十二話 『竜殺の刻——逃亡劇の末に』
次の話は金曜日投稿します。
遅れて申し訳ない。
プティは困惑していた。いや、混乱している。この状況ではなく、これ以外どうすればいいのだろうか、という議題で。今、プティとエスペ、精霊の三人は甲殻都市スティール直通である転移装置の前にいる。しかし、三人を都市へと送る役目を担う転移装置は、無残に破壊されており、どこからどう見ても使用できそうにない。修復もこのメンバーでは不可能であるし、帰るにしても道がわからない。その上、翼竜がここを特定するのも時間の問題であるし、すぐ移動するにしても宛てがない。もう刻は夜。美しい三日月が地を照らす中、活動期に至る魔獣らの遠吠えが木霊する。非常に、まずい状況となってしまった。
「仕方ない。方角的に今まで僕たちが走ってきた道は北斗七星のある北だから、西は論外。東は海が広がっているから船がないからどうにもならないし、南に向かって歩くしかないかな。途中で集落でもあったらいいんだけど。」
言うと、何がツボであったのかエスペは小さく笑った。プティはそれに対し不機嫌そうに「何か可笑しかったですか?」と聞き返すのだが、その返答は更に彼女のツボを刺激するだけであった。
「……違うんだよ。随分と砕けた口調になってたから、思わず笑っちゃって。」
すると、プティは思わず口を押さえてしまう。丁寧な言葉遣いというのは、プティにとって自分と相手を隔てる壁の役割を担うものであった。丁寧な、といってもそのままで、一般の人に対して謙譲語、尊敬語を使ったとしても、どちらも息苦しいであろうから丁寧語しか使わないのだが、それでも明確な接近の拒否であるのだ。エスペはプティにとって親友であったローザの面影を感じられるからか、度々(多くは戦闘中)口調を崩しており、それを改めて意識したのが、口を押さえるという行動に表れることとなった。
それを見たエスペは、「気にしないで砕けた口調で接してほしい。」といい、精霊も頷くものだから、プティは了承し、寧ろこちらの方が喋りやすいと感謝する。
「夜だからといって魔物避けがない今、呑気に寝るわけにもいかないな。見張りを変えながら、もいいんだけど、少なくとも三日月の夜、今日だけは耐えなきゃいけない。三日月は魔物を活性化させるから移動し続けないと匂いに釣られて魔物が大量に来るしね、丁度、移動しなきゃいけない理由もあるし……。」
エスペは指差す、南の方を。星が一つ流れ、沈黙が一時訪れる。
「じゃあ、南へ向かうしかないね。体力は大丈夫だろうし。距離が距離だから……、走るのは論外かな。」
〔ええ。何日かかるかは分からないけれど、いつ魔物が現れるかわからない中、体力を残すのは当然ですわ。〕
「初依頼がこんなことになるとはね。運が悪いのは相変わらず、か——。」
プティにとっては七年前の話。あちらの世界に存在する傭兵師団に、初めて足を運び、傭兵として登録しようとしていた。その時、既にロザリー姉は死別しており、プティは同じ人族であるアルシアと共にしていた。酒場を兼ねている訳でもないのに、分別のない傭兵らは馬鹿みたいに騒ぐため、街より煩いのではないのだろうか、顔を顰めている人も多い。
多少木造りの傭兵師団所を見回すと、新規登録、依頼完了報告等で行列となっている列に並ぶ。すると故意か、失意かは判らないが、ある名前がプティの耳に届く。思えば、ここに来て、出ない筈が無かったのだ。あれだけの惨事を起こし、身勝手にも死んだ彼女の名前が。そして、それが大きくプティの心を揺さぶり、怒りを触発することも。しかし、傭兵らはプティが小僧だと侮り、アルシアは分かってはいたが、失念しており、忠告を忘れていた。
一年前、プティを連れてスカイリップネバーランド、否、『スペイス』、希望を冠する此処に訪れ、唐突に暴れだした謎多き事件。起こしたとされているのは、起こしたのはロザリー。——ロザリー="ペンドラゴン"。彼女が起こした惨劇は「狂乱の宴」という名称で伝わり、今もその熱が冷めることはない。
「あれぇ?ロザリーの弟の様な存在だったらしいなぁ?」「いまじゃあ、すっかり有名人ですねぇ?」「あのクソ尼が起こした事件。本当、なんであんな奴が生きていたんだか!」等と言った雑言罵倒を傭兵らは巫山戯半分でプティに浴びせていたのだ。プティに対するのみの冒涜であったのならば、まだことに発展することはなかった。しかし、ロザリー、ロザリー姉を冒涜し、否定する言葉が多くあったからこそ……プティは、吼える。
「巫山戯るなっ!」
珍しく丁寧言葉を大きく崩し、感情の為すままに言葉を発している。プティにとってロザリーは、たとえどんな存在であろうと、実の親でなくとも、そう、プティ自身を恨んでいたとしても、育ての親と同じ、それ以上に愛していた。愛し、喜び、慄き、震えるほどに。いや、これは違う。愛し、喜び、そして、慄き震え。今となっては本人も判らない。解らない。だとしても、彼らの、彼女らの言葉は、プティに否定を、存在を否定される感触を、恐怖を、不快さを、実感を呼び起こした。
————彼にとって……ロザリーは防波堤とでも呼ぶべき存在であったのだ。
そして、今の状況は、アルシアの予想通りであり、予想外のことであった。罵られて、嘲られて、それは怒りに打ち震えることだろう。だが、行動に移すとは欠片も思っていなかったのだ。何故なら、アルシアはプティに「"貴方"がどれだけ罵倒されようと動じるな。」と言い、それで完全に安心しきったからだ。一つ、たった一つ足りなかった。いや、間違えていた。何を言われても、そういうべきだったのだ。それでも常識的にいきなり手を出すことはあり得る話でもないのだが、プティは、子供である。今も昔も——。
プティは飛び出した。アルシアの「待て!」と共に繰り出された不殺、殺さずの剣技を見事に受け流して。それからは、既に作業であった。剣技を良い意味でも、悪い意味でも極めたプティにとって、凡人は相手取るに相応しい訳がないのだから。
傭兵から絡んだこともあって無罪放免となったが、そのことから『剣狂』と恐れられ、仕事は多くきたが、人との関わりは、あまり良好ではなかった。
「精神的には大人になったつもりの僕でも、ロザリー姉の言った「お前は子供さねよ。それも自覚のない、タチの悪い子供さね。」という言葉は、今も理解できないんだよね。」
自覚のない、子供。彼にとってその言葉は、初めて彼を、プティに大きく揺れたと感じさせたものだ。子供、何が子供か、といったことは彼はわからない。だが、それがわからないから子供なのだろうということは想像できている。体はどこからどう見ても成人しているプティだが、はたして子供なのか、違うのか、未熟さ故か、それとも愚かさ故か、判別することができなかった。
「なにか言った?」
聴覚が強いのか小言も筒抜けであったらしい。幸いなのは、その内容を聞かれなかったことだろう。それが本当に幸いなのかはわからないが、今はそれで良いと、プティは首を傾げるエスペを見ながら思う。プティは、エスペが愛おしく見えていた。かつての"仲間"の姿と被ったからか、それともただの勘違いか、恋愛感情なのかもわからない。わからないことだらけだが、それを知ろうという意思もない。それでも、それ故か考えてしまうのだ。果たしてプティは、自分は————人であれただろうか、と。