感は、少年を助ける大きな物となる。
「いいや、何も言っていないさね。空耳じゃないさねか?」
「なら、いいや。にしても、街がないね。此処は。何度か見回りに行ってみたけど遺跡ばっかりで、人影の一つもありやしない」
その言葉にロザリーはピクリと反応する。何故遺跡しか無いのか、理由が判っている上で話すことができないのだろう。気まずそうに目を逸らす様子から、嘘をつくのが苦手なのだと解る。
少年はそんなロザリーを微笑ましく見ていると、仕方ないなと呟き笑った。
「む、笑うんじゃないさね。……それより、目的地というのはどこさね?」
誤魔化しも、話題を逸らすのも下手なロザリーを見て少年はまたもや笑う。笑ってしまう。それだけ珍しい反応なのである。ロザリーが焦る姿は、本当に珍しい。
それでも、少年はロザリーの質問に答えないつもりはない。理由もない。冷めてしまったお茶を喉に通し、態とらしく一度咳をした。
「こほん。僕の目的地はスカイリップネザーランド。ロザリーがこの世界の終点と言った場所だよ。そこに、居るはずなんだ」
スカイリップネザーランド。不思議な名前だが、ロザリー曰く実際に存在する場所で、魔獣とどす黒い「あらゆる」が飛び交う地獄だそうだ。一度ロザリーも行ったことがあるらしいが、門を潜ることはなかったという。
その言葉にロザリーは吹き出した。
「ぶーっ!?……あ、彼処に行くさねか!?」
焦りなのか、恐れなのかは判断つかないが、それでもロザリーにとってかなり不味いことだったのは解る。地雷踏んだかな……そう苦笑する。
長時間無言の状態、静謐なる世界が続き、それを壊したのはロザリー、先に口を開いた。
「彼処は……いや、明日、明日さね。明日、一緒に行くさね」
ロザリーの口から出た予想外、予想外過ぎる一言に、少年は硬直せざるおえなかった。ロザリーは過保護で、お節介で、厳密で、厳格である。少年の事となると必要以上に反応し、批判し、まして外出など許してはくれなかった。
そのため、少年はロザリーのいない時間帯を態々(わざわざ)選び、スカイリップネザーランドへと歩を進めた。しかし、その目論見は悉く瓦解し、成功には至らず、その上、ロザリーに見つかってしまった。
見つかってしまった、だと後悔している様だが、そうではない。あの時見つかっていなければ最悪死んでいた、いや、確実に死んでいたであろうから。しかし、これで少年の目論見は、粉々に、修復不可能なほどに瓦解した。したはずだった。
しかしどうだろうか、今この瞬間、諦めていた、諦観していた目的を、諦観させた本人が果たしてくれるという。一助をしてくれるという。少年の脳裏にあり得ない、冗談だと過るが、それこそあり得ないと断固拒否、否定する。
ロザリーは嘘をつけない。いや、少年のみに限ってなのか、それとも、誰にでもなのかは分からない、何せ周りは廃墟、遺跡地帯。人の気配など微塵もなく、それを確かめる術などなかった。
ロザリーは嘘をつけない。それは少年にとって、唯一の証明だ。ロザリーは少年の質問に対し、言えない時は黙し、重要な部分を伏せたりはするが、それでも嘘はつかなかった。だから、今日に限って嘘を吐くなど、ない、ない。
「分かった、ありがとう」
混乱、歓喜と、二つの感情の狭間に置かれた少年が絞り出せたのは、淡い、感謝の言葉一つだけだった。それ一つで充分なことは、ロザリーの微笑みが証明していた。
——そして、事は起きた。
遥か遠方、この家から離れた遺跡地帯地帯から、凄まじき轟音が轟く。その影響は遺跡地帯、動植物のみならず、今、少年とロザリーの居座る家、屋敷にも、大きな、とても黙認できない影響を与えた。
家の半壊。長く、永く住み続けていたこの愛着ある家の半分が、粉々に壊れてしまった。遺跡地帯から迫る音一つで、その衝撃で、この家の半分を粉々にした。たかが音、されど音。過度の衝撃は物質を拡散、分解する。
しかし、それだけでは止まらなかった。止まるわけがなかった。
「今……壊れた場所って……」
「まさか……さね!?」
二人別々の物でも、今壊れた部分は、二人の部屋も含まれていた。少年は長年調べ続けていたこの世界の資料を、ロザリーは大事に保管していた大量の、良質の茶葉を、この音に、衝撃に、恐怖に、壊されてしまった。
そして、ロザリーは少年以上に怒りを燃やしていた。嗚呼、人の憤怒は、激怒は、憤慨は、激情は、ここまでの物なのか。恐ろしい、恐ろしい。行き過ぎた怒りは、濃密過ぎる殺気へと化けて曖昧な対象に牙を剥いた。それは、少年も身をもって感じていた。
「行くさね。こんなことしやがったピーッ!!共をピーッ!!してやるさね!」
何やら不穏過ぎる言葉を思い切り漏らしながら少年に長剣を投げ渡した。
「そんな下品な言葉を使わないでくださいよ。全く、でも、ピーッ!!する部分には賛同しますね超賛同」
長剣を体の中心で受け止める。一見ロザリーの下品な言動を咎めているようでもあるが、なにやら共感出来る部分もあるらしく、叱っているのか褒めているのかよくわからないことになっている。
少年は長剣で軽く袈裟斬りをした。風きり音と共に発生した風圧、剣圧は異常に強く、遠くとは言わずがな近くもない外の雪原に、大きな窪みを作り出した。その実害とは噛み合わない程、少年の剣は静かであった。
「業物だね。僕の速度に耐えられる上に威力の上乗せまで出来るんだ。……前からくれても良かったんじゃないの?」
少年らしからぬ膨れっ面でロザリーを咎めてみるが、それに対しロザリーは大剣を軽々と片手で二度振るうと、呆れたように溜め息つき、答える。
「そんなことしたらすぐなくすだろうさね。……それが分かってて渡すと思ったさねか?馬鹿さねか?」
それだけの業物なのさね、と最後に呟くと、既に視界は別世界。ただ屠る……というよりも怒りをぶつける為だけに、全精神を目標の索敵に注ぎ、見つける。
少年にもそれがわかったようで、既に腰あたりに長剣を構えていた。
「じゃ、先手はこちらから撃たせてもらいますか。ロザリー姉さん、先行ってて!」
「了解さね!」
少年の全身が、大気に現出する程濃厚な剣気を放っている。少年の指示を聞いてか大きく返事したロザリーは、弾丸のように家を飛び出し、雪原に足跡一つ残すことなく、既に少年の視界から消えている。恐ろしい速さだ。
すると、少年も準備を終えたのか、溜め切った剣気を一斉に剣に統合。極彩色に煌めく剣気の塊と化した長剣を上段に構え……
「せいやっ!」
振り下ろす。そこから起きるのは異常現象。余りの剣気に雪原が一斉に禿げ、その下にあったであろう新緑を諸共吹き飛ばした。完全なる矛は、世界一面を白紙へと還す力を放つ。しかし、ある一点から進まず、完全に打ち消されていた。
少年は苦虫噛んだように漏らす。
「……相当にやるな。剣気の分解か。まあ、式にかなりの無駄があるけどね。そう簡単にはいかないようだ」
驚いたことに、あの濃厚な剣気の塊を、敵と思われる存在は分解しきったそうだ。それだけの力を持つ存在が、なぜこんな『田舎』を襲いにくるのか、攻めに来るのか、少年は鱗片も理解できなかった。
しかし、少年は一つだけ、最も重要な部分だけは理解していた。
——負ければ……死ぬ。
「うおおおおお!!」
このまま此処に居ても仕方ないと判断した少年は、勢い任せに走り出した。剣が静かなのは相変わらず、しかし、それが行動に移るわけではなく、ロザリーのように足跡一つ残さずというわけにはいかず、剣気によって滅された元雪原、現荒野に粗く深い足跡、というよりも引き摺り跡を大きく残した。
少年は、目標の元へ向かっているロザリーを目に留めると、方向転換。直線に進んでいた道を切り替えし、右に曲がる。そして少年は容易くロザリーに追いついた。
「ロザリー姉さん。目標の位置は……あっち」
「……!?なんだ、——さねか、びっくりさせるんじゃないさね」
肩を叩くでもなく、触れるでもなく、唐突に背後から声を掛けられたロザリーは本気で驚く。先程までは日常的な場面だったので冗談で済むが、今は戦場。声を掛けられただけで安心していたら、命がいくつあっても足りないのだ。
少年はかなり申し訳なく思っていたりもする。
少年に方向の指摘をされたロザリーは、直ぐに左に曲がる。それに少年は極彩色の剣気の残滓を大気に煌めかせながら続いた。
「意外と遠いさねね……」
「……そうでもないんだよね!っと!」
ロザリーがぼやくと同時、少年は敵と思われる存在から伸びた円柱型、少年と同じ極彩色のレーザーを跳躍することによって回避していた。それを見てロザリーは納得したような顔をする。
「もうすぐさねか!」
「目の前ですよ!」
不思議なやりとりだ。対象の姿は霧に隠れてよく見えないが、索敵でなんとかできる。少年は剣を下段に構え、打ち抜こうとしたその時。
「……現出の、悪魔……」
震えた声で、確かにそう呟いていた。