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十四章  西の海底  3

 レンに急かされるまま、ディルは状況を呑みこめない内に着替えを済ませてしまった。いつもの黒マントをはおっていた時、レンがずかずかと部屋にやって来て一言、「デッキに集合だ」とだけ言い残し、また闊歩して部屋を出て行ってしまった。ボトルシップは使わないのだろうかと疑問に思いながら、ディルはデッキへ向かった。

 デッキには、もうすでにみんなが集まっていた。レンは中央のマストのそばにみんなを集め、これ見よがしにルーシラとラフェリをその前に立たせた。レンの顔は隅から隅まで笑顔が広がり、その表情からはレン特有の、溢れんばかりのいたずら心が丸見えだった。ディルだけは、レンが見せるあの会心の笑みの裏に、みんなを驚かせてやろうと意気込むレンの企みが覆い隠されていることを、ちゃんとお見通しだった。


「でもルーシラって、どこか怪しいと思ってたのよね、あたし」


 今しがた到着したばかりのディルに、アルマはこっそり耳打ちした。


「あの、レン? すごく恥ずかしいんだけど……」


 全身が真っ白なルーシラは、頬だけピンク色に染めてそう言った。それに比べ、ラフェリは得意満面の表情だった。


「よし、出発だ!」


 くたびれたレンの顔が明るい声を発すると、ルーシラとラフェリは目を閉じ、手を合わせ、強く念じた。そしてディルはこの時、二人の体が宙に浮くのをこの目で見た。周りに金色の球体が出現し、二人はその中にそれぞれすっぽり包まれてしまった。合わせて二つの大きな球体は、しばらくディルたちの前で浮遊した後、ゆっくりとデッキに着地した。明るい金色の輝きは、やがてくすんだ黄色に変わった。

 今のディルには、これくらいの魔法ならへっちゃらで、あまり驚きはしなかった。だがその思いも、球体の中身を見るまでの話だった。この十二年間、自分の中に大切にしまってあった概念が、今ここで、全てくつがえされたのだ。

 少しずつ、ぼんやりと透明化していく球体の中から、やがてルーシラとラフェリがその姿をさらけ出した。それを見た瞬間、全員の下あごが五センチほど落ち、しばらく戻らなかった。ディルたちの視覚に狂いがなければ、それを間違いなく“人魚”と認知したはずだ。

 下半身は一般的に魚類と呼ばれる魚の尾ひれになっており、大きなうろこの一つ一つに、光沢のある虹の七色が輝いている。上半身は特殊な糸で繊細に織られた、かつて見たことないほど上等な衣だった。衣をじっと見ていると、その生地が水でできているのでは? と疑ってしまうほど壮麗で、湖面のようにキラキラと輝いていた。


「これを」


 あごが外れたままのディルに、ルーシラが手を差し出した。すると、何もなかった手の平の上に、一つの巻貝が淡い金色の光に包まれてぼんやり現れた。赤の極彩色が全体を彩り、先端部には紐が通され、首からぶら下げられるように加工されている。


「ねえディル、どう、似合ってる?」


 ラフェリがディルの前にスルスルやって来て、尾ひれをばたつかせた。頭の上の赤い帽子が、かわいらしい小さな王冠に変わっていた。


「人魚って……とっても変わってるね。すごく綺麗だけど、すごく奇妙だ……」


 正直、ディルは返答に困っていた。そのすぐ後、ジェオがうろこをくれだの、触らせろだのとしつこくラフェリに迫ってくれたのはありがたかった。


「これ、どう使うの?」


 巻貝を首にかけながらディルはルーシラに聞いた。だがルーシラは、ラフェリをジェオから引き離すのに必死だった。


「詳しいことはレンが知ってるわ。私たちは海からで大丈夫だから、先に行って」


 なぜか、ユンファとアルマまでもがジェオに加勢したので、デッキの上は一時騒然となった。結局、ルーシラとラフェリは一瞬の隙を見計らって海に飛び込み、海面で船上のディルたちに向かって手を振ったかと思うと、次にはもう姿がなかった。


「さあ、ディル。俺たちも行くぞ」


 海に飛び込んで後を追いかけようとするユンファを押さえ込みながら、レンが声をかけた。今日のユンファはどこかおかしいと、ディルは思った。かなづちだったはずのユンファが、海に飛び込んでまで人魚のうろこが欲しいだなんて、まったくおかしな話だ。


「こいつの使い方はとっても簡単。穴の部分を耳に当てるだけでいい」


 ディルは言われた通り、巻貝を耳に押し当てた。ごつごつとした手触りが気掛かりだったが、穴のずっと奥から聞こえてくる波の音が耳を通って全身に響き渡ると、そんなことはどうでもよくなるくらい気分が和んだ。

 波の音を聴きながら、ルーシラたちの追跡を断念したユンファをボーっと眺めている内に、ディルは全身が大波にさらわれるという、不思議な錯覚に襲われた。一瞬、大津波が船もろとも飲み込んでしまったのかと思った。だが、そうではなかった。いつの間にか、ディル自身が海の中へ移動していたのだ。


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