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二章  ディル・ナックフォード  1

 五月になると、例年通り町の中は泥まみれの男たちで溢れかえった。畑仕事を終えた男たちが、大声を発しながら今年の作物の成長を予想し合っている。この国では、畑で仕事をこなす者は誰からでも尊敬の眼差しを向けられる。国の収益を占める大半は農家だったからだ。そのため、自分の畑を持っている者は特にちやほやされるので、「俺の栽培している野菜たちが一番だ」と言い争う光景も珍しいものではなかった。

 ヴァルハート国で一番大きな畑を持っているのは『テイオ』という男だ。町の男たちの中でも図抜けて大柄な体格の持ち主で、誰よりも威張って町の中を闊歩した。

 こうなると、町の酒場は毎夜のように大繁盛だった。仕事帰りの一杯が男たちの日課になっているのだ。もちろんここでも指揮を取るのはいつもテイオだった。今宵の最初の一口は、必ずテイオが最初と決められていた。

 高慢の威張りやで、ひげもじゃのボス面が結構良く似合うテイオを、みんな尊敬していた反面、農具で彼の頭を思い切り殴ってうっぷんを晴らしたいと思っていたのもまた事実だ。

 男たちがいつも注文を取るのはビールか芋酒に決まっていた。彼らの間で、芋酒は別名“マーレー酒”という名で通っている。唯一、主原料である芋を栽培しているのがハンソンという恰幅の良いはげ頭の男で、彼の妻であるマーレーの名をもらってそう付けられた。

 ここでウェイトレスとして働く『ベルネラ』は、レーインクァ国で歌手をやっているシルヴァの妹で、いつもワースに姉のレコードを提供してくれる。ベルネラ、シルヴァは美人姉妹で、求婚者が十ある指では数え切れないほど存在すると噂されていた。バーにやって来る客の大半はベルネラ目当てで、様々な手段を用いて口説き落とそうと必死になって酒を注文した。


「僕の作るか、かぼちゃは、城でも『美味い』って評判がいいんだ。も、もしよければ、君の家まで届けてあげるよ」


 麦わら帽子を深くかぶり、緊張して顔面を蒼白にしたどもり口調のその男は、まるで命を吹き込まれて喋ることを知ったカカシのようだった。ベルネラはマーレー酒の入った酒瓶をそっと彼の前に置いた。いつもの赤い口紅が、カカシに優しく微笑んだ。


「私、かぼちゃは大好き。いつもスープに煮溶かして食べるのよ」


 そう答え終わるか終わらないかする内に、奥のテーブルからベルネラを呼ぶ、テイオのしゃがれた大声が飛んできた。ベルネラはいつもの軽快な調子でビールをグラスいっぱいに注ぎ、足を組み笑顔で待っているテイオの元へ向かった。


「こんばんわ、野菜畑の王様。今日も一段と汚れの激しいこと」


 ベルネラは、澄んでいて静寂を感じさせるような声を発し、いつもの一本調子でテイオを扱い、グラスを滑らせるようにして彼の前に置いた。テイオの着ていたカーキ色のタンクトップは、まるで子供がはしゃいで砂遊びでもした後のように泥だらけだった。


「今日は土を入れ替えたんだ。今度のチェイフェン製は、栄養量も多くてよく育つさ。すごく似合ってるぜ、その赤いドレス」


 テイオがグイッと一杯飲み干すのを嬉しそうに眺めながら、ベルネラは黄金に輝く髪の毛をふわりとなびかせた。


「これ、姉さんのお下がりなのよ。だけど、姉さんがこのドレスを着てるところはほとんど見たことないの。派手な物は苦手みたい」


「シルヴァちゃんは元気なのかあい? 最近は新しいレコードが店に並ばないみたいだけどおよ」


 テイオの横に座っていた、しわ顔のおじいさんが口をはさむと、テイオは顔をしかめて彼を横目で睨んだ。


「姉さんは元気でやってるわ。水曜日にはいつも手紙が届くのよ。でも、ちょっと元気すぎるみたい……最近はステア・ラっていう国で支援活動をしてるようなの」


 テイオがグラスを取り落としそうになるくらい動揺したので、しわ顔のおじいさんは顔中にもっとしわを寄せ集めてテイオを見た。


「ステア・ラっていえば、サンドラーク国と戦争やってる国だよな? そんな危険な所に行って何の活動をしてるって?」


「それが、戦地で負傷した兵士さんたちを助けてるみたいなの。姉さんに出来る事と言ったら、歌うことくらいなのに……。姉さんったら、いつもみんなの心配事を増やすのよ。でも、困っている人たちを放って置けないそんな優しい姉さん、あたしは好きだな」


 しわ顔のおじいさんが不意に昔話を始めたので、テイオはその話し相手をする事になったし、ベルネラは違うテーブルから呼び出しがかかったので、そちらへ足を運ぶ事になった。

酒場のオーナーでもあり、バーテンダーでもあるワースは、おしゃれな青斑メガネをかけた、優しくて世話好きで、元気な子供が大好きな男だ。物静かな彼は、客たちの相手はいつもベルネラ一人に任せっきりだった。ワースのする事といったら、新しいカクテル作りや地下に保管してあるワインの管理くらいなものだった。

 農家の男たちが顔を真っ赤に染めて帰って行った後、次にやって来るのは決まって兵士たちだった。城に仕える兵士は揃って給料も良く、みんな好んでワインやカクテルをオーダーした。

 兵士といっても、ヴァルハート国はめったなことで戦争を起こさないし、戦場へ出向くこともないので、みんな実戦経験の無い弱い者ばかりだ。頭を守ってくれる兜も、体を包んでくれる鎧も、新品同様にピカピカだった。背中に備えてある剣すら、最後に使ったのはいつだったか思い出せないほど抜いていない。とにかく、格好だけの兵士たちだということだ。


「悪党どもが攻めて来たって、俺たちの出番はないのさ」


 窓際の、空の花瓶が置いてあるテーブルで、また兵士たちのいつもの『愚痴』が始まった。のっぽで、ひょろりとした兵士がそう切り出すと、ずんぐり体型のあごひげをたくわえた兵士がすぐにこう返した。


「おうおう、トワメルの旦那が動き出せば、わしらなんか足元にも及ばねえってこった」


「俺たちが十人束になったって、トワメルさんには指一本触れることなんか出来ないね」


 のっぽの兵士がワイングラスをクルクル回すのを見ながら、あごひげの兵士は兜をそっとテーブルの上に置き、頭をかきむしった。


「そもそも、カエマ王妃に直にお仕えする腕っ節のつわものだ。どうあがいたってわしらに出番なんてないわけだ。見てみろよ、この兜を……」


 ノッポの兵士はそう言われて、まじまじとその兜を見た。傷一つ見当たらないそれを見て、ますます肩を落としたようだった。


「俺のと一緒だ。俺がこんな小さな時から憧れてきた兵士さん、兵隊さん。先代の王様はみんなもれなく平和好きだったようだ……だがな」


 ノッポの兵士が急に声を潜めたので、あごひげの兵士は自然に身を乗り出していた。


「行方不明のロアファン王は別格だ。国中が彼を批判しているが、俺は違うね。ロアファン王は戦地での経験も豊富だし、それに……魔女を妃にした」


 最後はもっと声を潜めたので、ほとんど耳打ちのような状態になっていた。あごひげの兵士は小さくなって、椅子から転げ落ちそうになった。


「お前だけじゃない、わしらだって思ってることは一緒だ。だってそっだろ? 昔から恐れられてきた魔女と呼ばれる者だ。王様は何かよくないことを企んでいるにちげえねえって、そう推測するのが筋ってもんよ」


 あごひげの兵士は瞳だけを俊敏に動かし、あたりを注意深く警戒しながらそう言った。仕事柄、こういうことには慣れていた。今現在、兵士の半分がロアファン王の捜索任務に関わっているため、ここでそんな内容の会話をしているのが聞かれると、犯人に仕立て上げられてもおかしくはないのだ。

 ノッポの兵士はグラスを手にしたかと思うと、声を押し殺して突然笑い始めた。あごひげの兵士はきょとんとして彼を見つめた。


「おうおう、これはカエマ王妃の呪いか……?」


「すまない。“行方不明”でちょっと思い出したんだ。あの日、たまたま王様の護衛についたレジョールのことさ」


 その名を聞いた直後、あごひげの兵士も声を出さずに笑った。発声を我慢しすぎて、顔がくしゃくしゃになっていた。


「レジョールの若僧……思い出したぞ。あの日、トワメルの旦那はサンドラークの王への遣いを頼まれてた。それで、いつも護衛にしてくれとうるさかったレジョールの若造が王様について行くことになった」


「ところがどっこい! 幸運の先の不幸とはまさにこのこと! 生意気でずる賢いレジョールの若僧はそのまま消えちまった! 俺はそのことを聞いた時、『山森の“不愉快”な仲間たち』の冗談話を思い出しちまって、腹がよじれるくらい笑ったぜ」


 あごひげの兵士が耐え切れずに大声で笑ったので、ノッポの兵士もつられそうになったが、我慢してまた話し始めた。


「そういえばあいつ、城の中をいつも走り回ってた。すぐに物をなくすんだよな、レジョールって」


「護衛に決まった時だって、お守りの青いペンダントがないって、泣きながら床を這いずり回ってた。わしたちまで手伝わされたんだよな……あいつが戻ってきたら一発ガツンと叱ってやらねえと。……一体どこにいることやら」


 二人は同時にグラスを空にして、しばらく押し黙っていた。レジョールとの思い出も、今や遠い遠い過去の話に感じられる。二人の交じり合った笑い声だけが耳に残り、空しい響きを鼓膜に与え続けている。あごひげの兵士がピカピカの兜をかぶり直したので、ノッポの兵士はその拍子に重い口を開いた。


「ザックスさんの一件も、今回の件もそうだがな……全部レンの仕業じゃないかって、噂になってる」


 あごひげの兵士は少しうめいて、額をかきむしった。


「そりゃあ、レンはすげえ奴だ。みんなが認めてた。ザックスさんの血を引いてるって……。だが、そこまでひねくれてはいなかった。カエマ王妃はますますレンを疑い始めた。あのお方は、今回の王様の一件も全てレンに罪をかぶせる気だ」


 そんな時、店の奥の方で兵士たちによる恒例のダンスショーが始まったものだから、店の中は絶え間ない笑い声と歓声で埋め尽くされた。両足をテンポ良く踏み鳴らし、華麗に踊っている兵士を横目で見ながら、ノッポの兵士は不意に空のグラスを握った。


「みんな戻ってくるさ。全てが狂い始める前の、あの日の光景と一緒に」


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