二十章 物語の結末 7
『カエマ女王だって一人の人間だよ? そうなってしまった理由があるかもしれないし、一緒に話し合いをしてみれば、もっと違う解決方法が見つかるかもしれないよ』
それは、まだ何も知らなかったディルの、いたいけな主張だった。
『ディルが前に言ってたよな? カエマ女王が狂った本当の理由があるかもしれない、一緒に話をしてみれば、違う解決方法が見つかるかもしれないって。ディルにそう言われて、俺はずっと考えていた。その違う解決方法ってやつをさ。……けど、やっぱ駄目みたいだ。カエマを目の前にするたびに、親父の顔や、色々な思い出が頭の中を埋め尽くすんだ』
忘れもしない。父親の仇をとるため、がむしゃらになってカエマに立ち向かっていく、あのレンの顔。
『俺、ステア・ラに残してきちまった恋人が心配なんだ。彼女から定期的に送られてきていた手紙が来なくなって……城下町では、サンドラークがステア・ラを制圧したって噂が広まってる。ヴァルハート国王のロアファンはいつまで経っても行方不明のままだし……カエマ女王はあんな調子だろ? 俺、どうしたらいいのか分からなくなっちまった』
ジェオは、祖国がカエマによって支配され、恋人の消息がつかめなくなってしまったことを、涙ながらに語ってくれた。
『お前たちに負けたことは認める。だがな、唯一認めないことがあるとすりゃあ、あの魔女だ。俺たちを騙し、利用し、使い捨ての雑巾のように扱いやがった、魔女の存在そのものだ。……俺だって、この国の行く末を母国で見守っていこうなんて思っちゃいねえ。ヴァルハート国にやって来たのが、その理由だ』
カエマの配下となり、苦しみと怒りに打ちひしがれるキングニスモの、嘆きを聞いた。
『……読書をしている時のカエマの目は、とても綺麗だった。本を読むその瞬間だけ、あたしは幼かった頃のカエマを思い出すことが出来たんじゃよ。明朗で、純粋で、動物たちを愛する優しい心を持ったあの頃のカエマをね』
かつての“曖昧”な記憶から生まれるファッグレモンの儚い思い出が、カエマの過去を解き明かしてくれた。
『……もう時間がない。あたしにも、にいにも、この世界にも。新世界の始まりを、絶対に喰い止めて』
カエマの“曖昧”な記憶が生み出す、もう一人の小さなカエマが願った、大きな思い……。
カエマを目の前にして、ディルは再び剣を持ち、静かに構えた。こんな気持ちは、ディルにとって生まれて初めてだった。思いを託してくれたみんなのために、そして、自分自身のために、絶対にカエマを倒したいという気持ちで心が満たされているのだ。
だが、遠くにいる仲間たちが見守ってくれているのに、勇気と自信がみなぎってきたというのに……ディルは、辛くて、悲しくて、泣き叫びたかった。ディルとカエマ、互いに間違った思想を抱いていることが、いたたまれなくなるほど、虚しいことだと思えた。
「もう間もなく、新世界誕生の瞬間が訪れる。新天地がこの世界を飲み込み、世界中の生と呼ばれるものが滅びるだろう。今になってどうあがこうが、もう手遅れです」
「嘘だ」
ディルは涙声で言った。カエマの顔が怪訝そうに傾き、一瞬、灰色の目が痛々しげに痙攣した。昨夜デッキで見た、あの苦痛の表情と似ている。
「嘘ではない……目の前に広がる光景も、これから起ころうとしていることも、みな真実だ」
ディルがおもむろに取り出したある物を見て、カエマの表情は凍りついた。ディルが手にしていたのは『ヘインの見た世界』だった。昨夜、偽者のトワメルに会いに行く際、ズボンのポケットにしまっておいたあの本だ。
「あなたは知っていたんだ……ずっと……最初から。……もう、嘘をつかないで」
かすんで見えるカエマの顔が、怒りに歪むのをディルは見た。次の瞬間、本は炎を上げて灰となった。ディルに向けられていたカエマの右手が急に震え始め、それはやがて全身へと広がっていった。
「あなたは……自分が死ぬことを知っていたんだ……それが『ヘインの見た世界』の……物語の結末だから」
カエマの震える右手が胸へと移動し、息苦しそうに咳き込み始めた。ただ立っているのでさえ辛そうだった。
「……そのとおり……私はもうじき死ぬ。魂を食らい続け、同時に、この体に呪いを集めてしまった……私に殺された者の、怨みと憎悪の呪いだ。少しでも気を許せば、一瞬にして殺されるでしょう……」
「だったらどうして……? どうしてそこまでしてたくさんの力を手に入れようとするんだ?」
ディルは、もう涙をこらえ切れなかった。頬を伝う涙の粒が、突風にさらわれて闇の中へ消えていった。カエマは苦しさに耐えながら、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「……新世界の入口を開くには、強大な魔力が必要なのです。……私はもう一度、あの世界を取り戻したいがために、この四十五年間……生きてきた。国王にふさわしいだけの知識を奪い、新世界を創造できるだけの魔力を蓄えてきた……ここに在るべき本当の世界のために」
カエマの両手が黒雲の渦の中心に掲げられた時、ディルは見た。幼いカエマが涙を流している、その姿を。家族や仲間と引き離され、一人寂しげに歩いている、その姿を。
カエマは、グランモニカに奪われた旧世界を、家族を、仲間を、様々な思いを、取り戻したかったんだ。四十五年もの間、ずっとずっと取り戻したいと、願っていたんだ。
「レン……僕はどうしたらいい? 僕は……」