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九章  誰かのために  1

 次の日から、キングニスモとの戦闘に備えて準備が始まった。

 アルマは物置のボトルシップを使って、町とアジトを行ったり来たりするのに忙しなかった。安物で、古傷の目立つ兜を人数分、遭難に備えて日持ちする食料を大袋いっぱいに、そして数多の薬品……。


「こんなこと聞くのは失礼だけど、お金はどうやって工面してるの?」


 トガケの干物を紐でぐるぐると巻きつける様子を観察しながら、ディルはアルマに聞いた。


「単純よ」


 次の干物に手を伸ばしながら、アルマは意気揚々と答えた。


「あたしと兄さんが農家の生まれだってことは前に話したよね? 鶏を家畜してるってことも。野菜市に卵を並べてもらって、売れた分は全部手元に入るの」


 アルマは得意げに笑って見せると、七匹目のトカゲに取り掛かった。

 この日から、ルーシラは町へ出かけることが多くなった。何としてでも、兵士たちより先にラフェリを見つけ出すつもりらしい。ディルはラフェリという女の子が何者なのか、レンの教えてくれたヒントを頼りにあれやこれやと想像を膨らませたが、結局これといった明確な答えは出てこなかった。ただ一つ、気付いたことといえば、レンの青い左目と、ルーシラの青い両目は、全く一緒の輝きを放っているということだ。そして、レン、ルーシラとは別人の、同じ青い瞳で見つめられたことをディルはかすかに覚えていた。あれは誰だったろうか……思い出せない。

 レンは、ルーシラが一人で町へ出向くことをなぜか許可しなかった。トワメルがディルを一人で外出させようとしない様子にそっくりだ。だが確かに、最近の城下町は何が起きてもおかしくはないが、アルマは平然とした表情で往来している。なぜルーシラだけ駄目なのだろう?


「そんなこと俺は知らない。ルーシラは、俺がこの船に来る前からずっとレンと一緒なんだ」


 ルーシラに付き添うことが決まったジェオが、釣りを中断させられたせいで、不機嫌でしかめっ面のままディルの質問に答えた。


「これは俺の勝手な予想だけどよ。あの二人、俺たちに言えないようなとんでもねえ秘密を持ってるぜ。過去のことを意地張って隠したがるところなんか、ぷんぷん匂うぜ」


 いつものよそ行きの派手なシャツに着替えながら、ジェオは小声で囁いた。ジェオの意見にはディルも同意だった。『他人の過去を詮索してはいけない』がルールの一つとして決まっているほどだ。あの二人が何か隠していることは確かだろう。レンが魔法使いとなったいきさつや、ルーシラとレンが出会ったきっかけをまだ誰も知らないのだ。

 ジェオがルーシラと共に町へ出発した後、ディルはユンファに手伝いを頼まれていたことを思い出し、足早にデッキへと向かった。陽射しの照りつける暖かなデッキに到着すると、そこには板材や角材を床の上に投げ出すユンファの姿があった。ガラガラと騒々しい音を立てながら、長さも太さも違う木材が互いにぶつかり合って痛々しく叫んでいる。


「レンさんは『この船は絶対に沈まない』って言うんだけど、本当かなあ。ディルさんはどう思います?」


 木材に気を取られていたディルに向かって、ユンファが出し抜けに問いをかけた。ディルは首をかしげた。


「きっと、レンには何か秘策があるんだよ。……ところで僕は何をすればいい?」


 ユンファは修理と補強の方法を詳しく説明した後、ディルに木づちと釘の束を手渡し、早速作業に取り掛かった。


「今朝からレンの姿を見ないけど、何か知ってる?」


 日向ぼっこを満喫していたカメと小ネズミを船の縁まで運びながら、ディルは聞いた。ユンファは腐りかけの床板をせっせと取り外していた。


「きっと、対等に戦うための魔法の武器を作っているんでしょう。この船には、レンさんしか入れない地下部屋があるんです。『そこで魔法の研究をしてるんだ』って、前に言ってましたよ。きっと今日から、あの部屋にこもりっきりになるんじゃないかなあ。レンさん、その地下部屋に誰も入れてくれないんです」


「地下部屋も気になるけど、レンの魔法は楽しみだなあ」


 ディルは内心うきうきしながらも、取り外された床部分に新しい板材を組み入れ、太い釘で頑丈に固定するまで、緊張感を絶やすことはなかった。どうやら、ディルが板材を取り付けた真下は廊下のようだった。陽の光に照らされ、苔や藻が明るい黄緑色に輝いているのがはっきり確認できた。


「ディルさんのその勇気が羨ましいです。僕なんか、当日のことを考えるだけで全身が震え出しちゃうんですよ」


 ユンファは大げさに身震いすると、次の床板を思い切り引っぺがした。それとほぼ同時に、船内のどこかから爆発音が連発し、二人の鼓膜はキンキンと悲鳴をあげた。船はぐらぐらと不機嫌そうに上下している。その拍子に、ユンファは外したての床板を両腕でしっかり抱えながらひっくり返ったし、ディルは前へ転んだ勢いで、穴から廊下へ、まっ逆さまに落ちるところだった。


「あいつらはどこです! ……え? ……あれ?」


 緑黒く腐りかけの床板をしっかり抱きしめながら、ユンファはその場でぐるぐる回転し、船の周囲を見回した。ディルは赤くなったひざをさすりながら立ち上がり、そして、自分でも驚くほど冷静であることに気付いた。


「キングニスモじゃない。きっとレンの仕業だよ……そんな気がする」


 ディルの言葉が証明されたのは、それからすぐのことだった。それは二人がまだ、爆発音と衝撃で呆然と立ち尽くしていた時のことだ。服と顔を黒々と汚し、ヘドロのような足跡を床に残し、毛穴という毛穴から灰色の帯のような煙を放出させる、哀れな格好のレンが船内から現れたのだ。


「こんちくしょう!」


 レンが悪態をつくと、その姿は更に哀れで悲惨なものに見えた。


「大丈夫?」


 ユンファがおずおずと床板を手放す傍らで、ディルはレンの姿を見つめながらそう囁いた。


「一体何があったんです、レンさん?」


 非難めいた声でユンファが続いた。


「魔法の開発に失敗したんだ……全部の魔法を立て続けにね。気が立ってきたかたら、音楽を聴くことにする。邪魔はするなよ」


 かいつまんで説明し、とどめに釘を刺すと、レンは真ん中の一番背の高いマストに向かって歩き出した。はしごを使って登り始める頃には、レンの体は汚れの『よ』の字も見当たらないほど綺麗になっており、ヘドロの足跡すらも、蒸発したかのようにさっぱりなくなっていた。


「あそこはレンさんのお気に入りの場所なんです。見張り台には蓄音機が取り付けられていて、そこで音楽を楽しむのがレンさんの日課なんです」


 心拍を正常な状態に戻してから、ユンファは作業を再開させた。


「レンは、レーインクァ国で歌手をやってるシルヴァっていう女性の歌が最高だって、前に言ってたよ」


 二つ目の板材を釘で固定しながら、ディルは言った。この真下はトイレの入口だ。


「シルヴァって、ヴァルハート出身の歌手なんですよ。でも今は、ステア・ラという国で支援活動をしているみたいですけど……。あの国はサンドラーク国と戦争をやってましてね……」


 そこまで言うと、ユンファは四回目の床板外しに苦戦し、続きを話し出す頃には苦しそうに喘いでいた。


「ほら、サンドラーク国って、軍事力が強大で天狗になってるでしょ? その力を使って、世界支配を企ててるって噂です。ステア・ラは給油基地にするつもりだとか」


「それじゃあ、世界一を目指しているのは、ヴァルハートとサンドラーク、あと、ドラートラックの三国ってことだよね……?」


 三つ目の板材を手早く取り付けると、ディルは表情を曇らせた。そのせいで、この下がトイレと同じくらい狭い浴室だったことにも、特に興味を示さなかった。


「それって、つまり……とてもまずいことなんじゃないかな……?」


 ユンファは臆病なので、この言葉を曖昧に仕立てたのは正解だった。もうそれ以上、ユンファはこの話題に触れようとはしなかったからだ。

 ディルが十一個目の板材を取り付け終わると、ユンファは大きく伸びをし、「一時間休憩にしましょう」と告げた。二人が作業をしている間も、レンは数メートル上空の見張り台から両足を突き出し、ずっと音楽を聴いていたらしかった。その様子を見て、ディルは一週間後の決闘が少し不安になった気がした。レンがあんな調子で、本当に大丈夫なのだろうか? ディルはレンのことを、心の底から信頼しているのだ。

 ディルはこの休憩時間を、船首に置いてあるルーシラのお気に入りの席で読書することに決めた。肘掛け椅子はふわふわして心地良く、海の音を聞き、陽射しが印字を照らし出した時はとても気持ちが良かった。途中、ユンファがココヤシのジュースをコップいっぱいに持ってきてくれた。こんなにも清々しい気分で読書するのは生まれて初めてだ。屋敷での読書は、トワメルに見つかりはしないかと気が気でなかったためだ。


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