十七章 森に隠れ住む魔女 2
その夜、零時になる十分前。ディルたちは『北の森』への出発の準備を終えた。遭難した時に備えて服を厚着し、パンをナップザックいっぱいに詰め込んだ。壊れかけの懐中電灯と水筒が首からぶら下がり、ポケットの中のコンパスがその出番を待ち構えている。熊やイノシシとの遭遇に備え、ディルのマントの中には剣が、ジェオのポケットには折り畳式の小型ナイフが、それぞれ待機していた。
「なあ、ディル。レンは歩けるのか?」
船尾への階段の上でうずくまっているレンを心配そうに見つめながら、ジェオが聞いた。当初は、ボトルシップを使って城下町へ出て、そこから海岸沿いを歩いて北の森へ向かう手はずだった。だがレンは、寝室からデッキへ移動するのでさえ、ジェオの手を借りなければならないほど歩けなくなっていた。確かに、レンの体は日に日に衰え、腕や足はみるみる細くなり、きゃしゃになっていった。まるでおじいさんにでもなったようだった。
「あの様子だと、きっと森に辿り着く前に倒れちゃうよ……。それに、ファッグレモンの居場所だって曖昧なのに……」
グランモニカが教えてくれたのは、『草木に覆われた場所』『そばに小さな沼』『小屋』ということだけだ。ヴァルハート城を中心としてその周囲に広がる北の森は、よく魔女や魔法使いが隠れ住む森として知られていた。ファッグレモンがその内の一人だったとしてもおかしな話ではない。だが、もし本当にいたとしても、レンの呪いを解くことは可能なのだろうか? あのレコードから、悪魔を解放させることはできるのであろうか? いや、それ以前に、あの広い森からファッグレモンを見つけ出すことが出来るのだろうか? ディルの心の中は、不安だらけで張り裂けそうだった。
「俺に提案があるんだけどよ。森へ行く場合、歩いて行く必要はねえんじゃねえか? つまりその……あれを使うってのは?」
ジェオはもったいぶるように、船尾の一角を指差した。ディルが指先の向こうを見つめると、そこには、暗がりにぼんやりと浮かび上がる戦闘機『ホワゾンドープ』のシルエットがあった。南十字祭当日、レン、ディル、ジェオ、ラフェリを城下町上空へ連れて行ってくれた、あのホワゾンドープだ。アジトのデッキに着陸させたまま、ずっとほったらかしだったのだ。
「レンの魔法の効き目がまだ切れてなければいいけど……」
ディルとジェオはホワゾンドープに駆け寄り、あちこち調べ回った。スイッチらしきものを残らず全部押したり、あちこち叩いたり、蹴ったり、撫で回したり……。
「こいつ、ピクリともしないぞ」
尾翼を蹴飛ばしながら、ジェオが腹立たしげに言った。ディルは一か八か、優しく声をかけてみた。
「君の助けが今のレンには必要なんだ。急がないと、レンは呪いで死んでしまうんだ。僕たちのために、もう一度飛んでくれないか? そうだなあ……もし飛んでくれたら、君をかっこいい元の姿に戻してあげるよ!」
するとどうだろう。今まで微動だにしなかったホワゾンドープが深い眠りから目覚めたように、エンジン音を段々と豪快に響かせたのだ。ディルとジェオは歓声を上げ、急いでレンの元へ向かった。
「ディル……出かけるのかい? 夜風は体に毒だよ……」
毛布にくるまっていたレンが、弱々しい声で言った。
「大丈夫、ジェオも一緒さ! 毛布を落とさないでね」
ジェオがレンの肩と腰に腕を回し、軽々持ち上げると、そのままホワゾンドープまで運んで行った。ディルがその後を追おうと、階段を駆け上がろうとした時だった。
「え? 何?」
カメがディルのマントの裾を口に咥え、全体重をかけてディルの動きを封じていた。そのカメの甲羅の上で、小ネズミが身軽そうに跳ね回りながら、ディルに何事かを伝えようとしている。
「もしかして、君たちも行きたいの?」
ディルが尋ねると、カメはディルの裾を放し、ネズミは執念深く、小ずるそうな小さな瞳でディルを見つめた。