最終章 これから始まる…… 6
城下町の一角に辿り着くと、ディルは馬車を降り、トワメルに別れを告げ、全速力で天の川通りまで走っていった。町の中は昨年同様、空色一色に染まっていた。人々は川のように流れ、どこかでよどんでいたり、どこかで逆流していたりしたが、ディルは掻き分け掻き分け、どんどん進んでいった。
息を切らして天の川通りに着くと、そこには、ジェオの姿や、ユンファとアルマの露店が……なかった。とにかく歩き、くまなく捜し回った。だが、どこにもいない。昼になっても、夕方になっても、空が真っ暗になっても、どこにも見当たらない。ユンファとアルマは毎年必ず店を開くと言っていたのに、ジェオは手紙で祭りに行くと知らせてくれたのに……。
憩いの広場のベンチに座りながら、ディルは目に涙を浮かべた。そして、頭の中は『どうして』の四文字でいっぱいだった。この日をどれだけ待ちわびたことか。みんなに会えることをどれだけ楽しみにしていたことか。声を押し殺しながら、ディルは泣いていた。
やがて、天の川通りはたくさんの人々で埋め尽くされた。『大事なお知らせ掲示板』横の時計を見てみると、零時を指す五分前だった。南十字祭を締めくくる最も大事な『祈りの儀式』の開始時刻が迫っていた。
ディルは思わずベンチの背もたれに足を乗せ(こんなはしたないことをするようになったのは、おそらくジェオの“おかげ”だろう)、城の方角を眺めた。ずっと前方を見ると、ロアファン王の乗った巨大な馬車が到着するところだった。きっとあそこで、トワメルは王の護衛をしているはずだ。『祈りの儀式』は国民全員が参加しなければいけない大事な儀式だから、お城の中でゆっくりくつろいでいるわけにもいかないのだ。きっと今この瞬間、ヴァルハートの国民全員が夜空を眺め、南十字座を探しているはずだ。
ディルも急いで夜空を見上げた。南十字座は「私を見てくれ」と言わんばかりに、南東の方角でキラキラと輝いていた。毎年同じ位置だから、至って簡単に見つけられるのだ。ディルは南十字座を眺めたまま、今年の願い事を決めた。決めたというより、決まっていたのかもしれない。夜の冷たい風がディルの前髪を揺らした時、『祈りの儀式』の始まりの合図である鐘楼の鐘の音が、町全体にそうそうと響き渡った。
ディルは強く祈った。
「仲間に会いたい……僕の大切な仲間に……」
鐘の余韻がかき消された。夜風を切る巨大な何かが、けたたましい轟音を発しているせいだ。ディルは、南十字座が空飛ぶ船で隠れるのを見た。あの船は、間違いない。今はもう存在しない、『反・カエマ派』のアジトだ!
天の川通りにいた全員の(少なくともディル以外は)下あごが外れた。船はディルの頭上でゆっくりと停止し、デッキから縄梯子が投げ出された。縁からヒョイと現れたその顔を見て、ディルはベンチの上で飛び跳ねた。
「レン!」
「登って来いよ! 出発だ!」
ディルは梯子に飛びついた。と同時に、船は城の方へ向かって進み始めた。王様が乗って来た巨大馬車の上空を通過した時、トワメルの声がディルの名を呼んだ。
「ディル! 受け取れ!」
トワメルが投げてよこしたのは、彼がいつも愛用している剣だった。ディルは片手でうまくキャッチし、もう一度トワメルを見た。かすかな笑顔と、夜風にたなびく黒いマントが、ディルに「行け」と命じていた。天の川通りから、耳をつんざくような拍手と喝采が巻き起こった。それは、夢のような光景だった。ロアファン王やトワメル、レジョールやショーダットを中心とした兵士たち、そして城下町の人々が、ディルを暖かく送り出してくれている。どこからか演奏隊の豪快な音楽が流れ、少年少女合唱団の歌声がさんざめいた。
天の川通りの熱気は森の上空までやって来てもディルに届いていた。ディルは訳が分からないまま梯子をよじ登り、デッキの縁まで到着すると、最後はレンに引き上げられた。
「レン! どうしてここに? これはどういうことなの?」
青と赤のけばけばしいローブ姿のレンに向かって、ディルは興奮した口調で尋ねた。一年前と同じ、レンの凛々しい笑顔がそこにあった。
「どうしてって、迎えに来たのさ! あったり前だろ!」
梯子をたぐり寄せながらレンは楽しそうに言った。レンはディルの肩をつかんだまま、船首の方へ引っ張っていった。
「一年前、俺が出発する前夜だった。トワメルさんが俺に言ったんだ。来年の南十字祭の日、ディルを迎えに来てくれって。一緒に旅をさせてやってほしいって、頭を下げられちゃったよ」
トワメルがディルに贈った最後の言葉が、ふと脳裏を過ぎった。
『常に正直に生きろ』
ディルの目には再び涙が溜まった。だが、さっきのように悲しいのではない、嬉しいのだ。トワメルはディルのことを分かってくれていた。ディルの望むとおりに生きることが、ディル自身の生き方なのだと、認めてくれていた。
「ありがとう……お父様」
トワメルの大きな剣を見つめながら、ディルは呟いた。