最終章 これから始まる…… 2
全員が身を乗り出してカメと小ネズミを見た。そして、水を打ったようにしんとなった。ディルは、それは何かの間違いではないかと疑ったが、レンの言葉が証明されたのはそれから間もなくだった。突然、カメと小ネズミが縦に大きく膨らみ、パチっと音を立てて割れたかと思うと、次にそこにいたのは、細身の頼りなさそうな兵士と、痩せ衰えたロアファン王の姿だった。その瞬間、天の川通りにどよめきとざわめきが起こり、王様を一目見ようと周りから人の波が押し寄せてきた。
「ロアファン王、よくぞご無事で!」
長い間カメの姿でいたことが無事かどうかは判断の難しいところがあるが、トワメルが王様を助け起こしたのをきっかけに、そこいらで呆然としていた兵士たちも我先にと王様に駆け寄って容態を尋ねまくった。
「お怪我はありませんか? 王」
「空腹ではありませんか? 王」
「病気を患ってはおりませんか? 王」
「服がボロボロですね、王。今新しいのをお持ち致します」
「痩せましたね、王。今食べ物をご用意致します」
「髪もひげも伸び放題ですね、王。今散髪職人をお呼び致します」
まるで、兵士たちのへつらい合戦を見ているようだった。トワメルが蹴散らすように兵士たちを追い払うと、今度はその横でうずくまる兵士に詰め寄っていった。
「レジョール、元気でやってたか?」
「レジョール、よくがんばったな」
「レジョール、久しぶりだな」
「レジョール、王様をちゃんとお守りしてたんだろうな」
どうやら、あの小ネズミはレジョールという名の兵士だったらしい。王様もレジョールも、誰かの肩を借りないと立てなくなるくらい、カメとネズミの四つん這い姿勢に執着していた。
「なんだか騒がしくなってきたな」
兵士たちに冷たい視線を送りながら、レンは呟いた。王様とレジョールは傍に積まれていたレンガの山に腰を下ろすと、やっと口を開いた。
「取り返しのつかないことをしたと、心より深く反省している。一国の王である私が、魔法という力に魅了され、カエマ・アグシールを妃に迎え入れたことで起こってしまった今回の一件を、どうか許してほしい」
その後、レジョールによる冒険談が始まってくれたおかげで、どんよりした空気に暖かな陽光が差し込んだように思えた。彼の周りに集まった人たちは肩を寄せ合い、笑ったり興奮したりしながら話しに聞き入っていた。その横で、王様がゆっくりと切り出した。
「私は、戦力増加のために魔女や魔法使いの力を借りようと、あの日、森の中へ入った。そして、カエマ・アグシールと出会ったのだ。……すぐにカエマを妃とし、戦争の“道具”として使おうとした……彼女には悪いことをしてしまった……」
ファッグレモンを訪ねに森の中へ入った時、なぜカメがあんな不思議な行動をとったのか、ディルはやっと理解した。王様はファッグレモンの小屋の場所を把握しており、自分にかけられた呪いを解いてもらおうと意気込んでいたに違いない……ディルの中に存在する疑問の一つが、音を立てて消えた。あの二匹には特別な力なんてなかったのだ。
「レン、お前たちにはずいぶんと世話になった。無実の罪でお前を追放してしまったこんな私を、長い間よく守ってくれた。ありがとう」
レジョールがあることないこと大声で語っている傍らで、ロアファン王は静かな口調でそう言った。レンの表情から笑顔が消えるのを、ディルは見てしまった。
「……カエマは死にました。世界中の偉大な人間たちと、俺の親父を殺して……。あなたの呪いが解けたように、俺の親父も……もしかしたら、親父が生き返るんじゃないかって、情けない希望を持っちまった」
「レン。ザックスは素晴らしい剣士だった。……いや、今尚私たちの中では、ザックスは立派な剣士だ。お前はそんな父親の背中を見て生きてきたのではないのか? 父親のことを思うその気持ちを、絶対に忘れるな。大切な人を思う心に、情けないことなんかない」
哀愁の漂うレンの横顔に、ほのかな笑みが戻っていた。レジョールの高声が虚しいと感じるほど、レンの笑顔は辛酸を思わせない華やかなものだった。
「俺が見世物屋で披露した演技、みんなにも見せてやりたかったなあ。でもよ、女主人のハムって女が鬼みたいな奴でさ。俺が演技をする前に必ず耳元でこう囁くんだ。『ちゃんと練習どおりやらないと、油で揚げて馬の餌にするぞ』って。魔法の言葉なんて言う奴がいたけど、そんなのは嘘っぱちさ。あの女にだけは、俺の正体がちゃんと分かっていたみたいだな」