十三章 敵の中に生きる者 2
「どういうことだ……?」
ジェオは苦々しげな表情で呟き、ディルは驚愕の表情で立ちすくんでいた。だが、レンはフンと鼻で笑ってあしらった。
「そんな格好に変装してまで、南十字祭を楽しみたかったってわけか。魔法戦士部隊に裏で指示を送っていたのもあんただろう?」
「ずいぶんと横柄ね」
カエマ女王の顔が言った。
「勘違いしているようだから教えてあげるけど、私が本当の自分を隠す時は、大衆の前にその姿をさらけ出す時だけ。女王という名の高貴な身分において、本当の私を知る者は数少ない。なぜなら、女王が真実を闇のように覆い隠してしまっているから」
カエマはもう一度、額に右手をあてがい、顔の形をなぞるようにゆっくり下ろしていった。カエマ女王の顔は消え去り、再びあの灰色の瞳がこちらを見つめていた。
「ばかのロアファンが私に託したもの。それがあの女王という名の顔……若き頃の私自信の顔だった。闇が覆い隠していた真実は、今、あなたたちの目の前にあるのよ」
カエマの言葉で、ディルたちは沈黙させられてしまった。だが、弱気な所は見せまいと、誰一人としてカエマから目を離そうとはしなかった。ここで目を背ければ負けを宣言するようなものだ。
「あんたの正体は十分承知した」
しばらく無口だったレンが、最前線で声を張り上げた。
「で? 目的は何だ? 今こうして俺たちの前に現れた目的だ」
口が横に裂け、黒ずんだ歯を剥き出しにしてカエマは不気味に微笑んだ。
「あなたのことだから、どうせ分かっているんでしょう?」
レンが舌を打った。またイライラが戻ってきたようだった。
「……ラフェリだな」
レンがその名を口に出すと、ラフェリはより強くジェオの腕にしがみ付いたし、ジェオはカエマに対する警戒心を更に高めたように見えた。
「私にその子を渡しなさい。そうすれば、あなたたちに危害は加えないわ」
ディルはレンの背中を見つめていた。レンが今何を考えているのか、そればかりが気になっていた。ラフェリを手放そうなんて考えがレンの中にあるのなら、ディルは力ずくで止めに入るつもりだった。
「その言葉、どこまで信じられる?」
レンは探りを入れるように、慎重に話しかけた。
「さあ……あなたたち次第ね」
カエマが言うと、ディルはみぞおちをえぐられたような気分の悪さに陥った。ちらとラフェリを見てみると、蒼白しきった顔で、不安そうにディルを見つめ返していた。ラフェリの潤んだ青い瞳が、先ほど交わした誓いのことを思い出させてくれた。レンがはっきりと断わらないのなら、自分が行くまでだ。
「カエマ女王!」
路地に反響したディルの声が雨のように降り注いだ。
「ラフェリは渡さない! 絶対に絶対に、絶対に渡さないぞ!」
胸の内にあった恐怖と、目の前の魔女を吹き飛ばすように、ディルは腹の底から大声を発散させた。
「その通りだ、ディル!」
レンの凛々しい笑顔がそう言った。そして、本当にそこにあったかのように、レンは空を握り、一本の大きな剣を魔法の力で取り出してみせた。丁寧に磨き上げられた剣が、カエマを静かにとらえていた。
「それでいい」
レンの剣にも劣らない、鋭い声でカエマが言った。
「あなたたちが私との交渉を断わらないと、物語が進まないもの」
カエマは言うと、レンと同じように空を握り、どこかの空間から銀色の剣を取り出してみせた。薄暗い路地でも、カエマが手にした銀の剣は自らが光を放っているかのように、爛々と輝いていた。
「教えてあげましょう。もう一つの真実を」
薄笑いを浮かべるカエマに、レンはすかさず斬り込んでいった。その標的がまた魔法体なのかどうか、ディルには分からなかった。それに、レン一人に頼るわけにはいかない。昨日、ディルの目の前で突然倒れ込んだレンに、また同等の症状が出ないとは限らない。レンの振り下ろした剣と、カエマの銀の剣が金属音と共に重なった時、ディルはマントの中の剣を抜いた。
「ディル! 余計なことはするな! こいつは俺一人で十分だ!」
レンの震える声がディルに絡み付き、しばらく離れることはなかった。二つの剣が十字に交差し、その一方で、レンとカエマが歯を喰いしばって互いを睨み続けていた。
「その程度か……レン。あの日から何も変わっていませんね」
「何を言ってやがる」
ディルは、ジェオとラフェリのすぐ傍まで後退しながら、二人の会話を聞いていた。表通りの賑やかな喧騒に混じって、かすかに声が聞こえてくる。
「初めに言ったでしょう。私はあなたの全てを知っていると。なぜなら……」
ディルは、カエマの顔が少しずつ変わっていくのをただじっと見つめていた。初老の顔が炎で溶かされたようにどろりととろけ、やがて交差する剣の向こうに、一人の男の顔が現れた。レンと同じ真赤な髪の毛、やせこけた頬にとがったあご……。カエマの姿は、上半身から下半身まで、なめし皮の軽装な鎧に身を包んだ一人の兵士に変わっていった。
力強い視線を放つ勇ましい眼がレンを見つめ、薄い口ひげの下から言葉が放たれた。
「レンが生まれてから、俺が死ぬまでの間、ずっとお前のことを思って生きてきたのだから」