十一章 南十字祭 2
三人は薄暗い地下室の階段を登り、タルが柱のように立ち並ぶ倉庫を抜けた。扉を開け放つと、何ら変わりないいつもの陰気な路地が三人の前に現われた。だが、向こうに見える大きな通りからは、人々の明るい陽気な声や、男たちの力強く指示する声が、耳を澄まさなくてもはっきり聞き取ることができる。
以前、レンとここへ来た時よりも、更に活気付いた城下町を嬉しく思いながら、ディルは軽快な足取りで通りへと向かった。そして、そこでディルがはっきりと目にしたのは、心も気分も勝手に躍りだすような、心底興奮させられるものだった。
仕事を抜け出してきた農夫や漁夫、更には近所の婦人たちも混ざり、通りのあらゆる所を空色に染めていた。屋根や窓枠にかかげられた空色の大きな旗、小さな旗。街灯に吊るされているのは、鈴蘭の形をしたおしゃれな空色の提灯。植木には空色の垂れ幕がくくり付けられ、前を通り過ぎた荷馬車には空色のペンキが塗られていた。そして、その全ての空色に描かれている共通の絵とは、まさに十字だった。
「あ、そうか! もうすぐで南十字祭だったっけ!」
ディルは嬉しさのあまり、その場で二度ほど飛び跳ねた。その喜びようといったら、自分が生まれた瞬間を思い出してしまったかのような、大げさなものだった。
「あたしとユンファも、天の川通りに出店予定なの。去年は絵画を売って、その前の年は骨董品を売ったわ」
男たちが、うなりのような低い声で歌を歌うのと同時に、アルマが弾んだ調子の良い声でそう言ったのを、ディルは漠然とした気分で聞いていた。目の前の栄華な光景がディルの頭の中を隙間なく埋め尽くしていたせいだ。
天の川通りの近くは、すでに祭りが開催されているのではないかと疑ってしまうほど賑やかだった。店の入口には必ず十字の刺繍が施された空色の旗が風になびいていたし、行き交う人々の足取りは軽く、また誰もが笑顔だった。十字の旗をマントのようにはおった子供たちの、広場を駆け回る楽しそうな姿が視界に入ると、心がほのかに癒されるのを感じた。今の城下町は、国王と敵対していることや、自分たちが反逆者であることを忘れさせてくれる唯一の場所なのかもしれないと、ディルはそう思った。
「あれからカエマが何の行動も起こさないのは、絶対におかしいと思わないか?」
その日の夕食の席で、レンは出し抜けにそう切り出した。赤と青のストライプの服は、日中の作業のおかげで汚れと傷が目立っており、ゴミ捨て場から拾ってきたような惨めなものに見えた。
「広場の掲示板には相変わらずレンの凛々しい写真が飾ってあったけどね」
青白い顔のルーシラが、たしなめるようにそう言った。
「それだよ、それ!」
レンは続けた。
「つまりカエマは、俺たちの居場所も、『反・カエマ派』のメンバーも分かってるはずだ。それにも関わらず、どうして俺たちをこうして野放しにしておくんだ? 兵士たちを集めて、俺たちを捕まえに来させるくらい簡単なことだろ?」
「それならそれで別にいいじゃねえか。……それともお前、そんなに捕まりたいのか?」
ため息混じりでジェオが言った。
「カエマ女王には、きっと何か考えがあるんだよ」
ディルが言うと、自分を見つめるみんなの瞳が、その考えとは何だ? と語りかけてくるように見えた。
「あ……ほら、カエマ女王が言ったこと、前に教えたよね? 『反・カエマ派』を放って置いても、勝手に消えてなくなる、だからその日までゆっくり待っているって、あの人はそう言ったんだ。レンもその時、僕と一緒に聞いてたよね?」
「ああ……。だけど、カエマの言葉を全てうのみにする気はないね。あいつの頭はいかれてる」
「ほんと、恐ろしいですよね」
腹を空かせて部屋にやって来たカメと小ネズミに食事を分け与えながら、ユンファは言った。
「あの賢才の源は、各国の偉人を殺して手に入れたものだったなんて……恐ろしいの一言です」
ユンファが震え上がると、隣に座っていたアルマがいきなり金切り声で叫んだ。その声に驚いた周りのみんなが、椅子ごと十センチは跳ね上がった。
「もしかして、王様は行方不明なんかじゃなくって、女王に殺されているのかもしれない! ロアファン王は未熟だって言われてたみたいだけど、それでも一国の王様よ。それなりの知識や知恵は持ってたはず。それでカエマ女王は、彼を殺して、その全てを手に入れたのよ! 捜索隊を撤収させた訳も全て説明がつくわ!」
アルマはここまで一気に言うと、最後に「絶対に間違いない」と言い添えてようやく落ち着いた。アルマの力説はジェオやユンファ、ディルさえも納得させたが、レンとルーシラは「それは違う」と揃って口にした。
「うまくは言えないけど……カエマ女王って、王様のことを愛していたと思うの」
みんなの視線をうまくかわしながら、ルーシラが説明した。頬がほのかなピンク色に染まっている。
「いや、つまり、俺が思うにだな……」
学説を語りだすような物々しい口調で、レンが自分に注目を集めた。
「『王様が行方不明になった』という情報を掲示板に貼り出したのはカエマだ。『殺された』じゃなく、『行方不明になった』と表記したのは、カエマ自身が真実を知っていたからさ。カエマが王様を本当に殺していたとしたら、『行方不明』なんて遠回しに書かないで、素直に『殺された』と書いていたんじゃないかと俺は思う。根拠はないけどな」
「カエマ女王が真実を知っていた? つまり、王様を行方不明にさせた犯人を、カエマ女王は知ってるってこと?」
レンの意見を素早く呑みこんだディルは、食べるのも忘れて夢中で質問した。レンが顔をしかめたので、降参寸前の様子であることは明らかだった。
「んー……半分正解、半分不正解。……なあディル、もうこの話はやめにしようぜ」
ディルはレンの言葉を素直に受け入れたが、もう一つ、どうしても聞きたいことがあった。カエマ女王が『ロアファン王行方不明事件』の犯人を知っていると、どうしてレンは知っていたのだろうか? その疑問が、喉から出たくてもがいているのを、ディルは我慢して押し留めていた。