十七章 森に隠れ住む魔女 4
今やカメと小ネズミは、二人を先導するかのように先頭を闊歩していた。倒木の下をかいくぐり、大きな岩を乗り越え、ジェオほどもある背の高い草が覆い茂る道無き道を突き進んで行くその姿に、ディルは惚れ惚れしてしまった。
「なんだかよく分からないけど、あの二匹には道が分かってるみたいだ」
カメを見失わないよう、不定期に点滅を繰り返す壊れかけの懐中電灯を器用に使いこなしながら、ディルは素直に喜んだ。
「そうだといいんだがな。……けど、もしかしたら、ただ単に一番前を歩きたいだけかもしれないぜ? ほら、よく飼い主を強引に引っ張ってる散歩途中の犬がいるだろ? あれと同じだよ。それが奴の本能なのさ」
地面を埋め尽くす落ち葉を一歩一歩しっかり踏みしめながら、ジェオが喰いしばった歯の隙間から言った。レンを背負っている分、余計に体力を消耗しているのだ。
「でも僕、いつも思うんだ。あの二匹は普通のカメとネズミじゃないって。……そういえば、グランモニカのそばに、あれとそっくりのカメがいたような……」
それから二十分は歩いたろうか。遠くに小さく見えていたヴァルハート城が段々と大きくなり、尖塔の窓から漏れる明るい光がポツポツと消え始めた。時折聞こえるレンの寝言や、よだれをすする音を耳にする度、ディルの心に焦りの汗が滲み出てくる。他に良い方法が見つからず、カメと小ネズミの予想外の行動に賭けてみたのはよいものの、本当にそれで大丈夫なのだろうか?
いや、そんな心配は無用なはずだ。あのレンが目をつけた動物たちだ。きっと何か不思議な力を秘めているに違いない。そしてその秘密の力が今、解き放たれているのだ。そうでなければ、こんな不可解な行動を取るはずがない……取るはずがないのだ。ディルは自らに言い聞かせ、心を納得させることで、何とか平静を失わないよう努めた。
それから三十分は歩いたろうか。近くに見えていたヴァルハート城が段々と小さくなり、尖塔の窓から漏れる明るい光はもうほとんど見受けられなかった。カメと小ネズミは相変わらず先頭を歩き続けていたし、レンは相変わらずジェオの背中で気持ち良さそうに眠り込んでいる。ジェオの足音の聞こえる間隔が少しずつ広がり、それは、ジェオの体力がもう限界に近いことを知らせる合図だった。十二歳というまだ幼いディルの体にも、この森を長時間歩くだけの体力はなかった。
それに、辺りは月明かりさえ届かない真っ暗な森の中だ。どんな危険が待っているかも分からない、レンにかけられた呪いがいつ暴れ出すかも分からない、前を歩くカメと小ネズミが「道に迷いました、すいません」と、とびきりの笑顔で後ろを振り返るかも分からない、そんな極度の緊張感の中に放り込まれてしまったのだ。体力だけではない、精神的に追い込まれているのも確かなのだ。
だがディルは、決してその迷いや不安を口に出そうとはしなかった。またそれはジェオも同じだった。ここまで来たら、もう後戻りは出来ない。二人とも、それを十分承知していたのだ。
更に三十分歩き続けた後、ディルたちは、太い木々が密集して立ち並び、二メートル近い巨大な茎を持つふきが壁のように覆い茂る、他とは明らかに異なる場所へ辿り着いた。ディルとジェオは久々に顔を見合わせ、元気の出る特効薬を服用したかのように、歩幅を限界まで広げながら走るように歩いた。カメもそれに合わせて歩調を速めだした。カメでもこんなに速く歩くことができるのかと感心していると、目の前が唐突に開け、月明かりの眩しさに一瞬目がひるんだ。
その開けた場所でディルがまず初めに見たのは、ひょうたん型の小さな沼だった。水草の上に赤い花が咲いており、カエルたちが群れを成して水の中を横断している。そして、突如姿を現した客人の顔を一目見ておこうと、沼の底から這い出てきた小さな生き物たちで水面はいっぱいになった。小魚やザリガニ、おたまじゃくし等がうじゃうじゃ浮遊している。
そして、そのまっすぐ前方には、みすぼらしい一軒の小屋が建っていた。ディルは確信した。間違いない、あれがファッグレモンの小屋だ。
「ジェオ、きっとここだよ! 僕たち見つけたんだ! ファッグレモンの小屋を見つけたんだよ!」
あまりの興奮に、ディルの中に蓄積されていた疲労も迷いも、一気に吹っ飛んだ。
「ああ……奇跡だぜ。あのカメ、本当に小屋までの道を知ってやがったんだ……」
じわじわと込み上げる嬉しさを噛み締めながら、ジェオは感極まった涙声で言った。
小屋に辿り着くまでの短い間に、ディルは周囲をくまなく観察した。そこだけ刈り取られたかのように、草も木も綺麗さっぱり生えておらず、耕された畑のようなものが、何もない空き地の一角にただポツンと存在している。小屋は木造で、建てられてからかなりの歳月が流れているらしく、所々腐っており、朽ち果てて一部が剥がれ落ちている箇所が目立つ。泥水の溜まった桶や、さびだらけの金属性のバケツが乱暴に積み重ねられ、虫食いだらけの小汚いローブが、窓の横に吊り下げられている。その窓からほの明るい炎の灯火が揺らめき、中で暖炉の炎がはぜているようだった。扉には『 ァッグ モン』『カ マ』『鳥のルパス』と読み取りずらい文字が彫られている。
扉の下で既に到着していたカメたちと合流すると、ディルは一度、しっかりと呼吸を整えた。魔女の住む小屋の扉をノックするなんて、気分の良い行為ではない。だが、レンのため、悪魔との取引のため、そしてこの国の未来のため、ディルは渾身の力を右手に集中させ、扉を叩いた……が、その前に、勝手に向こうから扉が開かれた。ディルたちは呆気に取られたが、扉の向こう側にいたその人と目が合うと、そんなに長く放心しているわけにはいかなかった。




