表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/98

十一章  南十字祭  4

 ディルは朝食を取るのも忘れ、身支度を整えるためすぐに部屋へ戻った。急いでボトルシップの前に立った時のその格好は、服のボタンを留めず、ベルトは締めず、マントの紐はゆるんだままという、だらしないものだった。

 所持金の金貨や銀貨をポケットの中で楽しそうに弾ませながら、ディルは酒場の階段を駆け上がり、タルの迷路を脱兎のごとく突っ切った。そして、お祭りへの期待感で心を満たし、汗がにじむその手で、扉をゆっくり押し開けた。

 通りから路地を渡って聞こえてくるのは、人々の楽しげな声と、地を踏みしめる何百という靴底の音、それに、歩行音楽隊が奏でる陽気で華やかな古曲だ。ディルは高ぶる気持ちを抑えようとせず、この『南十字祭』という名の休暇を思う存分楽しむことにした。南十字祭を自由に見て回るのは、これが始めてのことだった。

 通りに出ると、ディルの表情は自然と笑顔に変わった。いや、この光景を目にして笑顔にならない者がこの世にいるはずがない。ディルの目の前を通り過ぎていく人々の笑顔が、そう語っているような気さえする。

 天空の青空と同じ色に照る大きな旗が屋根の上ではためき、そのせいでレンガ造りの家並みが貴族階級の豪華な屋敷に見える。そこらの植木ほどの高さがある竹馬に乗る人や、派手な衣装を着て狂ったように走り回る人、飴玉やビスケット、チョコレートを配って歩く人。子供たちは集団となり、「次はあっちへ行こう」「今度はこっちにしよう」と四方八方に指を指し、満面の笑顔で口論している。

 ディルはビスケットとチョコレートをポケットに詰め込めるだけどっさりもらい、弾むような足取りで天の川通りへ向かった。ユンファとアルマの露店を見てみたかったし、それにおそらく、今世界で一番賑やかな通りであることに間違いはないだろう。そんな『平和』を絵に描いたような素晴らしい場所へ行かない理由などあるものか。

 もらったお菓子を朝食代わりに食べ歩いていると、見覚えのある面々がディルの前に姿を見せてくれた。「あれはきっとキングニスモだ」……その派手な容姿と風貌を見れば誰もがそう言うだろう。しかしなぜか、その全員が道に迷った子猫のような哀れっぽい表情をしている。しばらく様子を見ていると、キャプテンの服に身を包んだ一人の少年が、ディルを見つけるなり歓声を上げた。


「ディルだ! ディルじゃないか! ディル、ディル、ディル!」


 その声に反応し、そばにいた姉妹たちが一斉にディルの方を振り向いた。ディルはどうしてよいか分からず、とりあえず、食べかけのチョコレートを一気に胃の中へ押し込んでおいた。


「先日は、父と兄がご迷惑をおかけしました」


 誰よりも早く駆け寄って来た長女のロウシャウが深々と頭を下げた。ダイヤがはめ込まれた豪華なティアラが、落ちそうで落ちなかった。


「気にしないで下さい。幸い、船が壊れただけで済みましたから」


 それが本当に幸いかどうかを判断することは今のディルにとって難しかったが、ここはそう答えておくべきなのだと、自分に言い聞かせた。


「ごめんなさい、ディルを騙すつもりはなかったの」


 重々しい口調で、ラーニヤがゆっくり切り出した。


「あの日、ディルに真実を伝えなかったことを後悔してるわ。私たちの目的を知っていれば、お互い傷つけ合わずに済んだかもしれないでしょ? ……でも、あそこで私たちの正体を知られると、今後の活動に支障を及ぼすと思ったの。ほら、ディルには女王様に側近のお父さんがいるでしょ? 彼に動かれると、私たちには絶対に勝算はないって確信してたの」


 ラーニヤの話を聞いて、ディルは嬉しさが込み上げてくるのを感じた。


「僕、そんなこと全然気にしてないよ。それに、あの戦いの前から、キングニスモの正体は知ってたんだ。キングニスモのみんなが苦しんで生きてきたってこと、僕にはよく分かる。僕も今、国の反逆者としてカエマ女王と戦っているから……嫌なこととか、悲しいこととか、たくさん感じた。君たちと一緒なんだって、あの戦いで実感した」


 ディルの言葉で、みんなの表情が幾分明るくなった。互いの真意を分かり合えた瞬間だった。


「あの戦いの日、親父と兄貴は魔女と手を組んで俺たちを出し抜いたんだ」


 情けない表情でジプイが言った。


「俺たちがまだ城で寝てる早朝に船を動かして、ディルたちを襲ったんだ。ディルがレン・ハーゼンホークと一緒にいるってのは兄貴から聞いてた。でもまさか、そいつを承知で攻撃を仕掛けるなんて思わなかった。俺たちは、レン一人を追い込めればそれでよかったんだ」


 考え深げに、ジプイは言葉を続けた。


「俺が思うに、あれはきっと魔女からの攻撃命令だな。あいつは女王の身だから、派手な行動は危険だろう? だから親父の船を利用して、本当は端から自分で仕掛けるつもりだったんだ」


 ジプイがカエマ女王のことを魔女と呼び続けることに多少の違和感を覚えながら、ディルは一つの疑問に辿り着いた。


「カエマ女王がキングニスモを呼び寄せた本当の目的って何だったんだろう?」


「さあね。あいつの頭の中はおかしいって、みんなが言ってるぜ。もしかしたら、最初から俺たちを利用してただけかもしれない……おっと、そろそろ時間だ」


 ディルは、ジプイの肩越しに純白のオープンカーがこちらに近づいて来るのを確認した。低いエンジン音がうなり、黒い煙がもくもくと吐き出されている。後部座席にはシュデールとおばあさんが、運転席には父親のビトが座っている。


「さっさと乗れ! チビども!」


 ディルのすぐ脇に停車したその小さな車から、雷鳴のような怒鳴り声が鳴った。どこか聞き覚えのある、ビトのだみ声だ。


「悪いな、ディル。俺たちもう帰らなきゃいけねえんだ」


「ええ! 一緒に見て回ろうよ!」


 ディルが必死にすがると、ジプイの表情がほんの一瞬、赤ん坊のような泣き顔に変わった。


「実はね、女王様からの命令なの。私たちはもう必要ないみたい」


 ラーニヤが割って入って説明した。


「だから、町の人たちがお祭りで浮かれてる間にこっそり出て行こうって、決まったの」


 その時、ビトが車からゆっくり降りてくるのが見えた。ジプイとラーニヤを後ろへ追いやり、その恰幅の良い体をディルの鼻先まで近づけてきた。ディルは、ワイン色のスーツを着こなした大男が間近で立っていることに、少しの恐怖と、大きな驚きを感じていた。


「俺たちをここまでコケにしやがったのは、あの魔女が初めてだ」


 出し抜けに、ビトがそう切り出した。


「トワメルの息子……名をディルといったな? そうか……トワメルによく似てる」


 ディルはただ黙ったまま、ビトの話しを聞いているしかなかった。というより、話しかけるほどの余裕が今のディルにはなかった。


「お前たちに負けたことは認める。だがな、唯一認めないことがあるとすりゃあ、あの魔女だ。俺たちを騙し、利用し、使い捨ての雑巾のように扱いやがった、魔女の存在そのものだ。……俺だって、この国の行く末を母国で見守っていこうなんて思っちゃいねえ。ヴァルハート国にやって来たのが、その理由だ」


「カエマ女王がキングニスモを呼んだ理由を教えてもらえないでしょうか?」


 ディルは恐る恐るだが、ようやく言葉を発することができた。今尚ディルの視界には、ワイン色のスーツと真っ黒なネクタイしか映っていない。その問いに、ビトは少しの躊躇もなく答えてくれた。


「俺たちがここに来たのは女王に呼ばれたからじゃねえ。サンドラークの国王……つまり、俺の親父が命令したんだ」


 ビトのその言葉で、ディルは後頭部を強打された気がした。その衝撃の強さにひるみ、再び言葉が出てこなくなってしまった。


「ここまで言えばもう分かるだろ? サンドラークはヴァルハートの支配下にある……この状況が改善されねえ限り、俺たちもただ指をくわえて見物してるってわけにはいかねえだ。……話はこれで終わりだ」


 ディルは、車に乗り込むビトを眺めながら、真実から目を背けようとしていた。カエマは世界征服に向けて、既に動き出していた。サンドラーク国が支配されていたことに、どうして今まで気が付かなかったのだろう? もしかすると、周辺の小国ならとっくにカエマに征服されてしまっているかもしれない……現に、ここヴァルハートがその国の一つじゃないか。


「ディル・ナックフォード!」


 ビトのだみ声が大太鼓の余韻のように反響した。ディルは、サングラスという闇の中にあるはずのビトの瞳を、じっと見つめた。


「お前たちが魔女と決着をつけるその日が来たら、俺たちもすぐに駆けつける! 恩は仇で返すのが俺たちの礼儀だからな!」


 車が南ゲートへ向かって走り去っていくのを、ディルはいつまでも見つめていた。彼らの自由を奪ってしまったことに罪悪感を抱き、頼もしい味方が出来たことに安堵感を抱きながら……。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ