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十四章  西の海底  5

「俺がここへ来るのはこれで二度目なんだ。さあ、歩けるかい?」


 立ち上がると、ディルの服はいつの間にか温かい太陽の陽射しで乾かしたように、水分が完全に取り除かれていた。身も心も温まったような気がした。


「前はどうしてここへ来たの?」


 小石を踏みしめながら、岸の向こう側に見える小さな空洞に向かって二人は歩いた。


「そうだな……ルーシラからの了承も得たことだし、教えてやるか」


 青黒く透き通った水面から目を離し、ディルはとっさにレンを見た。


「発端は、俺が城を追放されたことにあった」


 レンの声に渋みがかかった。

「トワメルさんだけは分かってたんだよな……俺が親父を殺してないってことがさ。親父が殺されてから数日経って、城中のみんなが俺を疑うようになった頃、トワメルさんはロアファン王を説得し、俺を逃がしてくれた……追放って形でね。まあ、ロアファン王は俺のことを疑ってたみたいだけど……」


「それじゃあ、お父様はレンが犯人じゃないってこと、ずっと知ってたんだね」


 ディルは、憩いの広場の『大事なお知らせ掲示板』に貼られたレンの指名手配状を思い出していた。そして、トワメルはどういう心境であの文章を書いたのだろうかと、ふと気になった。


「それから、俺は人目につかないように森を通った。そのまま山道へ入って、山にこもるつもりだったんだ。だけどそこで、キングニスモのシュデールとハムって奴らと鉢合わせた。二人は足場の悪い森の中で、小さな荷車を引っ張りながら歩いてた。その荷車に、誰が乗ってたと思う?」


 レンはクスクス笑いをした。ディルは首をかしげた。


「もしかして、ルーシラ?」


「その通り!」


 レンが声を張り上げた。それと同時に、足下に転がっていた大きなほら貝がガサガサと動いた。


「あの二人、ルーシラを誘拐してる途中だったんだ。ルーシラは手足を縛られたまま気を失ってた。まあ、さしずめ、カエマからの命令だったんだろうな。カエマの狙いはアクアマリンが持つ巨大な魔力だ。だからまだ幼いラフェリさえも、血眼になって探していたんだろう。……というわけで、俺は何となく、ルーシラを助けることにした」


「それで、どうなったの?」


ディルは夢中になってレンの話を聞いていた。ずっと気になっていたレンとルーシラの出会いが、今解き明かされようとしているのだ。一言も聞き逃すわけにはいかない。


「剣で脅しつけると、あいつらはすぐに降参したよ。俺は荷車ごとルーシラを奪って森を抜けた。それから、海岸近くの山道でルーシラは目を覚ました。あの時は、お礼の嵐だったなあ。ルーシラの奴、暇さえあれば礼を言うんだ。次の日になって、どうしてもちゃんとした礼がしたいからって、俺をここまで連れてきたんだ。自分が人魚だってことや、アクアマリンの力の秘密を明かしてね。その事実を知った時は、俺だって腰を抜かしたさ。だってよ、偶然助け出した女の子が人魚だぜ? あの人魚!」


 レンはもうすっかり興奮していた。声が岩の壁に跳ね返って、四方八方に反響した。


「僕だって、未だに信じられないよ……今自分が、人魚たちの住む洞窟にいるなんて」


 ディルはもう一度辺りを見回し、首を振った。やはり、信じがたい光景が目の前に広がっていた。青く輝く岩壁や、吸い込まれそうなほど黒深い水面、足下を行ったり来たりしている、甲羅にたくさんの真珠をくっつけているおしゃれなカニ。水面にそそり立つ岩場には、真っ青な蝶々が群を成して飛んでいる。


「そして俺は、この西の海底で一番偉いグランモニカって人魚を謁見したんだ。そうしたらその人魚も、『我が一族を助けてくれたお礼をしたい』って頼み込むんだ。人魚って生き物は、誇り高い性格らしいんだな、これが」


 ディルは、ヴェルデンテが言っていた『人間には借りがある』の意味がようやく分かった。きっとそれは、レンのことを言っていたに違いない。


「そこで俺は、魔法を使って悪さを働くカエマのことを教えた。俺は既にその時から、カエマが親父を殺したってことに勘付いてたんだ。そして、俺も魔力を持ってあいつを倒したいと、そのアクアマリンを譲ってくれと、そう要求したんだ。さすがの人魚一族も、素直に首を縦に振ってはくれなかったさ。だけど、いくつかの条件を守るならアクアマリンを少しだけ譲ってもいいという決定が下った」


 レンは指を一本突き立てた。


「まず一つ。監視役の承諾がない限り、アクアマリンと人魚の関係を明かしてはならない」


 二本目が勢いよくそそり立った。


「二つ。ルーシラをその監視役とする」


 三本目がぐいと立ち上がり、ディルに挨拶した。


「三つ。人魚族が用意した沈没船で暮らすこと。水中が不便なら、浮上させても構わない」


 これで最後と言わんばかりに、四本目がピンと弾き上がった。


「最後の四つ目。必ずカエマを倒すこと」


 四つ目の条件はかなり意味ありげだった。無論、グランモニカが、レンが初めからカエマ打倒を視野に入れていたことは承知のはずだ。だが、その偉大な人魚がアクアマリンを渡す条件の中に、わざわざそういった内容を加えてきたとなると、何らかのプレッシャーをレンに与えているのかも分からない。つまり、人間がアクアマリンの持つ魔法の力を手にするということは、それほどまでに重大な事で、大きな責任を課せられるたいへんな責務であるといえるだろう。

 ディルが空洞と思い込んでいたのは、じつは狭苦しい通路だった。そこは、小柄なディルでさえも、頭をかがめなければ通り抜けられないほど狭かった。


「あいたっ!」


 ディルの数歩先を進んでいたレンは、固い岩の天井に何度も頭をぶっつけていた。通路はやたらと暗かったので、途中、たくさんのわき道があったことに、ディルは気付かなかった。体のあちこちをズキズキと痛めながら、二人はやっとの思いで通路を抜け、その向こう側へ足を踏み入れた。そしてそこには、さっきまでいた場所とは全く異なる、別の世界が存在していた。

 その世界を一言で言い表すとすれば、『図書館』が最もふさわしいだろう。茶色や黒、黄色や白といった色とりどりの本棚が水中から突き出している。ディルたちにとっては足場となる岸辺にも、たくさんの本棚が壁のように連なっていた。ガラス扉の付いたものや、椅子と机がセットになった小さなものまで、種類は様々だったが、中には壊れかけの朽ちた本棚や、後方へ不自然に傾いている本棚なんかもちらほら目に入った。

 真ん中に通る一本の白い砂利道が、この『図書館』を東西へ両断していた。どうやら、この一本道を進む以外、別の道はなさそうだ。


「ここ、どうなってるの?」


 水中でお目当ての本を探している女性の人魚に目を奪われながら、ディルは出し抜けに感想を述べた。今自分が、無数の本に囲まれていると思うと目が回りそうだった。見渡す限り、本、本、本……本ばかりだ。


「ヴァルハートの国民がどうしてあんなにまで本への執着心が強いのか、これで分かったろ? この西の海底はヴァルハートの地下に存在する海底洞窟だ。ずっとはるか昔に、人魚たちは地上へ、たくさんの本の知識や、素晴らしさを教えてきた。ここには、何千年も前の本からつい最近の本まで、世界中のあらゆる本が詰まってるんだ……と、俺は前にルーシラから教えてもらった」


 その時、すぐ近くの本棚の陰から、女性の人魚が姿を現した。首に黄色いスカーフを着飾った年配の人魚だった。


「おんやまあ!」


 人魚の目が丸くなった。手に数冊の本が握られている。


「人間かい? 足があるねえ。おんやまあ、誰からのお招き入れだい?」


「ルーシラと、ラフェリ王女です。グランモニカ様に謁見しに参りました」


 人魚の目は丸々と開き、顔面に花が咲いたように華麗に笑ってみせた。


「王女様が帰って来る! 帰って来るんだあ! ……こうしちゃいられない、みんなに報告しなきゃ! 儀式の準備だね!」


 人魚は高々と水しぶきを上げながら水中へ飛び込み、姿を消した。


「王女って? ラフェリが王女様?」


 頬に付いた水滴を袖で拭き取りながらディルは聞いた。レンの土気色の顔に、小さな笑顔がかすかに浮かんだ。


「あれ? まだ言ってなかったっけ?」


 レンはもったいぶった。ディルが更に問い詰めようとすると、道の向こう側から聞き覚えのある大きな呼び声が聞こえてきた。人魚の格好をしたルーシラの姿が、ちぎれんばかりに両手を振り上げているのがうっすら見える。


「話は取り付けたわ。いつでもいいわよ」


 ディルとレンが本棚と本棚の間にあるわずかな小道を進み、やや広々とした空き地に到着するや否や、ルーシラが出し抜けに、そわそわしながら言った。


「俺、あそこは苦手なんだよなあ」


 顔をしかめながら、レンがぼやいた。


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