八章 レンの真実 3
二人がアジトに戻ったのはたそがれ時のことだった。町中の至る所をしらみつぶしに探したが、『ラフェリ』という女の子は結局見つからなかった。しかし、ボトルシップを利用して町とアジトを行き来できるということを知れただけでも、ディルにとっては十分な楽しみと満足感を得ることができた。レンはアジトに到着するなり、あっという間に元のガウン姿に戻っていた。二人は「足が痛い」とか、「もう歩けない」とかこぼしながら、デッキへ向かった。白波のゆらめく海面は、空と同じオレンジ色に染まっていた。
「あ、お帰りなさい」
ペンキの入ったバケツと刷毛を持って現れたユンファが、あどけない声で二人を出迎えた。夕陽と同じくらい輝かしいその表情は、今しがた仕入れてきた情報を早く伝えたいと意気込んでいるように見えた。
「何だい何だい? もしかして、そっちの方は大成功だったってわけ? 俺たちなんか、半分失敗だったのにさ」
レンはそう皮肉ると、その場に仰向けで倒れ込み、大きなあくびを一発吐き出した。今の状態のレンが、ユンファの話し相手になることは難しそうだった。
「夕食の時間までもう少しかかりますから、部屋で休んでいて下さい」
ユンファはディルに向かって肩をすくめると、「レンさんのことなら大丈夫」と目配せした。ユンファは、見張り台に手作りの『折りたたみ式望遠鏡』を取り付けると言うので、ディルは一人で部屋へ戻ることにした。途中、ルーシラとアルマが調理台の周囲を行ったり来たり、忙しそうに動き回るのをちらと見たが、手伝う気力も失せるくらい疲れていたので、素直に部屋へ向かうことにした。部屋の戸を開けパッと中を見回しても、ジェオの姿はなかった。
「そういえば、夕方に用事があるって言っていたっけ」
ディルはベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめながら呟いた。波の砕ける音が、壁一枚向こうの世界から静かに伝わってくる。それからふと、小タンスの上に置いてある一冊の本が視界に入った。今朝手にした、あの本だ。
『ヘインの見た世界』はかなり古い書物らしかった。印字は所々かすれて読みづらく、ページはめくるたびに破けそうになるので、慎重に扱わなければならなかった。中身をざっと読んでみると、どうやら『魔法』を題材にしたおとぎ話のようだ。しかし、ディルが見た感じでは、他の書物と違い、魔法を忌み嫌うようなものではなかった。この本はむしろ、魔法を尊重し、その力を扱う者たちが正義の英雄として崇拝されているという、異端な内容だった。
ディルは今まで、魔法を主とした本は何冊も読んできたが、これほど好奇心を掻き立てられたのは初めてだった。最初のページをめくると、大きくて立派な帆船の挿絵が姿を現し、ディルの興奮は疲労感さえ忘れさせるほど高揚した。まるで、運命の本に巡り会えたような、素晴らしい気分だった。
「酒場へ足を運んで、兵士たちを酔わせて城内部の情報を収集しようと思ったんです。でも、そこにたまたま居合わせたのがキングニスモのペゥイ、ペヌンの双子でした。あの二人、こっちが聞いてもいないのに、色々話してくれましたよ」
夕食の席で、気迫に溢れるユンファの声だけが部屋に響いていた。レンはさっきと打って変わり、今は立派な紳士のような顔つきでユンファの話に耳を傾けている。ジェオは帰ってくるなり、アルマが購入した大魚二匹を見て「魚はその場で釣り上げてこそ、新鮮でうまいんだぞ」とやたらと息巻いていた。しかし、今はいつも以上に顔を真赤に染め、良好な機嫌でお酒をひっかけていたので、やはり何かいいことがあったのだなと、ディルは薄々確信していた。
「で? 何を話したんだよ、早く言っちまえ」
すっかりできあがったジェオが、グラスを高々と持ち上げながらはがゆそうにせっついた。ユンファは意地の悪い笑顔で、一人一人見やった。その仕草は、レンとそっくり同じだ。
「キングニスモは城の一室を使って寝泊りしているって話は、前にもしましたよね? つまり、あの人たちはカエマ女王に接近する機会が多いってことなんですよ。双子が教えてくれたのは、主にカエマ女王の行動です。まず一つ、行方不明のロアファン王の捜索隊を近々引き上げさせる計画を進行中。二つ、サンドラーク国の王様からカエマ女王宛によく手紙が送られてくる……内容は分かりません。三つ、兵力を拡大するため、徴兵制度を設ける話が持ち上がっている。そして四つ、ラフェリという名の女の子を兵士たちに探させている」
ディルは、椅子に電流でも走ったかのような感覚に襲われた。そして、レンが苦々しげな表情で舌を打つ姿を見た。
「あの……レン。その女の子ってもしかして……」
ディルはユンファの言葉に半信半疑だったが、レンが弱々しくうなずくのを見て、それが確信に変わった。自分たちが先ほどまで探していた“ラフェリ”という女の子と同一人物に間違いはなさそうだ。
「こいつは参ったな。まさか、あいつらがもう動き出しているなんて……」
レンはばつの悪そうな顔で頭を抱え、絶望的な声を漏らした。当惑な表情をあらわに、ルーシラが不気味なほどか細い声でこう言った。
「カエマたちより早く見つけ出さなきゃ。どうして前に見かけた時、連れて来てくれなかったの?」
「あの連中がそばにいたからさ……それに、人手不足だった」
レンはすかさず抗議した。
「どうしてみんながそのラフェリって子を探しているの?」
ディルも質問を投げかけ、話に割って入った。町で探していた時から、ずっと疑問に思っていたことだった。レンはうしろめたそうに口を開いた。
「その子の存在そのものに深く関係あるんだ。だけど、これ以上は言えない。契約違反だからね」
レンはウインクすると、それ以上、ディルに質問させることを許さなかった。だが、レンは一つだけヒントをくれた。ルーシラを一瞬、ちらと見やり、それからディルに笑いかけたのだ。だがやはり、ディルにはよく理解できなかった。
「ジータ・クレインの話だと……」
もったいぶった口調でアルマが言った。
「野菜を買いにくる兵士たちが口々に言うのは、カエマ女王のやることには無駄も抜かりもなく、ロアファン王よりも優れた力の持ち主だってこと。賢才で、外国の地理にもやたらと詳しくて、全ての知識を把握しているんじゃないかって、噂されてるみたいよ」
「そりゃすごい!」
レンとジェオが同時に叫んだ。誰が見てもしらじらしい態度であることは明らかだ。
「頭脳明晰、切れ者、天才、賢才、賢人、俊英、英明、聡明、知者、理知的、国王、女王……」
レンの上ずった声が狂ったように言葉を並べた。
「それなら、どうする? もし、そんな素晴らしい人物が、裏で恐ろしい真実を隠しているとしたら? もし、危険な大悪党をけしかけて、ここへよこしに来たら?」
ディルはムチで心臓を打たれたような気分の悪さに陥った。レンが何を言いたいのか、おそらくディルにしか分からないだろう。ルーシラ、アルマ、ユンファはいぶかしげにレンを覗き込んでいたし、ジェオの頬は赤からピンクに変わっていた。
「どうしたあ、レン? 何が言いてえんだよう」
おぼつかないろれつのまま、ジェオは心配そうにレンの顔色をうかがった。
「ディルと町へ出向いた時、キングニスモの一人から果たし状を受け取ったんだ。内容は、言わば報復だ。日時は十二日後、六月最初の日の早朝だ。あいつらは自前の戦艦に乗ってここへやって来る。アジトの場所がばれているなんて、想像もしてなかった。キングニスモは、俺たちを徹底して潰しにかかるはずだ。無論、俺たちも戦いに備えることにする! さあ! 今こそみんなで力を合わせ、奴らを返り討ちにしよう!」
レンの演説が終わり、しばらく沈黙が続くと、そのすぐ後は抗議、反論の嵐だった。アルマは金切り声を張り上げ、ルーシラは思いつく限りにののしり、ユンファの丁寧な口調に隠された罵声はいやというほど部屋に響いた。ジェオのがなり声は、酔っているせいか、怒り狂ったせいかは分からないが、(いや、きっとその両方だろう)赤ん坊が言葉を口にする時の、理解できない発音そっくりにまくしたてるので、半ば冷静だったディルは、おかしくて笑いをこらえるのに必死になった。なんて不適な状況だろう。
「なあ、みんな落ち着いてくれよ」
嵐がつむじ風へとおさまったところで、レンが気取った声で呼びかけた。みんなの反応は心外だったらしいが、それが返ってレンのやる気を奮い起こさせたようだ。
「確かに、みんなに黙ってこいつを受け取っちまったのは悪いと思ってる。けど、『反・カエマ派』の一員になった瞬間から、こうなることは予想できただろう? もし、この挑戦を断わっていたとしても、あいつらは必ず俺たちに攻撃を開始するだろう。なぜなら、キングニスモの真の親玉はあのカエマ女王だからさ。あいつらにとって、カエマの命令は絶対だ。つまり、キングニスモから逃げ出すことは、同時にカエマからも逃げ出すことになるんだ。俺たちは絶対に降伏しない。そうだろう、みんな? 決断する時が来たんだ」
レンの言い分には説得力があった。だが、これでみんなの不安や不満が解消されたわけではない。
「こんなボロ船で、どう戦うっていうのよ?」
頬をピンクに染めながら、ルーシラが威勢良く切り出した。
「こっちの武器はどうします? 相手は大砲ですよ」
ユンファが震えながら続けると、
「大砲だけじゃない。あの大きさときたら、この船の五倍はあったわよ」
すぐにアルマが脅しをかけた。
「接近戦なら得意なんあけおな」
みんなに力こぶを見せつけながらジェオが言った。
「でも、こっちにはレンの魔法があるじゃない」
ディルが意見を述べると、みんななるほどとうなずいた。レンが誇らしげにあごをしゃくってみせた。
「あいつらになくて、俺たちにあるもの。それは魔法という未知の力だ。こいつを利用しない手はないだろう?」
自信と勇気に満ち溢れる、レンの明るい笑顔がそう言った。