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十六章  大悪魔と危険な取引  4

 ディルとジェオは、ユンファとアルマの存在が昨日までこの船にあったという事実を悟られないように、うまく話をごまかして難を逃れた。ルイエンは若干腑に落ちない様子だったが、二人が最後までしらを切り通すと、葉巻をくゆらせながらしぶしぶと南の港へ向かってゆっくり去って行った。


「あいつの話が事実だとすると、ユンファとアルマがこの船に狙いをつけた目的は一体何だったんだろうな?」


 船内へ通じる螺旋階段を駆け下りながら、ジェオが質問した。ディルは深く考え込んだまま、何も答えることが出来なかった。あの二人の目的も気になるが、その後の行方が知れないのもまた気掛かりだ。ルイエンという男が捕まえに来ることを、二人は早々と察知し、どこか遠くへ逃げたのだろうか? ユンファとアルマの消息がつかめない今、その答えは分からずじまいだった。


 レンに食事を届けた後、ディルは遅い朝食を済ませ、デッキで釣りを再開させたジェオにファッグレモンについての相談を持ち掛けようと、螺旋階段のある薄暗い廊下へ向かった。ディルはあえて、レンに、まだユンファとアルマの正体を打ち明けはしなかった。衰弱した彼に、あまり刺激の強い話は危険かもしれないと懸念したせいもあるが、理由はそれだけではない。ディル自身、ユンファとアルマが窃盗犯だったという真実を、未だに信じることができないでいた。ルイエンは勘違いしているんだ、きっと貼る写真を間違えたんだ……そうであって欲しいと、ディルは心の底から願った。

 螺旋階段に足を掛けた、その時だった。こんな暑い夏にはもってこいの、涼しげな風が吹いていることにディルは気が付いた。その冷風は足下をゆっくりと流れている。階段のそばには地下部屋への入口があるだけだ。

 この地下部屋は、キングニスモとの戦いに備え、レンが魔法を開発していた『特別』な場所だ。というのも、レン以外はみんな、この地下部屋に誰も足を踏み入れたことがないのだ。レンが自分以外の立ち入りを拒み続け、誰も寄せつけようとしなかったのがそもそもの理由だ。

いつもなら、地下部屋への入口はマンホールのような丸いフタで覆い隠されているのだが、この日は違った。何かの拍子でずれてしまったのか、分厚く重々しい木製の丸いフタが横へはみ出し、地下へと続くわずかな隙間を作り出している。ひんやりと冷たい冷風は、その隙間から漏れ出ているようだ。


『レンにかけられた呪いのことが、何か分かるかもしれない。そうすれば、解決の糸口が見つかるだろう?』


 ディルは自分を説得し、レンへの罪悪感を振り払うのに、しばしの時間を費やした。呪いを解く重大なヒントが、この地下部屋にあるという保証はない。だが、誰かが行動しなければ、誰かが決断しなければ、カエマの思うつぼだ。


「レン……これはレンのためなんだ」


 ディルは頭の中を真っ白にし、入口を覆う寡黙なフタを思い切り蹴り押した。丸いフタは予想以上に軽く、入口の溝から高々と跳ね上がって壁に激突した。木と木のぶつかる鈍い音が廊下に反響し、止めどなく溢れ出る冷風が量を増すと、その冷たさにも輪をかけたようだった。

円形の入口から中を覗きこむと、そこには闇が広がっていた。廊下もかなり暗い方だったが、地下部屋はそれよりも更に暗い。外からの光を完全に遮断しているようだ。地下の上り下りに必要なものは、入口の縁から垂れ下がる一本の縄だけという、粗末なものだった。どれくらいの深さがあるのか、ディルには見当もつかなかった。船の中なので危険はないと思うが、ここを管理するのがあの切れ者のレンだ。侵入を拒むための、魔法の罠を仕掛けているかもしれない。

 だが、ここまで来て尻込みするわけにはいかない。様々な不安や迷いを頭の中から追い出しながら、ディルは縄に手をかけた。全身を使ってスルスルと地下へ降りて行くと、案の定、足が底へ着いたのは入口からすぐの所だった。上を見上げればすぐそこに、真ん丸な入口が口を開けてディルを見つめていた。

 地下へ足を踏み入れてしばらく経つと、急に部屋が明るく照らし出されたので、その眩しさにディルは思わず目をつむった。レンが暗がりを明るく照らす時によく使う、あの小さな太陽が天井すれすれを浮遊しているのを見つけたのは、それから数秒後のことだった。きっと、人が入室すると自動で魔法が発動するようになっているのだろう。

 ディルは、明るく照らし出された地下部屋の全貌を目の当たりにして、ため息交じりに舌を巻いた。そこは、机と三脚の椅子が置かれた、質素で狭苦しい部屋だった。全面が板張りで、壁には魔法陣の派手な刺繍や、生々しい人体の解剖図などが貼られている。天井は手を伸ばせば届くほど低かったし、綿のようなクモの巣が垂れ下がっている。そして、山積みの分厚い本が床一面を覆い尽くしていた。

 ディルはその内の一冊を手に取り、ページをめくったが、まともに読めそうな文字は一つとしてなかった。それは遠い昔に使われていた、古い文字のようだった。ページをぱらぱらとめくっていると、魔法陣の挿絵が度々目に入った。魔法に関連する書物なのだろうか?

 次にディルの興味を引いたのは、机の上に散乱する大量のメモ書きだった。どうやらレンが書き残したものらしいが、そこに綴られていた文字も本と同じ、全く解読不可能な古い文字ばかりだった。だが、たった一枚だけ、ディルにも読むことのできるメモ用紙があった。そこにはレンの筆跡でこう書かれていた。


『魔法体→物質に固定(ディルの剣)→高度な魔法→危険』


 どうやらそれは、魔法体を作り出す方法が書かれたメモ用紙らしかった。用紙の裏には、呪文らしい言葉や、難しい単語が並べられている。

 レンは古代の文字を読み書きすることが出来るのだろうか? そういえば、キングニスモとの戦いの時、魔法体のレンは半透明だったなあ……ディルはそんなことを考えながらふと、椅子の上に置かれた見覚えのある蓄音機に目を奪われた。それは紛れもない、レンがいつもマストの見張り台で愛用している、あの蓄音機だった。蓄音機には一枚のレコードがセットされており、椅子の足下には空のレコードケースが口を開けて転がっている。ケースの絵を飾っているのは、レンのお気に入りの歌手、シルヴァだった……。


「誰?」


 ディルは言いながら、部屋の中を狂ったように見回した。すぐ近くから誰かに見られているような、言い知れぬ恐怖がディルを襲ったのだ。ディルは一度、大きく身震いした。部屋が冷蔵庫のように冷え切っているからでも、何者かの強い視線に恐怖したからでもない。蓄音機に取り付けられたままの漆黒のレコードを見ていて、ディルはその小さな全身に悪寒を覚えたのだ。

 それにしても、見れば見るほど不気味なレコードだ。ほんの少し近づくだけで、希望や生気、魂までもが吸い取られてしまいそうだ。

 そして次の瞬間、ディルは目を疑った。レコードに反射して映るディルの引きつった表情が、突然、睨みつけるような怒りに満ちた表情に変貌したのだ。ディルは声にならない悲鳴を上げ、レコードから出来る限り離れた。そして、独りでに動き出した蓄音機を見て、ディルはその場に凍りついた。

 針がストンと落ち、レコードがぐるぐる回転しても、音楽は聞こえてこなかった。代わりに、氷のように冷たい真っ白な冷気がレコードから噴き出し、地下部屋全体を包み込んだ。今は夏だというのに、この地下部屋だけは冬以上に寒かった。ディルは、白い冷気の向こうに見える小さな人影をはっきりと見た。


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