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三章  城下町にやって来た者たち  1

 純白の車はディルたちが乗ってやって来た馬車ほどで、かなり小さなものだった。車は「グホン!」という轟音と共に小さく身震いし、黒煙の小さな塊を宙へ投げ出した。


「ゴラ! さっさと降りれ! 新車のラグドイル3000型をペシャンコにする気か!」


 運転席から低くしわがれたなまりの強い男の声がそう怒鳴ると、車の所々にしがみついていた人たちは、我先にと地に足を着いた。ディルがふと気付くと、目の前には様々な格好をした女性たちが立っていた。

 色鮮やかな派手な帽子をかぶっている者、貴族が着るような豪華なドレスに身を包んだ者、小さな後部座席からゆっくり降りてきたのは、腰がくの字に折れ曲がり、カシの木で作られた少し長めの杖で、軟弱で今にも崩れてしまいそうな体を支える白髪のおばあさんだ。ディルと年齢も背丈もさほど変わりない、海賊のキャプテンの格好をした子が唯一の男の子だ。


「みんなパパの車が大好きなのよ。それにほら、みんな船旅で疲れてるみたいだし」


 目が大きな猫顔で、包帯を全身に巻きつけたような服を着た女の子が、車から飛び降りるなり運転席の男に向かってそう説得した。ディルは、船守りの男の像は間違いなく今『パパ』と呼ばれたこの人に違いないと確信した。

 その小太りのずんぐりした男は、ダイヤを散りばめた指輪やネックレスをジャラジャラとちらつかせ、ワイン色のタキシードを完璧に着こなしている。緑色のニット帽をちょこんと頭に乗せ、金縁のサングラスは日に焼けた黒い肌に隠れてほとんど目立たず、とんでもなく長い葉巻を咥えて火をつける仕草は圧巻だった。

 男は大量の煙を口や鼻から吐き出し、ゆっくり車から降りた。男は女性たちの方へ向き直ると、葉巻を手に持ち大きく深呼吸した。


「せっいれーっつ!」


 先ほどの砲弾が、至近距離で爆発したかと思うくらいの大きな声が、その場にいた全員の耳を襲った。しかし、女性たちと男の子はその大声にひるむこともせず、手慣れた様子でてきぱき動き回った。やがて女性たちと男の子は背丈の高い方から低い方へ、ゲートを背にして綺麗に横に整列し、最後は杖をついた一番小さなおばあさんがパパと呼ばれる男の脇で静かに立ち止まった。


「長女、次女、三女、四女、六女、七女、次男、ばあちゃん」


男は背の高い方から一人一人、エメラルドグリーンに輝くダイヤの指輪が施された太い指で名指ししながらそう呟くと、満足そうに微笑みながらもう一度葉巻を口に咥えた。


「長男と五女がいないじゃないか! あんた、前みたいに忘れてきてしまったんじゃないだろね」


 男の足を杖で何度も叩きながら、おばあさんは怒りの混じったしわがれ声でそう叫んだ。


「ばあちゃん! あの二人はもうここに来てるんだよ。今朝もそう言ったじゃないか!」


 男は杖から逃げるように後ずさりし、哀れっぽい声を出した。まだ痛みの残る足をさすりながら、男とトワメルの目が合った。ディルは二人を同時に見つめ、これから何が始まるのだろうと息を呑んだ。二人の距離は少しずつ縮まり、互いににらみ合って相手を威嚇しているかのようだ。しかし、周りの人々が緊張し始める前に、決着は呆気なく着いた。トワメルは片膝を地に着け、その場にしゃがみ込み、深々と頭を下げた。


「お待ちしておりました。ビト・フェニキス様、そして御家族様。お迎えに上がりました私の名はトワメル・ナックフォード。城まで御案内するのが私の使命」


 ビトという名のその男は、さも勝ち誇った顔をしてトワメルを見下ろした。漆黒のレンズの中にある、ビトの冷たい瞳がディルには見える。


「ナックフォード……世界に名高いあなたは、やはり立場というものを分かっていらっしゃるようだ」


 ビトはさげすんだ発言を訂正することなくこうも続けた。


「俺たちは常日頃からあんたたちのような小さな世界を相手にしてきた。文化の違いや価値観の違い、様々なものを見てきた。そして、その全てに共通して言えること……」


 しゃがんだまま姿勢を崩そうとしないトワメルを見て、ディルはトワメルが早く顔を上げてくれればいいのにと思った。ディルは初対面の謎の男に好き勝手言われっぱなしなのが、なんだか悔しかった。


「それは、誰もが私たちの一部しか見ようとしないということだ。何も知らぬ知恵浅い民衆が、己の立場をわきまえず、好き勝手に我々を扱うことだ。だが仕方あるまい。私たちキングニスモの前では、王族というその名も、名誉も、全てがかすれてしまう」


 そこに集まっていた兵士や町の人々からざわめきが起こった。ディルも今確かにキングニスモと、そう聞いた。

 キングニスモは『子供が手がけた脚本でも映像化してみせる!』を歌い文句に世界中を飛び回る、誰もが知る映画撮影隊なのだ。代表作として知られる『屋根裏のパーティー』『銃口の先』『ゼルホーンズ 山積みのほこり』などは、どれも優秀な作品として選ばれた有名なものだ。キングニスモの総監督は『ビト・フェニキス』という名の男だということもディルは知っていた。なぜ最初聞いた時に気付かなかったのだろう。

 ビトは葉巻を投げ込むように口に咥え直すと、嫌味混じりの表情に、更に皮肉を込めてあたりを見回した。ビトが住民たちに近づき、もう一度何か言い放とうと葉巻を手に取った時だ。


「ねえ、パパ。私そろそろ町へ出向きたいのだけど?」


 一番右端の一番背の高い長女が、大人びた低めの声でそう言うと、ビトは拍子抜けしてガックリ肩を落とした。トワメルは顔を上げて立ち上がり、ディルと共に、またしばらく放って置かれるのだなと覚悟を決めていた。


「そろそろ新しい衣装を買いに行こうと思ってたのよ。ヴァルハートには良い生地が揃っているって聞いて、前から楽しみにしていたの」


 長女はローズ色の赤いドレスを着ていて、栗色の髪の毛をリンゴほどの大きさに結っていた。喋り方から、気品に溢れた“お姉様”であることが分かる。ビトはあせった様子で長女の方を向いた。


「待て、あわてるな、あと少しだから」


 そう小声で叱りつけた後、次に口を尖らせて言葉を発したのは左から三番目の六女だ。


「姉さんと兄さんはもう行ってるんでしょ? それってずるいわ。だってパパのいつもの長いお話、聞く必要ないじゃない」


 六女は腕を組み、赤い頬を膨らませてそう言った。灰色の地味な服を着たその容姿は、見かけによらず強情そうだ。ビトは困ったように首を横に振った。


 「お前はいつだって俺の話を聞いていないだろうに」


 右から二番目の次女と、三女と四女の双子が何やら小話を始めたようなので、ビトのイライラは更に膨張したようだ。次女は姉妹の中では目立つほど太っていて、身に装っている白いふわふわのドレスはその巨体を更に大きく見せていた。双子の三女と四女は揃って美人だ。滑らかで繊細な長い黒髪、ピンクに映えるバラの派手なろう細工が飾られたパンジー色の帽子、身に付けているアクセサリーや、着ている薄地の晴れ着までみんな一緒だったので、簡単に見分けることは難儀だった。


「パパ。私たち、先に町へ行ってはダメかしら? みんな退屈で、きっとイライラしてるのよ。それに、私たちがいなくても支障はないと思うの」


 つい先ほど、父親に説得していた猫顔の七女は、数歩前進するなり出し抜けにそう言った。穏やかで冷静なその口ぶりは、長女に劣らないほど上品で、目を見張るものがある。

 ビトは、七女が他の子よりも図抜けてしっかり者であることを知っているらしく、その言葉に感心して、葉巻を咥えたまましばらく考え込んでしまった。


「ジプイは私が面倒を見ます。この子一人だと不安ですもの。城へは町の方々に聞けば辿り着けるでしょうし、ヴァルハートは平穏な国だと聞いていますから、それぞれの自由行動はそれほど危険なことではないと思うんです」

 七女は、キャプテンの格好をした男の子の肩をつかんで半ば強引に引き寄せながら、ビトをもう一度説得した。他の姉妹たちが横目で七女を見つめては、『よくやった』と笑顔で小さくうなずくのをディルは見た。ビトが尚も考えるので、そばでその様子を眺めていたおばあさんがとうとうしびれを切らした。


「あたしだってね、ビト。あんたに着いて行く気はちっとも無いんだよ。あんたの退屈な仕事に付き合わされてたまるかい」


 ビトは、おばあさんが振り回す杖をすばやくかわしながら顔面を青くした。おばあさんの甲高い声はこうも続いた。


「旅行へ出かけた息子夫婦は、母親のあたしを置いてけぼりってわけかい。だから嫌なのさ、ああいう俗の連中はね」


「ばあちゃん! だからこうしてこの国まで連れて来てあげたんじゃないか。それとも、妻のマリンダと一緒にオアシス同好会の紅茶パーティーに出席してた方が良かったかい?」


 ビトを狙って空振りした杖は、空を切る鈍い音を追いかけるように何度も同じ動作を繰り返し、その度におばあさんの怒りが込められていくようだった。ディルはふと、このカシの杖はビトをこらしめるためにあるのではないかと察した。

 ビトを散々追い回したおばあさんは疲れた表情も見せず、見物にやって来た住民や兵士たちの中を突き進んで町の方へ行ってしまった。ビトは荒げた息を整え、落ち着き払って娘たちを振り返った。


「しょうがねえ、解散だ。日没までに城へ集合」


 ビトはどこか腑に落ちない様子でそう言うと、喜んで歓声を上げている娘たちを尻目に、トワメルの方に悠然と向き直った。ディルは、またビトが性悪な小演説を始め出すのではと不安にかられたが、どうやらそうではないらしい。


「ナックフォードさん。俺は一度、あんたと酒を酌みながら話したいと思ってたんだ。

どうです、一杯だけでも?」


 トワメルはいつもの鋭い眼でビトを見つめ、色々考えていたようだが、その間、眉の毛一本動かすことはなかった。


「フェニキス氏からのお誘い、光栄に思います。快くお引き受け致します。ただ……」


 トワメルの眉が少し吊り上がったのをディルは見た。トワメルは変わらない冷静な口調でこう続けた。


「ただ、御子息方への勝手なご指示は困ります。最近、この地は以前ほど安泰ではなくなりました。国王が行方不明になられたことをご存知でしょう?」


 ビトは何も気にする必要はないとばかりに葉巻を大きく吹かし、トワメルの顔を覗き込んだ。


「その一件も踏まえて、じっくり話しましょうよ。ねえ?」


 ビトは耳にまとわりつくようないやらしい声でそう言うと、大股で新車のラグドイルに向かい、元気良く飛び乗ってエンジンを蒸かした。トワメルは「先に帰っていなさい」とだけディルに言い残し、ラグドイルの豪快なエンジン音と共に町の方へ走り去ってしまった。その娘たちはというと、すっかり住民たちの輪の中に閉じ込められてしまっていた。

 姉妹たちが愛想よく接しているかたわらで、六女だけがしかめ面に無理に笑顔をかぶせ、不承不承な態度で応対しているのがかすかに見えた。所々から、映画についての質問や、どうしてこの国に来たのかを問い詰めようとする必死な声が聞こえてくる。

 ディルは今日一日、稽古や勉強などから身を外すことを許されていた。だから早く屋敷に帰り、本棚の奥に隠してあるトワメルに見つからずにすんだもう数冊の“くだらない”本の続きを読もうと意気込んでいた。

 トワメルからあれほど注意されようとも、本の中の空想世界を親しみ、楽しむことをそう簡単にやめる気にはなれない。ディルにとって、この厳しい現実世界を忘れることができるのは、そのひと時くらいなのだから。


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