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十七章  森に隠れ住む魔女  6

「そら、見つけた!」


 ファッグレモンはそう言った……のだろうか? レンの叫び声は小さくなっていたが、ファッグレモンの声量を上回るには十分過ぎるほどの音量だ。ディルの耳の中も、今はレンの絶叫だけでパンク寸前だった。


「このファッグレモンに目をつけられて逃れた奴は、一匹だっていやしないのさ」


 ファッグレモンが指を引き抜くと、レンは急におとなしくなり、また深い眠りについたように両目を閉じたまま動かなくなった。

 よく見ると、ファッグレモンはレンの耳から何かを取り出していた。指と指の間でくねくねとねじれ動くそれは、暗緑色のヘドロのようで、巨大なミミズか、小さなヘビのようだった。顔と思しき先端に、その体とは反比例して大きな飛び出した目玉が二つ、ぎょろぎょろと周囲をうかがっている。


「いじめないで! 助けて!」


 ファッグレモンの細い指にネットリと絡みつきながら、謎の生命体が命乞いをした。しかもよく見てみると、赤子のような小さな手足が肢体からニョキニョキと突き出している。レンを苦しめていた呪いの正体がこんな妙な生き物だったのかと、ディルは安堵したような、物足りないような、複雑な気持ちになった。


「ばかだね、殺しゃしないよ。……ほれ、あんたディルっていったかい? この子をしっかり握ってるんだよ。逃がしたらこの中の誰かが取り憑かれちまうよ」


 ディルの手に生き物を強引に押し付けながら、ファッグレモンは警告した。その生き物は触るとべちゃべちゃしていて、この世の物とは思えない悪臭を放っていた……いつの間にか、体色が黄色く変色している。


「ベーっだ! 俺様は逃げも隠れもしねえぜ!」


 小さな口の中に、鋭利な歯がびっしりと並んでいる。


「さて、次は……このレコードだったね」


 ファッグレモンは椅子の上のレコードケースを手に取り、中身を引っ張り出すと、レンの上下する腹の上にそっと置いた。


「君、もしかして、あの大悪魔?」


 ファッグレモンがレコードを、上から、下から、真横から眺めている間、ディルは何気なさそうに質問した。手の中で、悪魔はぐにゃぐにゃ動き回った。あまりの気持ち悪さに、ディルは悪魔を落としてしまうところだった。


「やい、ガキ! 俺さまの正体を見破ったからって、いい気になるなよ! あの円盤から俺様の本体が解放されなかったら、次はお前を呪ってやるからな!」


 悪魔がキーキー叫ぶと、ディルの肩越しにジェオが覗き込んだ。


「この変なのがディルと取引したっていう、大悪魔? 茹で過ぎた昆布みたいじゃねえか」


 ジェオが嘲ると、悪魔は尖った歯を剥き出し、不機嫌そうに威嚇した。だが、ファッグレモンがたなびくような低いうめき声を発すると、ヒッと小さく悲鳴を上げ、ディルの手の中で縮こまった。


「うーむ……ふむ。……ディル、このレコードをどこで手に入れたんだい?」


 ファッグレモンの瞳が、怪しく煌いた。


「ジェオが路上屋でたまたま見つけたんです。レンから頼まれていたみたいで……。それがどうかしたんですか?」


 ファッグレモンはまた考え深げにレコードを覗き込んだ。そして、重たそうに唇を動かした。


「このレコードの中の悪魔を縛り付けているのは、間違いない、カエマの魔法だね……。ベテレベンタ封印術って言ってね、あたしがあの子に教えた最後の魔法さ。かすかだけど、まだあの子の匂いが残ってる……」


「あなたがつい最近まで、カエマ女王とここに住んでいたという話を聞いたんですが、やっぱり本当だったんですね」


 核心に迫るように、ディルが力強く尋ねた。ファッグレモンのやるせない表情がそこにあった。


「……まだ幼いカエマを引き取ってから四十五年。あたしはあの子の全てを見てきた。あの子は……カエマは、そりゃあ優秀な魔女だったさ。あたしが教えた魔法を、あたし以上に使いこなしていた……まさに天才じゃ」


 レコードに反射して映るファッグレモンの顔は、どこか寂しげだった。


「だが、カエマはその才能に身も心も食い尽くされ、何かに支配されてしまったように、人格が凶変してしまったんじゃ。森の動物たちを理由もなく平気で殺し、飼っていた青い鳥すらも、なぜか殺めてしまった。あたしに黙って何度も他国へ出かけたりもしたね。そして、いつの日か不意に帰って来るのさ……そのカエマの体に、いつも何がついていたと思う?」


 ディルは首を横に振った。悪魔を握りしめるその手に、自然と力が加わっていった。


「人間の血の香りと、様々な死人の匂いさ。カエマはあたしの知らない所で、恐ろしい魔法を作り出していたんじゃ。……ヴァルハートの国王・ロアファンがカエマを連れて行ったのは、それから間もない頃だった」


 ファッグレモンはレコードの上に両手をかざし、弧を描くように手を動かし始めた。すると、レコードがレンの腹の上でガタガタと揺れ、白く冷たい靄が辺りを包み込んだ。ディルが最初に悪魔と出会った時と同じ、レコードからあの冷風が吹き出しているのだ。


「プイプイプイ・プウプウプウ! 出でよ悪魔、そなたの体は解き放たれた! プイプイプイ・プウプウプウ!」


 ディルは、手の中から悪魔の姿が消えていることに、ふと気付いた。辺りをよく観察すると、白い靄の中に漂う人影らしきものをすぐに発見することができた。地下部屋で見た、あの人影とそっくり同じだ。


「まさか、この俺様が人間に助けられるとはな。やい、ガキ。お前にはいつか借りを返さねえとな」


 悪魔からの恩返しなんて全く信用出来ない話だと、ディルは胸の内で呟いた。


「それと魔女さん、あんたにも感謝してるぜ。俺様にも、まだこんな立派な救い主がいるなんてな。長生きも損ばかりじゃねえってこった」


 白い靄の中で、黒い影がよりはっきりと揺らめき、快活そうに伸び縮みした。


「さあさあ、とっとと帰っておくれよ。暖炉の火を凍らせる気かい?」


 身震いしながら、ファッグレモンが非難めいた声を出した。


「大悪魔さん。約束……守ってくれてありがとう」


 少しずつ薄れていく靄に向かって、ディルはそっと言葉を投げかけた。悪魔からの返答はなかったが、立て付けの悪い、ゆがんだ窓ガラスからガタガタと騒々しい物音が発せられると、もう小屋の中のどこにも白い靄はなかった。


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