十二章 再会と逃亡 4
「走るぞ、ディル! ばれちまった!」
レンの焦る声が聞こえたかと思うと、次にディルが耳にしたのは風を切る音だった。レンはディルとラフェリを脇に抱え、猛スピードで天の川通りを駆け抜けていた。あまりに速すぎるせいで、人が人に見えず、建物を建物と認識できないほどだった。ラフェリは声の出る限りを尽くして叫び続けたし、ディルは視界がぐるぐる回って見えるせいで、気持ちが悪く、うなっていた。
レンがその速度を緩めたのは、天の川通りでも特に人々が密集している『ホワゾンドープ・ドラートラック旧小型戦闘機』展覧場の手前だった。ディルは視界の定まらない眼でその光景を見つめた。巨大な麦わら帽子をかぶり、赤と青のゴリラの刺繍がほどこされた派手なシャツに身を包んだジェオが、戦闘機に乗ってはしゃいでいる姿が見える。
レンは二人を抱きかかえたままそこに集まる人ごみに紛れ、身を縮めてしきりに後方を気にしていた。
「魔法戦士部隊に追いかけられるようなことでもしたの?」
ようやく地に足を着けることを許されたディルが、黒い鎧の集団が近づいてはいないかと、レンと一緒に確認しながらそう聞いた。
「そんなの、こっちが聞きたいよ」
肩で息をしながら、レンは涙声を出した。
ディルはふと、『ホワゾンドープ』というドラートラック国生産の戦闘機の展覧場にいることに気付いた。戦闘機は全部で五つほど展示されており、その一つには試乗することもできるらしい。といっても、この戦闘機はとっくの昔に廃棄されたもので、今はピクリとも動きはしない。爆弾を一つ持てるだけの実用性の少ない戦闘機だった。試乗可能な一機は外壁が取り外され、中身が見やすいように加工されていた。左翼は半分折れ曲り、全体のメッキは剥がれ落ち、所々錆びついていた。中綿がぶくりと飛び出したボロボロの二つの座席を陣取っているのは、子供のようにはしゃいでいるジェオだった。
「何やってんだ、あのおっさん」
操縦桿を握り、誰かに大声で指令を出し、すっかり操縦士になりきっているジェオに向かってレンが吐き捨てた。その周囲に集まる子供たちは、「おじさん早く代わって」という非難の声をジェオに浴びせ続けている。
「ところで、あなたがレン?」
腕を組み、背伸びをしながら、ラフェリはレンにぐいと顔を近づけた。驚いたことに、レンは深々と一礼し、その場に片膝をついた。そして、いかにも紳士的な口調で話し始めた。
「先程の御無礼、大変失礼致しました」
レンはもう一度頭を下げ、うやうやしい高貴な態度で話を続けた。
「申し遅れました。私の名はレン・ハーゼンホーク。積もる話もありますでしょうが、今は時間がございません」
そう言うと、レンは冷たい笑みを浮かべ、今しがた駆け抜けて来た道を、目を細めて見据えた。人々の足の間から、魔法戦士部隊の面々がこちらにやって来る姿がはっきりと確認できる。その歩幅は徐々に広がり、速度も速まっていった。
「レン、これからどうするの?」
レンを急き立てるように、ディルは早口でそう聞いた。レンからの返事は、明るい笑顔と共にやって来た。
「飛ぶのさ!」
再び、ディルとラフェリはレンの腕の中に収まった。レンは地面にくっつきそうになるくらい深くしゃがみ込み、次には、カエルのように足を伸ばして特大のジャンプをしてみせた。ディルは束の間の空中浮遊で、通りの色々な様子を瞬きもせずに見届けた。近づいて来ていた魔法戦士部隊は五人ではなく、五十人ほどであったこと、足下の人々がこちらを指差したり、面食らった表情で見つめたりしている光景。
やがて、ディルの目の前にガラクタも同然の戦闘機『ホワゾンドープ』が姿を現し、次に見えたのは、下あごが外れ、引きつった表情でこちらを見つめるジェオの姿だった。ジェオが声にならない叫びを上げ続ける中、レンは座席の後ろの狭い空間に見事着地し、それを見ていた人々がどよめき声を発した。
「レン、ディル……びっくりするじゃねえか!」
「ジェオ、お前にも仕事だ! し・ご・と!」
レンはジェオの文句を無視しながら、戦闘機の上で忙しく動き回っていた。左右の翼に両手を当てがい、何やら魔法を唱えている。やがて、スーツ姿の管理人が慌しく現れ、レンを指差しながらひどくがなり立て始めた。レンは管理人さえも無視し、黙々と作業を進め続けた。ディルとラフェリはこれから何が起こるのかと、困惑した表情で座席の後ろにしがみついていることしか出来なかった。レンは、ジェオにもう一度操縦桿を握らせ、ディルとラフェリには「しっかりつかまってろよ」と釘を刺した。その一言で、ディルはようやく察しがついた。
レンの言った『飛ぶ』は、これからが本番だったのだ。
「おーい! 悔しかったらここまで来いよ! とんま野郎!」
魔法戦士部隊に向かって、レンが最後の言葉を投げ捨てた。そして、ドラートラック国の国旗が描かれた錆びれた尾翼を一発、思い切り蹴り上げた。
ディルやラフェリ、ジェオを含め、その様子を見ていた周囲の人々はその瞬間、思わず息を止めた。なんと、大破してその役目を終えたはずの戦闘機が息を吹き返したのだ。エンジン音がゴロゴロとうなりを上げ、上下左右に激しく振動を始めた時、周りにたむろしていた子供たちは歓喜の悲鳴を上げながら顔を輝かせた。
「飛べ! ポンコツ!」
レンが声を張り上げると、ホワゾンドープは元気良く空に舞い上がり、左右の翼を鳥のように素早く羽ばたかせ、そのまま飛行を続けた。