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十二章  再会と逃亡  2

 二人は店を後にし、派手な服装と活気で溢れる小さな通りを、天の川通りへ向かって歩いた。途中、音楽隊の行進パレードに加わったり、手品師や曲芸師の見世物を見物したりした。その間に、パラポの実のジャムサンドは綺麗さっぱり、ディルの胃の中に収まってしまった。


「ナックフォード家の人たちって、みんな礼儀正しくて、頭が良くて、ナイフとフォークを上手に使えるって聞いたわ」


『リンゴを食べながら片足でなわとびをするチンパンジー』の見世物が終演した直後、女の子がくるみパンの最後の一口を頬張りながらそう言った。


「んー……でも、僕はあんまり好きじゃないな。そういうの」


 ディルはそう言ったものの、突如、脳裏にトワメルの怒った顔が浮かんだので、申し訳ない気分になった。


「どうして? 毎日おいしい物を食べれて、綺麗な服を着て、ふかふかの温かいベッドで眠るのよ。とってもすてきじゃないの」


 前方からやって来る通行人をうまくかわしながら、ディルは「そんなことは全然ない」と反論しようとした。だが、女の子が急に立ち止まったので、ディルの開きかけた口は閉じてしまった。


「疲れちゃった」


「あと少しで憩いの広場だよ」


 ディルは振り返りながら、女の子の仏頂面に向かって優しく励ました。だが女の子は首を大きく横に振り、帽子の下から不機嫌そうな表情をより鮮明に覗かせた。


「それじゃあ、あそこの階段で休もう」


 馬車専用通路の脇にある小さな階段を指差しながら、ディルは女の子を促した。このディルの案には女の子も素直に応じてくれた。ディルが歩き始めると、女の子は不意に、ディルの右手をギュッとつかみ、左手をからませてきた。その瞬間、ディルの心臓は宙返りして着地に失敗したような、激しい衝撃を受けた。そのせいで、心臓はいつもの十倍は早く鳴っている気がしたし、顔から湯気が出ているのではと疑ってしまうほど全身が熱かった。まるで、紙袋にかけられていたおまじないがディル自身にかけられたような有り様だ。


「あら、エスコートしてくれるんじゃないの?」


 氷の像のように(全身は炎が燃え上がりそうなほど熱いのに)ガチガチに動かなくなってしまったディルに向かって、女の子が気取った声で言った。


「……え? ああ……うん。行こう」


 今のディルが平静を装うことは、とても難儀な努力だといえた。だが、緊張のせいで全身が硬くなっているなんて、カッコ悪過ぎて知られたくない。相手にその気がなくても、ディルには生まれて初めての体験だし、またそれは、未知の領域でもあった。女の子と手をつないだ時の対処法は、トワメルが雇った優秀な家庭教師、誰一人として、教えてはくれなかったのだから……。


「お着き致しました、お嬢様」


「ありがとう、ナックフォード」


 その関係はまるで、一国の王女様とどこにでもいそうな召し使いだ。女の子がゆっくり腰を据えたのを見届けると、ディルの中で張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れた気がした。しかし、ここで安堵の表情を見せては全てが台無しだ。階段で足をつまずかせないようにと慎重になりながら、ディルは女の子の二段後ろの段上に腰を据えた。階段の横幅は二人が並んで座れないほど狭かった。


「楽しかったー、お姫様ごっこ。だってね、付添い人がおもちゃみたいな歩き方だったんだもん」


 女の子は笑っていたが、ディルには無理だった。赤面していくのが自分でも分かったし、勝手に身が縮んでいくのを止めることもできなかった。穴があったら入りたい気分だ。

 それからディルはしばらく、女の子の旅行話の聞き役になっていた。ここしばらくはずっと、パジャレー島にある別荘で楽しく過ごしていたのだという。パジャレー島は、ヴァルハート国よりずっと南にある弧島だ。そこは一年を通して暖かく、雨もほとんど降らない、綺麗な白浜が広がる観光地として有名な島らしい。

 女の子がこうして話題を変えてくれたのは、ディルにとって不幸中の幸いだった。もしあのまま笑われ続けていたら、ディルは女の子を置き去りにしてその場から逃げてしまっていたかもしれない。


「あっ! そういえば、まだ名前を聞いてなかったわね」


 一通り話し終え、満足気な表情を浮かべていた女の子が、不意に好奇心を丸出しにしてそう尋ねた。


「僕はディル・ナックフォード」


「よろしく! ディル」


 微笑む女の子を見た途端、ディルはある一つの名を思い出した。それは『ラフェリ』という女の子の名だった。いつか、レンがラフェリに関するヒントをくれたことがあった。ルーシラと何か関係があるらしかったが、その時のディルにはさっぱり分からなかった。だが今のディルになら、ルーシラの瞳と女の子の瞳の色が同じ青であることや、レンが町で言っていたもう一つのヒントの意味がはっきり分かる。


『町一番の別嬪さんだ。おてんばで、強情で、しかもわがままだけどな』


 あの時すでに、ラフェリとディルは出会っていた。ディルを誘拐しようと企んでいたレンは、憩いの広場で二人が面と向かって会話していたことも見ていた。だからあんなことを言ってディルをからかったのだ。ルーシラがラフェリを見つけ出すことができなかったのは、パジャレー島へ旅行していたから……!


「ラフェリ……。君、ラフェリって名前だよね? そうだよね?」


 ディルは興奮し、女の子の肩を前後に揺さぶりながら問い詰めた。女の子はしばらく呆然としていたが、やがて、いぶかしげな表情でうなずいた。ディルは反射的に立ち上がっていた。


「見つけた! ラフェリを見つけた! 見つけたよ!」


「ちょっと! 危ないじゃない!」


 段上で足をばたつかせるディルを肘で小突きながら、ラフェリは迷惑そうにたしなめた。


「ずっと前から、みんなが君を探していたんだ! さあ、行こう!」


 ディルは強引にラフェリの腕を引っ張ったが、彼女はその場を動こうとはしなかった。


「痛い! 痛い! ……ねえ、何でみんなが私を探すのよ?」


 ディルはバケツで冷たい水をかけられたように、急にしんとなってラフェリを見つめ返した。


「君、知らなかったの? 本当にラフェリだよね?」


「そう、私はラフェリよ。けど、誰かから探されるような覚えはないもん」


 ディルはもう一度座り直し、今まであったことを説明した。


 ラフェリが旅行を楽しんでいる間にカエマ王妃が女王に即位したこと。その女王が、国の兵士たちにラフェリを見つけ出すようにと、指令を出したこと。アジトで共に暮らすレンとルーシラも、ラフェリを探しているということ。


「ルーシラのことなら知ってるわ……レンのことも、噂には聞いたことがあるけど、会ったことはないの。兵士さんたちまで私を探してるなんて、嫌な話」


「ルーシラたちの所へ行く気はないの?」


 しばらく押し黙った後、ラフェリは小さくうなずいた。


「『私は今の生活が気に入ってるから、そっちへは戻りたくない』そう伝えといて」


 ラフェリの背中が悲しみに浸る声を発しているようだった。


「……そう。……ラフェリとルーシラって、どういう間柄なの? 姉妹?」


 話し相手に探りを入れるのはディルのくせになっていた。気のせいか、ただの物好きと称されてもディルにはおかまいなしだった。


「ルーシラとはずっと前から仲良しなの。親友みたいなものね。……あれって何やってるの?」


 ラフェリがさりげなく指を差した先には、兵士が二人、こちらを不審そうに警戒しながら立ち話している姿があった。兵士たちは時々人ごみに紛れて見えなくなるが、一度たりともその場から離れることはなく、またディルたちに近づくこともなかった。だが、明らかにこちらを注視している。どうやら、昼飯の相談をしているわけではなさそうだ。


「さっきも言ったけど、ラフェリを探しているのは兵士たちも一緒なんだ。このままだと、見つかるのは時間の問題だよ」


 そう言うと、ラフェリはすがるような瞳でディルを見つめた。


「……分かったわ。私、ルーシラの所へは行く。その代わり、私を兵士さんたちから守ると誓って。お城へは行きたくない」


迷っている暇はなかった。大柄な兵士が一人、ディルとラフェリの元へ歩み寄ってくる。


「分かった、誓うよ。ラフェリを兵士たちに渡すようなことはしない」


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