表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/98

二章  ディル・ナックフォード  3

 城下町がシュデールとハムの見世物屋で賑わう頃、城から城下町へ続く長い林道に一つの天蓋付き馬車の姿があった。馬車は騒音を上げ、城下町へ向かって一心不乱に走り続けている。銀色のたてがみを風になびかせ、真っ白で毛並みの上質な二頭の馬が馬車を引いていた。クリーム色の鎧を身にまとう一人の兵士が手綱を握り、馬たちが森の中に突っ込まないよううまく操縦している。

 馬車内部には、世界中にその名を知られる剣術の達人、トワメル・ナックフォードと、その息子である、ディル・ナックフォードの姿があった。

 トワメルは、背の高いがっちりした体格で、肩まで伸びた黒髪、鋭い眼差しと高い鼻、それに、黒いマントをいつもはおっていた。トワメルは誰もが認める素晴らしい兵士だった。他国から戦闘参加の依頼が殺到するほどで、トワメルはいつだってその通知から逃げるようなことはしなかった。返事の手紙を書く前に、自ら直接出向いて行くのが彼のやり方だ。矢が頭上を雨あられと飛び交う戦地で、敵を斬りつけることに、トワメルはそう大きな抵抗を感じなくなっていた。兵士になり立ての新米の頃は、人を斬るどころか、剣を抜くことにすら恐怖を感じたというのに。

 本人は、それはきっとこの性格のせいに違いないと決めつけていた。トワメルは戦地での経験を重ねるほど、性格が変わっていった。昔のひ弱だった自分を今ではひどく貶める(おとしめ)ようになり、人を斬りつける罪悪感というものに支配されるくらいなら、自分が誰よりも強く、一番上に君臨することの喜びや、安堵感に浸っている方が良いという考えを持つようになったのだ。

 現に今は彼の思想通り、王族に兵士として仕えるという、一般の市民において最も偉大で、最も名誉ある地位に這い上がる事ができた。ロアファン王が行方不明になったと聞いた時、自分なら王を守る事ができたのにと、ひどく後悔したものだった。

 その後悔の発端となったサンドラーク王からの護衛兵派遣願の通知は、誰もが耳を疑うような結果に終わっていた。トワメルが、その通知の派遣指令により出向いた先のサンドラーク国の王が、観光国『ペイジア』に旅行中のため不在だったのだ。側近の者の話によれば、王は自国の護衛兵十三人と妃を連れて確かに昨日の早朝、旅立たれたという。

 しかし手紙の筆跡は確かに王のもので、配達員もその手紙を王から直々に受け取ったと言うではないか。トワメルは『時々、サンドラーク国の人たちは毎日続く猛暑のせいで頭が変になる』というくだらない噂を耳にしたことがあった。その時はバカバカしいと鼻で笑って聞き流したのだが、この一件に関しては、そんな噂もいやおうなしに信じ込まされた。

トワメルの横に腰掛けるディルは、ガラス玉のように輝く漆黒の瞳で、窓の外を流れる木々や、青くどこまでも続く晴れ空を見つめ、物思いに耽っていた。

 父親と同じ黒髪は襟足を揃えた短髪で、褐色のニット帽の中に素直におさまっている。

暗緑色の全身を包む麻糸の服、緑と白の地味なズボンはディルがいつも愛用しているものだった。

 導き出せない答えを捜し求める瞳、恐れながらも挑み続けようとする心を持った少年。冷静で努力家な性格、大人顔負けの観察能力は父親譲りだ。時折かいま見せる幼い顔つきは、まだディルが十二歳であることを教えてくれる。

 ヴァルハート国のみんながナックフォード家のことを知っていた。町外れの丘の上にある大きな屋敷に住んでいるということ、お金持ちの資産家で、世界中から優秀な家庭教師を雇い集め、ディルの脳味噌にこの世の全ての知識を覚えこませようとしていること、トワメルが直々にディルの剣術の修行に立ち会っているということも知っている。世界的に有名なトワメル……その息子のディルも“きっと父親のように立派になってくれる”と、みんなディルに期待していた。

 しかし、ディルにとってそれはとても迷惑なことだった。自分が母親のお腹の中にいた時から注目を浴びていたなんて、考えたくもない。ディルは、自分が絶対に父親のようにはなれないと確信していた。臆病で弱虫な自分。運動もまともにできない軟弱な自分。


『畑を守るために、ただその場に立ち尽くしているカカシの方がよっぽどたくましいじゃないか。どうして僕は農家の子に生まれなかったんだろう……?』


 ディルは最近、おとぎ話のような物語が本当に身の周りで起きてくれないかと、妄想に耽ることがよくあった。勉強や剣術の稽古から開放され、仲間たちと共に様々な冒険に出発する。そこでは、ディルは剣をたくみに扱う強くてたくましい剣士だ。共に旅する仲間はみんな頼もしくて、時々ケンカし、だが心から信頼できる存在だ。

 冒険には船が欠かせない。しかもただの船ではだめだ。空を飛ぶ船がいい。陽の光を全身に浴び、雲海を優雅に渡り、遥か昔に滅びたと語り継がれるマイラ族が住む幻の浮遊島を見つけ出すのだ。

 それが、ディルの夢でもあった。

 筋のようなか細い雲が青空に漂い、この無限に広がる大空のどこかに本当に島が浮いてはいないかとぼーっと眺めていたディルは、トワメルに声をかけられ、あっという間に現実世界に引き戻されてしまった。


「ディル。また“くだらない”空想世界に気を取られていたわけではあるまいな?」


 車輪が勢いよく回転し、地面の砂や小石を撒き散らしていく音にも、馬二頭分のヒヅメの音にも負けないくらい大きな声を出してトワメルはそう言った。窓の向こうに広がる青空からトワメルに目を移したディルは、気が滅入ってしまい、何も言えなかった。


「昨日、お前の机の上から“くだらない”本を二冊見つけた……私が全て捨てておいた」


 トワメルは前方の小さな窓を見据えたままそう言うと、「夢と現実とを混一してはいけないとあれほど言っておいたはずだが?」と、やはり景色を見つめたままそう言い添えた。


「お母様が、疲れた時に読みなさいって、買って来てくれたんです。それで、その……ごめんなさい」


 ディルの弱々しい小さな声は、馬車の走り続ける騒音でほとんどかき消されてしまった。馬車が一度大きく揺れると、ディルは思わず前方の小窓から外の景色を眺めていた。騎手の兜越しに見えるのは、石畳の上に広がる城下町の華麗な姿だった。赤や青、紺色の屋根が連なり、突き出た煙突からは所々白煙が立ち昇っている。灰色の石畳が道を作り、その両脇にはレンガ造りの家々が蛇行しながら建っている。窓を開け放って笑顔で手を振る者や、思わず見とれて立ち尽くす者、町を見回り中の兵士は馬車を見つけるなり、急に立ち止まって敬礼するではないか。

 ディルはこの時、トワメルが今どれだけ偉い立場にいるのか、世界に名を知られるというのはこういうことなんだと、改めて認識させられた。

 馬車は二、三度角を曲り、本屋の前を通り過ぎ、そこからしばらく走行したところで天の川通りにさしかかった。憩いの広場にある大きな4つの噴水、子供たちや老夫婦が午後のひと時を戯れる様子、『大事なお知らせ掲示板』とが順に目に入ってきた。そして、広場で最後に見た光景は、大勢の人だかりだった。人々の頭越しにチラと見えたのは、どうやら商売人らしい二人の男女、それに、カメとネズミだった。ディルは食い入るようにその光景を見つめたが、何をやっているのかまでは分からなかった。


「愚かな者たちめ……路上屋に魅せられるとは。だからこの国は商況が鈍いと言われるのだ」


 トワメルは舌打ちして冷たく言い放ち、笑顔で通りの光景を見つめるディルを更にけしからんとばかりに睨みつけた。ディルはその視線から一刻も早く逃れようと窓から目を離し、また強張った顔に整えて、父親の言葉を恐る恐る待っていた。


「ディル。なぜ今、南ゲートに向かっているのか説明できるか?」


「はい。南ゲートを通って入国してくる人たちを丁重に出迎えるためです」


 ディルはすぐにそう答えたが、トワメルはまだ身の縮むような痛々しい視線をぶつけてくる。


「ディル。私たちは、あの者たちとは違う。それを見せつけないでどうする? 思い知らせないでどうする? 一緒ではダメなんだ。私が引退したら、ナックフォードの名を継ぐのはディル、お前なんだぞ」


 そんなことはディルにも承知だった。ただ、自分がいつかトワメルのようになると考えると、とても怖かった。誰もが知ってる有名なトワメル、誰もが認める有名なトワメル、誰もが尊敬する有名なトワメル……。じわじわと伝わってくる父親からの圧力、背負いすぎた課題。ディルは常に見えない何かに押し潰されそうになっていた。


「今日、お前をこうして屋敷から連れ出し、私の仕事に立ち会わせるのも、経験の一つとして覚えておいてほしいからだ。どんな些細な経験でも無駄なことなど何もない。大切なのは、記憶し、理解し、実行することだ」


 トワメルが落ち着いた口調でそう発言した傍ら、ディルは大きくうなずいて父親を見た。


「はい、お父様。共に経験の積めることを、新たな知識が得られることを、光栄に思います」


 トワメルの厳格な横顔が、少し和らいだのをディルは見た。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ