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十七章  森に隠れ住む魔女  7

 レンの容態は、みるみるうちに良くなっていった。ベッドと暖炉が暖かいおかげで、顔色もずいぶんと良好だし、呼吸も穏やかだった。寝返りをうつレンの表情は、心なしか、幸せそうな笑みを浮かべているように見えた。


「ファッグレモンさん。今日は何から何までありがとうございました」


 差し出された熱々のレモンティーを手に取りながら、ディルは礼を言った。まさか、ここまでとんとん拍子に事が運ぶなんて、ディルの予想外だった。


「俺たち、あんたには本当に感謝してるんだ。レンの命の恩人だもんな」


 ベッドの上のわずかな隙間に座りながら、ジェオがディルに続いた。ファッグレモンは相変わらず、ディルとジェオには全く興味なしだった。レモンティーを口いっぱいに含みながら、紙に何かを書き記している。紙には、端から端まで数字が並んでおり、何かの計算式のようにも見て取れる。


「何を書いているんですか?」


 反対から用紙を覗き込みながら、ディルは尋ねた。ファッグレモンは鉛筆を置き、唐突に答えた。


「あんたたちへの請求書さ」


 ジェオは勢いよく立ち上がったせいで、熱いレモンティーをレンの上にこぼしそうになった。


「がめつい婆さんだ! 俺たちをはめやがったんだ!」


 ファッグレモンは底意地の悪い笑顔でほくそ笑んでいる。


「おやおや、人聞き悪いね。誰が“タダ”で呪いを解いてやるって言ったんだい? まあ、金を取るとも言っとらんがね、これが商売だってことぐらい、誰にでも分かりそうなもんだろう? え?」


 ディルは、「そのレモンティーには毒が入っている」と、そう告白された方がまだ気が楽だと思った。


「あの若造から呪いを取り出すのに、金貨五十枚。レコードから悪魔を解放させるのに、金貨三十八枚と銀貨4枚。ベッド代に、レモンティー代」


 ディルはとっさにマグカップを手放した。ファッグレモンは目をすがめて用紙を見つめ続けている。


「それと宿代。全部ひっくるめて……金貨九十九枚、銀貨八枚、銅貨十一枚。でもね、あんたたちは運が良い方さ」


 莫大な金額に頭が痛くなりながら、ファッグレモンが愉快そうに話し続けるのを、ディルは黙って聞いていた。


「今回は四十年振りの大仕事だったからね。深夜料金は無しにしといてやろう」


 ジェオが飛びかかろうとするのを全力で押さえつけながら、ディルはファッグレモンのずる賢そうな瞳を見た。


「もうお分かりだと思いますが、僕たちはそんな大金を持ち合わせていません」


 ディルは、アジトを逆さまにひっくり返したって金貨が九十九枚集まらないことを知っていた。それはジェオも一緒だった。


「金以外の解決方法はないのか?」


 落ち着き払って、ジェオは聞いた。ファッグレモンが情けを知らない魔女だということに、もちろんジェオは気付いていた。だが、今はジェオの言う通り、ファッグレモンの中の“例外”を探り、見つけ出すしか方法はない。


「僕たち、住み込みで働きます」


 手始めにディルが提案を述べた。


「バリアフリー設計の快適な家を用意してやろう」


 ジェオは半ば冗談っぽく言った。ファッグレモンは全ての意見を無視し、隅に放ってあった編み物を拾うと、何食わぬ表情でまた編み始めた。


「僕たちが客引きをするっていうのは? また呪い解除の仕事を始めましょうよ!」


 これはディルだ。


「城下町にある空き家を改築して、呪い解除店を開くってのは?」


 ジェオのむちゃな意見だった。


「もちろん、俺たちが全て準備するぜ」


 ジェオは慌てて付け足した。だが、ファッグレモンはどの意見にも聞く耳持たずだ。編み物に夢中になってしまったのか? それとも、頑なにだんまりを決め込んでいるのか? そのどちらにせよ、ファッグレモンを振り向かせるには、もうあの手しかない。


「この世界を、カエマ女王から救い出してみせます」


 ディルのこの言葉で、ファッグレモンの手が一瞬だけピタリと止まった。


「ファッグレモンさん。あなた本当は、ずっとカエマ女王のことが気になっていたんでしょう? ある日王様が、カエマ女王を王妃に迎えるためにここへ来た。そして、王様は行方不明となり、カエマ王妃が国王になった。カエマ女王が作り出した恐ろしい魔法……それは、死人を食らい、記憶や技能を吸収してしまうというもの。そして、他国の偉人を殺し、サンドラークを支配し、ジェオの故郷のステア・ラに侵攻した。そこで眠っているレンは、父親をカエマ女王に殺されているんです。カエマ女王がこの国を、この世界を狂わせていることくらい、あなたも知っていたはずです」


 長い沈黙の間、小屋の中は、炎のはぜるパチパチというかすかな音と、重なり合う複数のカエルの鳴き声で満たされていた。ファッグレモンの作業する手は完全に停止していたが、下をうつむいたままのその表情は、どこか朗らかな笑顔だった。


「あんたたちがカエマを止めるって? 見た目は頼りなさそうなくせに、ずいぶんと頼もしいことを言うじゃないか」


 ファッグレモンは笑いをこらえながら、嘲るようにそう言った。ディルとジェオは同時に立ち上がっていた。


「見てくれより、大切なのはハートの強さだぜ!」


「僕たちには誰にも負けない、強くて頑丈な結束力があるんです!」


 ファッグレモンはとうとう大声で笑い出した。喉をガラガラいわせたり、性悪そうにケラケラと笑ったり、笑い過ぎでヒーヒー喘いだり……。まるで、複数のファッグレモンが思い思いに嘲笑っているようだった。何がそんなに面白いのか、ディルには理解できなかった。


「降参、降参。あたしの負けだよ。請求書なんて端からありゃしないさ。あたしはもう引退したんだ。誰からも金は取らんよ」


 年寄りの楽しみは人をからかうことだと、ディルはどこかで聞いたことがある。だが、ファッグレモンのこの行為をどう受け止めるかは、やはり人それぞれだろう。ジェオのようにひどい言葉でののしったり、ディルのように、善意を持って許してあげたり……。


「でもね、あたしゃ正直、嬉しかったよ。カエマの暴走を止めてくれる勇敢な若造が、こんな小さな国に残っていたとはね。もうみんなとっくに、カエマに心を奪われちまったのかと思ってた。……鳥たちが口々に囁くのは、国の兵士どもはカエマを恐れ、民は町に現れた魔法戦士部隊に自由を奪われたという。この荒涼とした状況を生み出したのは、間違いなくあの子なんだろうね」


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