十五章 グランモニカ 4
「前にも言いましたように、俺たち『反・カエマ派』の目的はカエマを倒すこと。ただ問題なのは、俺たちにカエマを倒すだけの力がないということなんです。つい昨日、俺はカエマの真の力を目の当たりにしました。手も足も出ず、ただ絶望するしかありませんでした」
「……レン、何を言いたいのかはっきりしなさい」
グランモニカがゆるりとせっつくと、レンの土気色の顔に少しの赤みが差した。そして次の瞬間、ディルの心拍は一気に跳ね上がった。
「ディルに、アクアマリンを授けてほしいのです」
ディルはレンの猛々しい眼差しを見た。冗談など微塵も感じさせない、レンの真剣な顔つきがグランモニカからの朗報を待ち望んでいるようだった。ディルさえも、ただじっとグランモニカの反応を待つことしか出来なかった。
「ディル・ナックフォード。あなたはレンの意見についてどう思うのですか?」
「僕は……」
グランモニカの突然の質問に、ディルは戸惑いを隠しきれないでいた。ディルは一度、志願兵たちがトワメルとの面接時に、極度の緊張のせいでしどろもどろになっているのを見たことがある。今の自分はまさに、その志願兵たちと一緒だった。
『ああ、レン。どうして僕なんかに……』
的確な答えを導き出す間、ディルは心の中で何度もそう呟いた。
「ディル、どうなのです?」
ディルはちらとレンを見た。レンは相変わらず無言のまま、まっすぐ前を見つめていた。
「分かりません……僕に魔力が必要かどうか……」
ディルは勇気をたぎらせ、慎重に言葉を選んだ。答え方によっては、レンのように、本当に魔法使いになってしまうかもしれない。
「……そうですか。レン、この子はまだ決め兼ねているようです。あなたの独断だけで、アクアマリンをそう易々と手渡すわけにはいきませんよ」
グランモニカが静かにたしなめると、レンは一度、大きく深呼吸した。そして、ため息まじりで荒っぽく吐息を吐き捨てた。
「ディル、よーく考えてみるんだ。カエマに対抗するには、もう魔法しかない。俺に力を貸してくれるよな?」
レンの熱い眼差しがディルに向けられると、ディルはますます答えられなくなってしまった。レンの力になりたい、レンの役に立ちたい。だがディルは、魔法使いになることを望んではいなかった。しかし、レンのことを思うと、そんなことはとても言えない。
「カエマだけの問題じゃない。ディル……ディルは将来のことでも悩んでいたじゃないか。本当にトワメルさんの後を継ぐことができるのかって、いつまでも弱いままの自分を責め続けていたじゃないか。アクアマリンさえあれば、トワメルさんを越えることだって出来るんだぞ。……いいか、ディル? こんなチャンス、もう二度とやって来ないんだ」
ディルは、レンに肩を何度も揺さぶられ、完全に困惑しきっていた。レンの疲労した表情が、悲痛な叫びと共に訴えてくるようだった。削げ落ちた頬と目の下のくまが調和し、土気色の肌に不気味なほどよく映えていた。
「レン、どうしたの? 痛い、痛いよ!」
レンはそのままディルを押し飛ばし、尚もめげずにグランモニカに食ってかかった。
「グランモニカ様、少し時間をください。ディルはおかしいんです。俺たちにはアクアマリンがなきゃ駄目なのに……ちゃんと説得しますから」
グランモニカは何も答えなかったが、その大きくて青く澄んだ瞳は、確かにレンを見据えていた。レンはまたすぐにディルの方を向き直り、上から覗き込んだ。そこには、ディルが今まで見たことないほど強烈な、レンの睨みがあった。何かおかしなことが起きていると、ディルは全身に恐怖を感じた。
「レン……僕は、アクアマリンの力に頼らなくても、絶対にお父様より強くなってみせる。カエマ女王だって、みんなで立ち向かえばきっと勝てるよ。だから、僕に魔力はいらない……僕は、生まれ持った自分自身の力を信じたいんだ!」
レンを傷つけるつもりも、悪気もなかった。だが、これがディルの本音だった、これがディルの考えだった。レンはちゃんと理解してくれる……はずだった。
「……レン?」
レンは、剣の柄をしっかりと握りしめていた。ちょうどその時、刃の半分が異空間から抜け出ている途中だった。今、ディルの目の前にいるのはいつものレンではない。カエマの呪いの力によって目覚めた、もう一人の、全く別の人格を持つレンだった。
「レン・ハーゼンホーク、武器をしまいなさい! 規則を守らねば追放です!」
グランモニカがかつて例をみないほどの早口で警告しても、レンには全く聞こえていないようだった。それどころか、手にした大剣を少しの躊躇もなくディル目がけて振り下ろしてきた。ディルはかろうじてその大きな刃から逃れ、グランモニカの玉座まで転がるように逃げ込んだ。
「レン! どうしちゃったんだよ!」
カメの甲羅で身を隠しながら、ディルは必死の思いで叫んだ。レンはぜえぜえ喘ぎながら、いつもなら軽々持ち上げる剣を重たそうに両手で構えた。正気を失ったレンは、グランモニカをちらと眺め、そしてディルを睨んだ。その目を見た途端、ディルの体は凍りついた。
「悪かったな、ディル」
レンがしゃがれ声でやにわに言った。
「俺はアクアマリンに頼らなきゃいけないくらい弱い人間なんだ。嫌なことからはとことん逃げて、自分ではちっとも努力しようとしなかった、ただの弱虫さ。兵士をやめたかったのも、戦場で死ぬのが怖かったからさ……だから逃げ出した。悪かったな、ディル……お前の思想に反しちまって」