十八章 二通の手紙 4
次の日の昼過ぎ、ルーシラの手紙は約束どおりちゃんと届いた。丁寧に折りたたまれた一枚の紙切れが、デッキに落ちていたのをディルが見つけたのだ。
手紙の内容は、ディルの予想通りのものだった。
『アジトのみんなへ。
ディルの提案どおりになったわ。明日の朝、ヴァルハート城が空へ飛び立つのが合図よ。
ルーシラより』
それだけ? と言いたげに、レンは手紙をひっくり返して裏面を覗いたが、それだけだった。
「城が空へ飛び立つって、どういうことだろう?」
手紙を横にしたり、斜めにしたり、後ろから読んでみたりしながら、レンはいぶかった。
「まるで暗号文だな。しかも情報量が少なすぎる」
レンの肩越しに手紙を覗き込みながら、ジェオが顔をしかめた。
この日、三人はデッキの上で、いよいよ明日に迫った最後の戦いに備えて、あれやこれやと作戦を練り、夕方頃からは、いざ戦闘になった時のためのイメージトレーニングに没頭していた。
ディルとレンは剣の扱いに長けていたが、ジェオは別だった。ジェオはステア・ラの兵士だが、戦闘機の操縦が専門だった上、剣よりもっぱら釣竿を握る機会の方が多かったため、そのたくましい体を活かした肉弾戦で攻めようという荒っぽい作戦が用意された。
城内での作戦はこうだ。ディルとレンはグランモニカを護衛し、そこらのザコはトワメルとジェオに任せる。カエマとの戦闘では、レンとグランモニカが魔法で援護し、残った三人がそれぞれの武器を駆使して突撃して行くというものだった。
「いくらカエマでも、五人が相手となれば話は別。きっと手も足も出ないはずさ」
戦いを明日に控えているとは思えない、レンの明るく爽やかな笑顔がそう言った。
「それに、今回のレンには僕たちがついてるしね!」
水平線に向かって沈みかける太陽を背に、自分が長年愛用してきた剣を研いでいたディルは、レンの言葉に感極まって無性に嬉しくなった。いつも一人で戦っていたレンが、五人でカエマに立ち向かおうと言ってくれたのだ。嬉しくならないはずがない。
「それにこっちには、グランモニカとかいう頼りになる人魚の婆さんがついてるんだろ? 結果はもう見えてるぜ」
デッキの縁を枕代わりにして寝転がりながら、ジェオは眠たそうな声で言った。そのあまりの余裕ぶりに、ディルはちょっぴり感心した。
「あいつら……ユンファとアルマ、今ごろどこで何やってんだろうな?」
水平線の遥か向こうを見つめながら、レンは出し抜けにそう呟いた。ディルはふと、このデッキでユンファを手伝っていた自分の姿を思い出した。
「そういえば、ユンファとよく船の修理をしたよ……。デッキがボロボロだったのは、この船が沈没船だったからなんだね」
廊下にびっしり生えている苔や藻の存在理由も、それで納得がいく。
「僕がジェオと会った最初の日、ここでこうして三人で話してたの覚えてる? その時、ユンファが血相変えて走って来てさ、シチューのことで大騒ぎになったんだよね。あの時のアルマはカンカンだった……みんなでアルマのことを褒めまくって、機嫌を直してもらおうと必死だったよね」
「そうだ、そんなこともあったな」
レンは笑ったが、遠くを見つめるその瞳はどこか寂しげだった。
「アルマの作った料理、もう一回食いてえなあ……」
オレンジ色の夕空を眺めるジェオの頭の中は、アルマが作ってくれた『ビーフシチュー』と、デザートの『オレンジタルトケーキ』でいっぱいだった。
「……前に、ユンファとアルマが窃盗犯だって、ディルそう言ったよな?」
ディルは小さくうなずいて、レンを見た。
「だとしたら、あいつら一体、この船に何の用があったんだ?」
レンが疑問に思うのも無理はない。ユンファとアルマは突然姿を消したが、この船からは何も盗まなかったのだ。というより、この船に高価な物品などありはしない。
「あの二人、ある日突然この船までやって来て、こう言ったらしいんだ。『是非、この船で働かせてください、何でもしますから』ってね」
レンは言うと、だらしない寝相のジェオをあごで指し、鼻で笑った。
「ジェオの奴、俺の許可無しに勝手に船の中に入れちまったんだ。どう考えたってまともな判断じゃないよな」
当の本人は、鼻歌でしらじらしくごまかしていた。ディルはうなずいて、笑った。
「でも、それってすごくジェオらしいよ」
風が強く吹きつける肌寒い夜がやって来た。トワメルがアジトにやって来る約束の時間まで、あと五分足らずだ。
「僕、お父様を迎えに行って来ようかな」
ディルは寝室のベッドで横になりながら、落ち着かなげにそう言った。
「ディル、少しは落ち着け。トワメルさんは絶対にヘマをしない」
励ますようなレンの口調のおかげで、ディルはいつもの平静さを少しだけ取り戻すことができた。強風が丸窓を一際強く叩いた時、ジェオが大きなあくびを一発、部屋中に響かせた。
「それにしても、ディルの親父さんが味方で本当に良かったよな。もし敵だったら、俺たちはカエマの所へ辿り着く前に全滅してたぜ」
ディルは苦笑した。あの本のことを打ち明けるべきかどうか、悩んでいたのだ。なぜなら、あの物語のとおりに話が進んでしまうと……。
「……お父様」
開け放った扉の枠内にすっぽり納まるように立っていたのは、トワメルだった。肩まで伸びた漆黒の長髪。長身を包み込む黒いマント。厳格な表情をより強力に引き立たせる、鋭い目つきと真一文字の口。その全てが、ディルの父親、トワメル・ナックフォードのものに間違いはなかった。