三章 城下町にやって来た者たち 3
やがて三人は北にそびえるヴァルハート城を視野に入れて歩くことにした。町全部を見て回らなくとも、この『天の川通り』だけで日暮れまでの時間を費やすことは容易なだった。見ているだけでも十分楽しめる路上屋はいたる所にあったし、飲食店や雑貨店なども豊富で、もし歩き疲れても、休むことの出来るベンチが噴水の周りに設置されているので心配はいらなかった。
ディルはこの国のことや、町の雰囲気などを説明し、同時に、昨年の『南十字祭』に参加した時のかすかな記憶を辿り、どこにどんなお店があるのかを教えていた。毎年夏に城下町で開催される『南十字祭』はヴァルハート国唯一のお祭りだ。舞台である天の川通りに国中から人々が集まり、夜空に輝く南十字座に様々な願い事を祈願するのが昔からのならわしだった。
「この通りにある四つの噴水は、南十字座を象った配置になってるんだよ。南十字の形状は縁起がいいって、みんなは言うよ」
三人は、南ゲートから程遠くない場所にある喫茶店『ランランパジウム・14』のカフェテラスで一息入れていた。通りの端を縫うようにして置かれた丸テーブルは木造で、丸太を加工したおしゃれな椅子がテーブルを取り囲むように置かれている。約十あるテーブルにはディルたちの他に、一人の青年が読書しているだけで、あとは誰もいないカラッポだった。右手に見える瓦屋根の小さな調理場からは、席の空いた空虚な部分を満たすかのように、静寂の香りを漂わせる演奏曲が流れている。気を抜くと睡眠してしまいそうな、バイオリンによる心地良い音色が蓄音機から発せられているのだ。
「いらっしゃい。天から舞い下りた小さく可憐な天使たち」
バイオリンの優雅な演奏と共に、流れるような足取りでやって来たウエイターの男は、細長い顔に紳士的な表情をこしらえて、三人に向かってそう言った。皮とじされたメニュー表をディルに手渡すと、ウエイターは全身を柱のようにピタリと止め、更に続けた。
「ここ、ランランパジウム・14では、毎年恒例の五月・豊作特別期間と致しまして、“銅貨一枚セール”を開催中です。対象の品々はメニュー表をご覧下さいませ」
ウエイターはひざにおでこがくっつきそうになるくらい深々とお辞儀をし、氷の上を滑るようにして戻っていった。しかし、ディルも七女も、メニュー表を覗くことはなかった。男の子がディルからメニュー表を強引に奪い取り、ショートケーキ八品を残らず全部注文してしまったせいだ。
「二人とも、悪く思わないでくれよ。俺に全部ちょっとずつ味見させてくれるだけでいいんだ」
男の子が満面に笑みを浮かべるのを見て、ディルはさっき六女が言っていたことが少し理解できたような気がした。
「とても気持ちのいいお店ね。姉さんたちも誘っておくんだったわ」
七女はあたりをちらちらと見回して、自由気ままに出かけて行った残りの姉妹を探した。南ゲートの人だかりは、ここからでもはっきり見て取れるほど、すっかりいなくなっていた。姉妹たちが無事に町へ出向いて行った証拠だ。
「お姉さんたちはみんなキングニスモの一員なの?」
姉たちを探し続ける七女を見て、ディルは二人に聞いてみた。だがこの何気ない質問は、注文したケーキが到着するまでの暇な時間を過ごすには、十分すぎるほどの話題だった。
「今のところはね」
男の子は袖に付いた木くずを払い落としながら、少し気落ちしたようにそう言った。
「一番年上のロウシャウ姉さんがね、商家の育ちの恋人と婚約したらしいの。もちろん、嫁いでいくつもりらしいから、キングニスモ脱退は確実よね」
七女は、男の子の言葉の続きを援護するようにそう言うと、幸せが逃げていってしまいそうな深いため息を漏らした。
「ロウシャウ姉さんは助監督をやっているの。パパとはいつも意見が分かれて喧嘩ばかりしているけど、とてもいい姉さんよ」
七女の沈み込んだ声は繊細なバイオリンの音色と混ざり、いくらか明るく聞こえた。
「きっとお姉さんもみんなのことを大切に思っていてくれてるよ」
ディルは励ますようにそう言った。七女の頬が淡いピンク色に染まった。
「ありがとう。……二番目のフュタユ姉さんは衣装を考えてくれるわ。今朝もみんなの服を選んでくれたのよ。双子のペゥイ姉さんとペヌン姉さんはいつも町で遊んでいるけど、みんな二人の演技力を認めているの。二人とも男の人を魅了するのが得意みたい」
「君の服もお姉さんが選んでくれたの?」
ディルは男の子をちらと見て、いくらか羨ましく聞こえるようにそう尋ねた。貴族階級の資産家が主催の『仮装パーティー』に出席するのなら話は別であるが、城下町をキャプテンの派手な格好で歩く姿は、多少近寄り難いものがある。
「俺はいつだってこの格好さ。同じ服があと八着はあるぜ……ずいぶん遅いな」
男の子は両手両足を可能な限りじたばた動かして、注文の品が遅いと駄々をこね始めた。七女は、ぶつぶつ小声で文句を言い始めた男の子をわざと無視するように話しを続けた。
「そういえば、自己紹介がまだよね。私の名前はラーニヤ、脚本担当です。この子はジプイ。さっきはいなかったけど、撮影・編集担当の兄さんと、照明・音響効果担当の姉さんの助手をやっているの。さっき話した姉さんがヴェユ、企画・編集担当よ」
「もう一つ、“弟いじめ担当”を忘れてる」
仏頂面でひどく気分の悪そうなジプイは、ラーニヤに決定的な事実を思い出させた。
「ヴェユはいつも俺をいじめるんだ。『キング一番のチビ』『キング一番の弱虫』って」
この時、注文したケーキが来ていなければ、ジプイはヴェユに対するひどい悪態を連発していたに違いなかった。先ほどのウエイターが、それぞれ両手に持つ銀色のトレイいっぱいにショートケーキを乗せ、ヤジロベーよろしく、うまく左右のバランスを保ちながら三人のテーブルへやって来たのだ。ジプイは、目の前に次々と並べられていく色とりどりのケーキを眺め、その青白い表情に少しずつ生気を戻していった。やがて八品のショートケーキが丸テーブル一面を覆い尽くし、それぞれから甘く、食欲をそそる香りが三人の鼻翼に触れた。ディルやラーニヤさえも、鼻先の八つの美島にただ目を奪われることしか出来なかった。
丸テーブルを豪華に彩ったケーキは、『ラズベリータルト』『チェリームース』『トヤー産チョコのビタームース』『ブルーベリーのクラフティ』『さつまいもクリームパイ』『ナッツクリームのスフレロール』『ムースフロマージュ』『野イチゴのミルフィーユ』の八つだ。
「そういえば、子分、お前の名前をまだ聞いてなかったな」
ジプイはラズベリータルトで口の中をいっぱいにしながら、喉を詰まらせたような声でそう聞いた。
「僕は、ディル……ディル・ナックフォード」
落ち込んだ声でディルはそう言った。むしろ、言わなければ良かったと後悔した。
「ナックフォードっていえば、俺たちの国でもそれなりに一目置かれてる名だよ。俺たちのおじいちゃんが、いつも彼の名を口にしてる」
「君たちの国って?」
ディルは話題を変えようと急き込んで聞いた。ジプイはケーキの一塊を飲み込むのに、一瞬苦々しげな表情を見せた。
「サンドラーク国。通称、砂漠の国さ」
ジプイは誇らしげに満面の笑みを浮かべている。
「でも私たち、めったなことで帰国しないわ。世界中から映画撮影の申し出が殺到するものだから、移動中の船の中で過ごしたり、他国にしばらく滞在したりするのが常よ」
ラーニヤはかつての旅の苦労を感じさせるような、くたびれた声でそう言った。しかし、ディルにはその話が、まさに自分が頭の中で描いている夢物語にそっくりだと思った。
「僕、船は大好きだよ」
ディルは『仲間たちと一緒に、船を使って世界中を冒険したい』ということを、夢中になって話して聞かせた。そのことを聞くと、ラーニヤはクスクスと小声で笑ったし、ジプイなんか腹を抱えて大声で笑っていた。あんまりむせ込んで笑うものだから、途中、顔がラズベリータルトのように真赤に染まった。やがて、ラーニヤが小さく咳払いをしてディルの方を向いた。
「笑ったりしてごめんなさい。まさか、あなたがそんなこと言うなんて思ってもみなかったから」
「トワメル・ナックフォードの息子がそんな“くだらない”ことに夢を持っていたら、当然、おかしくてたまらないだろうね」
ディルは、笑い過ぎで苦しそうな表情を浮かべているジプイを横目で見ながら、恥ずかしさと不機嫌な部分を噛み殺してそう言った。
「そういうことじゃないのよ。ただ、トワメルさんがあなたにそんなすてきな夢を持たせているなんて、とても意外だったものだから」
ラーニヤは慌てた素振りでそう付け加えた。ディルは返す言葉が思い当たらなかった。
「ディル、お前、本気でそんなこと言ってるのか?」
息を整え、ようやく冷静さを取り戻したジプイが、今度は『野いちごのミルフィーユ』の皿に手を伸ばしながら言った。ディルは無言でうなずくだけだった。
「三日間、船に乗り続けてもみろ。そんな夢も希望も、全部消えちゃうよ」
それからジプイは、船旅での不満を延々とぶちまけ始めた。外の光景は毎日同じで退屈、嵐にぶつかると死ぬほど怖い(「強風と高波ぐらいじゃ、パパの船は沈まないけどな!」)、たまに酔う、ネズミが週に三匹は出る……。ジプイの興奮を抑えるのに、ラーニヤが口を挟んでくれて幸いだった。そうでもしなければ、ジプイは食べることも忘れ、船への愚痴を散々まくしたてていただろう。
「こんなこと言ってるけど、この子だってあなたと同じ、船が大好きなのよ。だってね、航海の時はいつも船長を気取っているんですもの」