四章 赤い帽子と黒いローブ 2
小ネズミが閉じ込められている檻を間近でじっと見つめていたのは、つばの小さな、赤い帽子をかぶった女の子だ。真っ白の小奇麗な顔立ちで、褐色の髪の毛を肩まで伸ばし、プリーツをあしらった朱色のワンピースを着ている。その幼い顔立ちからも、そのあどけない話し方からも、まだディルとさほど変わりない年齢であることは確かだ。
「もう踊らないの? 小さなネズミさん」
その場にしゃがみ込んで食い入るように檻の中の小ネズミを見つめる女の子は、喉からかすれ出るか細い声でそう尋ねた。檻の中のネズミはもうぐっすりと眠り込んでしまっていて、女の子の声に反応するように、長い尾がたまにピクリと跳ねるだけだった。
ハムは足音も無く静かに歩み寄ると、真剣な眼差しで眺め続ける女の子に黒い影を落とした。
「もう商売はしてないんだ、さっさと帰りな」
ハムは冷たく言い放つと、腕を前に組み、突き刺さるような鋭い視線を女の子にぶつけ始めた。それは例えて言うならば、ハイエナを追い払う獅子のような勇ましい姿だ。
「うへえ……おっかねえ」
シュデールは身震いして小さく呟いた。ずいぶんと乱暴な言葉を遣うんだなと、ディルは思った。シュデールの先ほどの忠告は、満更冗談でもなさそうだ。
女の子は顔を上げてハムを見つけると、探し物が見つかった時のような嬉々とした表情で叫んだ。
「あら、あなたカスタネット女のハムね! お願い、また魔法の言葉を言って聞かせてよ」
ハムのしかめっ面が更にねじ曲がり、カスタネットを演奏していた数時間前の自分の存在を消してしまいたいとでもいうようだった。
「……あっ、カメ!」
女の子の興味は熟睡中の小ネズミから、ジプイの尻の下敷きにされている大きなカメに移っていた。女の子が甲羅に抱きつくと、ジプイは哀れな格好で転がり落ちてしまった。不意に驚かされたからであろうか、緑のまだら模様にしわだらけのカメの顔が、甲羅の中から半分だけ出てきたのをディルは見た。
「立派な甲羅、すごい!」
両腕をいっぱいに伸ばしても全体に届かないほど大きな甲羅に抱きつきながら、女の子は狂喜した。
「なんて乱暴な奴だ!」
ジプイが怒って騒いでいるのが聞こえる。ハムは唇をキュッと結び、今しがたの愚かな行為を罰してやろうという感情を剥き出しにしていた。
「姉さん、ほっといたらいいじゃないの」
女の子を笑顔で見つめながらラーニヤは言った。
「撮影のカメラを持ってくるんだった。“ハム対少女”……いい画になるぞ」
シュデールはやたらと意気込んでディルの耳に囁いた。ディルはふと、女の子の大きく輝く瞳と目が合った。女の子がブルーの瞳でじっと見つめるので、ディルはずっとドキドキしっぱなしで、体中が熱くなるのを感じた。
「あなた知ってる! 丘屋敷に住んでるナックフォード家の跡取り息子ね!」
女の子はカメを見つけた時のように興奮し、まるで教科書の文章をそのまま朗読したように歯切れよくそう叫んだ。ディルは弾かれたように立ち上がっていた。
「そうだけど……どうして知ってるの?」
南ゲートでラーニヤに似たような質問をしたことに、ディルは呆然としながらもはっきりと自覚していた。
「あら、みんな知ってるわ」
戸惑うディルをよそに、女の子はやけに誇らしげだ。
「みんなが僕を知ってるなんて、考えたくもないよ。だって、僕はみんなのことを知らないんだよ?」
ディルは曇った表情に紅潮した頬を隠しながら、素直に打ち明けた。女の子はディルに同情するように、気の毒そうで悲しげな表情を浮かべた。
「あなたのその気持ち、とてもよく分かるわ。知らない人たちからの期待って、とても辛いのよね」
シュデールのイノシシのような荒い鼻息混じりのあくびが聞こえたかと思うと、次には、ディルの顔にパーッと笑顔が広がっていた。
「ナックフォード、そんなこといちいち気にすることじゃないぜ。映画撮影隊キングニスモのこのザマを見てみろよ。世界中が作品にどれだけ期待を寄せようが、俺たちをどれだけ尊敬しようが、そんなの関係ない。俺たちはいつも好き勝手やってる。そうでもしなけりゃ、今頃カラカラの干物になってたぜ」
ラーニヤは「その通りだわ」と何度もうなずき、ジプイは転げ落ちた拍子にずれてしまった帽子の角度を今一度確認しながら「確かに、これは無様だよな」とうなっていた。シュデールの言葉で、ディルはもうすっかり嬉しくなってしまって、今まで背負ってきた悩みが断片的に溶けてなくなってしまったような気がした。こんな晴々しい気分になったのは、一年前の稽古中、トワメルに「構えの姿勢が良くなった」と褒められた時以来だった。