十九章 立ち上がる者たち 2
城下町の中央、天の川通りまで船を移動させたカエマは、屋根と屋根の間に船が納まるくらいまで高度を下げた。窓から怯えた様子でこちらを覗き見る者や、すっかり人通りの少なくなった天の川通りを歩いていた者は、その全員が船を見上げ、口が開きっ放しになった。町から太陽の光を奪った黒雲の次は、カエマ女王の乗った空飛ぶ船だ。ヴァルハートの人々はすっかり怯えてしまったに違いない。
カエマの尾羽がより眩い光を放ち、船の舳先で煌々と輝いた。
「さあ、感じるのです、私の子供たち」
ディルは、カエマの声を心で感じ取った。耳で聞いたのではない、カエマが心の中に直に語りかけてくるのだ。それはレンとジェオも同じらしく、三人は怪訝そうに顔を見合わせ続けた。
カエマの声に反応し、町中の人々が一斉に騒ぎ始めたようだった。窓という窓が開け放たれ、人々は身を乗り出して空飛ぶ船を見つめている。天の川通りにも多くの人が集まって来ており、その中には、『魔法戦士部隊』の面々もちらとかいま見ることができた。
人々の心に、再びカエマの声が鳴り響いた。
「時は満ちました。戦争に荒れ狂う世界、悪が善を支配する世界、あらゆるモノの流れがよどむ世界。そして、魔族と人間が共存する世界。そんな腐れ落ちたこの世界に、新たな時代がやって来るのです。暗黒の雲が世界中を包み込み、私が誰よりも強大な魔力を手にした時、新世界への扉が開かれるのです。ご覧なさい、北の大地にそびえる岩壁の巨城を」
カエマの声を感じ取ったほぼ全ての人々が、北にそびえ立つヴァルハート城の方角を見上げた。遠過ぎて見えない人や、尖塔の先端しか見えない人がいるのに対し、ディルたちは別だった。森への入口から城への長い林道、そしてヴァルハート城そのものにかけて、全てがありのままに見渡すことが出来たのだ。カエマの言っていた特等席とは、このことだったのだろう。
しばらく待っても城に変化は見られなかったが、やがて、地下深くから聞こえてくるような地響きがうなりを上げ始めた。浮遊している船では分からないが、地面が大きく揺れているらしい。地上では人々がうろたえ、家の中から物が落ちる音や、食器が割れる音などが聞こえ、城下町は騒然となった。
「見ろ! 城が……」
ジェオがそう大声を張り上げる前に、ディルはもう気付いていた。城が大量の砂煙と共に、空中へ浮上していくのを。森の木々の揺らめきが外へ外へと広がり、城の周囲では強い風が吹き荒れているらしかった。
「……そうか、城を浮かせているのはグランモニカなんだ。ルーシラの手紙の意味が分かったぞ」
レンは上昇を続ける城の中でも、特に下層部の辺りを指差しながら言った。ディルがよく目を凝らすと、城の底にへばり付く巨大な木の根っこの束を確認することができた。更に、その絡み合う根を辿ってもっと下に注目してみると、そこには西の海底で見たあの遺跡が、駄菓子のおまけのようにくっついていた。例の奇妙な壁画までは確認できなかったが、あの横幅の広い踊り場付きの階段は、確かに見覚えがある。階段のてっぺんは太い根に囲まれて見えなくなっていたが、あそこにグランモニカがいることは確かだろう。
城は休むことなくどんどん高くまで上昇し、やがて中央の一番高い尖塔が黒雲をかすめると、何の予告もなくその動きを止めた。その光景は奇妙なもので、城の底から地上に向かって、人間の一本足がぶら下がっているようだった。遺跡の部分は、ちょうど靴のようにも見える。
「あの遺跡へ行って、急いでグランモニカと合流しなきゃ。このままだと、カエマの思う壺だよ」
カエマに聞こえないよう注意を払いながら、ディルはレンとジェオに耳打ちした。
「けど、あんな所まで行くにはホワゾンドープを使う他に手はないぜ。女王に気付かれないように、全員でこっそり乗り込めるのか?」
口ひげを落ち着かなげに撫で回しながら、ジェオは言った。
「いや、ちょっと待て」
レンはほとんど唇を動かさずに言った。
「俺がここに残ってカエマの気を引かせる。その隙に、ディルとジェオはホワゾンドープでここを離れろ。うまくカエマを振り切ったら、すぐにグランモニカの所へ行くんだ」
レンの提案に、ジェオは渋々と納得したようだが、ディルは首を縦に振らなかった。
「レン、僕たちは仲間だ。レン一人を置いていくなんてできない」
カエマの後ろ姿をちらちらと確認しながら、ディルは説得した。だが、ディルを見つめるレンの表情は自身満々な笑顔で、黒と青、どちらの瞳にも一点の曇りはなかった。
「ディル」
消え入りそうな微かな声で、レンはディルを呼んだ。
「俺たちは仲間だ……仲間だからこそなんだ。ディルがそれを気付かせてくれた。だから、俺はもう誰からも、何からも逃げない。大切な仲間ができたから……ディルたちのために、命を懸けて戦う理由ができたから!」
ディルは、それ以上何も言えなかった。レンの強い意志を踏みにじることはできない。レンが、ジェオとディルの背中をポンと押した。それをきっかけに、二人は船尾に転がっているホワゾンドープに向かって全速力で走り始めた。
「残念だったわね」
ただ一人、その場に残ることを選んだレンに向かって、カエマは静かに言い放った。レンが気を引かせる前に、カエマはとっくに気付いていたらしい。
「あなたたち、あの乗り物に妙な魔法をかけていたでしょう? だから夜のうちに、その厄介な魔法を取り除いておいたの。……言ったでしょう、どこにも逃がさないって」
カエマが喋り続けても、レンの表情に変化はなかった。薄笑いのまま、不敵な態度のまま、レンはディルたちを振り返ることもせず、カエマと静かに向き合っていたのだ。
「あんた、何にも分かってないんだな、ディルのこと」
カエマの瞳が、レンからその後ろの船尾にいるディルたちへ移った。ホワゾンドープがエンジン音を響かせ、今にも飛び立とうとしているところだった。
「……ばかな」
カエマが吐き捨てると、レンは鼻で笑ってカエマを見た。
「きっとディルは、あのオンボロ戦闘機に向かってこう言ったんだ。『また僕たちに力を貸して』って」
カエマの怒りの形相が、今しがた船から飛び立ったホワゾンドープに向けられた時、レンは言い添えた。
「あんたの物語では予想外だったんじゃないのか? ディルが魔法使いになっちまったなんて」