(9)
第5章第9話です。
ブクマ、コメント等よろしくお願いします。
《幻解》が蓼科の身体をとらえた瞬間、目を焼くような白い光が迸った。それでもオレはその刀で蓼科の身体を、否、《道化師》というこの世界ならざる存在を斬った。
* * * * * *
「…………」
オレは気絶している蓼科を無言で見下ろしていた。少しずつ顔を出し始めている朝日から伸びた光がその憔悴しきった男の顔を照らし出していた。
蓼科がこれほどまでに回りくどい方法をとった真意を今知ることはできない。
《道化師》に出会い、《幻想》の力を持ち、かつ全面的に協力していたならば、オレや他の核の持ち主を殺すことはそれほど難しくはなかったのではないだろうか。
強いて推測を述べる、いや、憶測を述べるならば、蓼科はオレを守ろうとしたのかもしれない。
こんな考え方は若干自意識過剰ではある気もするけれど、だが、そう思った。
――まぁその辺のことも悩みは尽きないかもしれないけどさ、人はそれでも生きていくんだ。
――人は生きて、最後の最後に自分の生きた一生のことがやっとわかるってもんさ。
――だからその答え探しに間に合うように助けていくのが僕の仕事なんだからさ。
いつか、やつはそんなことを言った。蓼科は医者として患者を殺すことはしないというポリシーに則って動いたのかもしれない。
それが緋瀬を殺すことや、世界からMEに関する記憶を奪うということにつながってしまったことはやはり今でも許せないのだけれど、オレが生きることでそれを止められたのは、蓼科が心のどこかで止めて欲しいと思っていたからなのかもしれない。
《ロゴス》の能力が完全となった今オレは全ての現象が理解できるという状態にあるはずなのだけれど、それでもやはり、人の心だけは完全に理解することはできないようだった。
先ほど言ったように、「今」蓼科の真意を知ることはできない。
そして、これから「先」もオレは彼の本心を知ることはできないだろう。
なぜならば、オレが緋瀬や香子、怜を生きて帰すことはできるのはオレという存在を諦めるという条件付きであるのだから。
「香子さん、大丈夫ですか?」
オレは《幻解》を還元すると衰弱している香子を抱き起こしながら言った。
「あはは〜、あんなに大見得切ったのにかっこ悪いとこ見せちゃったな〜」
「いえ。高いとこから現れた時なんてヒーローみたいでかっこよかったですよ」
「ぶ〜。あたしヒーローなの〜? ヒロインじゃなくて〜?」
「あはは、すいません、訂正しますよ。ヒロインみたいでかっこかわいかったですよ」
「うんうん〜。それでよいのだ〜」
そう明るく言って見せた香子が途端に顔を曇らせる。
「ミィちゃんが死んじゃったのは……あたしのせいだ……内なる保護者であるあたしが、もっと強ければ……」
オレは今にも涙が溢れそうになっている香子をそっと抱きしめた。
「大丈夫ですよ、香子さん。緋瀬はまだ生きてます。緋瀬も一緒に帰るんですよ」
正確に言えば『生き返る』というべきなのかもしれないが、しかしまぁ、この場合は香子の心への衝撃を少しでも和らげるために『生きている』と言ったほうがいいだろう。
「でも……ミィちゃんの生体反応はもう……」
オレは香子を抱きしめている腕にさらに力を込める。
「だから、大丈夫ですって。大丈夫ですから、ここで休んでいてください」
香子の身体に回していた腕を解くと、香子の目尻から溢れた一滴の涙をそっと拭った。
そして立ち上がると倒れている緋瀬の方へと歩いて行き、緋瀬の傍らに膝をついて座った。
緋瀬の眼は痛々しいほど見開かれている。先ほどまで刺さっていた白い刃は蓼科、もといMEの独立意識の一つである《道化師》が消えたことにより、すでに形を失っているとはいえ、あの刃がその白く細い身体を貫いた痛みや恐怖をオレは想像することすらできなかった。
オレはゆっくりと手を伸ばして緋瀬の瞼を閉じた。これではまるで、緋瀬が死ぬことを認めたように思えるかもしれないが、だがもし彼女が目を覚ました時、自分がただ気絶していただけだと思ってくれればいいと思ったのだ。自分が一度死んで、生き返っただなんて目覚めが悪かろう。
さて。
オレはここまでだ。
蓼科医院で目覚めて半年も過ぎてはいないけれど、色々なことがあった。
クロに出会い、ヒサの家に居候することになり、学園に入学した。
そして緋瀬に出会い、怜に出会い、香子に出会った。
もちろん楽しいことや嬉しいことばかりじゃなかった。
《道化騎士》となった怜と戦い、四大塾の一つである御縞学院の研究機関を相手取ったこともあった。そして恩人であった蓼科と傷つけあった。
その中で記憶という「刻の代償」を払い続けてきた。記憶を失わせた「俺」自身を恨み続け、記憶がない「オレ」自身を呪い続けてきた。
けれど、怜に希望を与えられた。
香子に奮い立たせてもらった。
そして、緋瀬に好きだと言ってもらった。
たったそれだけのことが、しかしとても大切だったのだと思う。
大切なことを知ることができたオレはやはり生きて良かったのだと思うのだ。
「結成会、やっておいて良かったぜ」
オレは笑ってみた。何か温かいものが頬を伝ったけれど、悪くない気分だ。
そしてオレはよし、と呟いてから緋瀬の身体に手を翳して目を閉じた。
* * * * * *
「お別れは終わったかい?」
金髪緋眼の少年、ロゴスは言う。
「いや、お別れはしてない。わざわざ悲しませることもないだろ?」
オレはわざと明るい調子で言った。
「それはまた、自分勝手な言い分だね? 忘れられる痛みも忘れる痛みも嫌というほど知ってるだろうに」
「ああ。自分勝手なのは自覚しているよ。それにオレが偉そうに蓼科に説教したことと矛盾するってのも分かってるんだ」
「それでもやるのかい?」
「まぁな。そもそもその案はお前が言い出したことだろうが、ロゴス」
「それはそうだけれどね。僕としては緋瀬未来を救えれば、それ以外のことはあまり興味がないからね」
「ワタシは全くもって反対だけれどね」
不機嫌そうなクロが白い箱に座って足をぶらつかせながら言う。
「よお、クロ。久しぶりだな」
「何が『久しぶりだな』だ。ワタシがこの論理の力をコントロールするために眠っている間、勝手に話をまとめてくれちゃって」
「まぁ確かにルール違反をした感はあるよ。でも仕方なかったんだよ、緋瀬を助けるためにはこうするしかなかったんだよ」
「ふん。もう勝手にすればいいさ」
クロは拗ねたように言った。
「お前には、感謝……だけじゃないけど、まぁ少なくともお前がいて良かったとは思ってるよ」
「……」
クロは何も言い返さない。
限りなく、これからオレが命を取り戻そうとしている少女に似た、その時を司る少女の白い髪を撫でたあと、再びオレはロゴスに向き合った。
「さぁ、始めようぜ。とっととしねぇと昼になっちまう」
「いいだろう。とりあえずやることを確認しておこうか。やり直しは利かないからね」
そう言ってロゴスはいつの間にか現れた椅子に座った。
「今君は、すべて論理を理解するロゴスの力、そして時間を司るクロノスの力の二つを持っている」
「そして今から君がやろうとしていることは、緋瀬未来の身体の時間を巻き戻して生き返らせるということになるね」
「第一前提として言っておくと、生命の生死に関する時間軸への干渉は刻の代償が非常に大きくなる」
「おそらく、君が目を覚ましてからの記憶では足りないだろう。そしてなおかつ、君はロゴスを抱えている」
「非現実たる心象を現実たる現象によって打ち消すという性質を持っている僕の力はクロノスの力を阻害するだろう」
「しかし、この力を誰かに渡したり、手放したりしても意味がない。それどころか余計に事態を悪化させる。君が持っているうちは自分でコントロールすることができるからね。阻害の大きさとしては一番小さくなるだろう」
「つまり君はロゴスの力に相殺される分の刻の代償と緋瀬未来を生き返らせるという時間干渉のための刻の代償を用意しなくてはいけないわけだ」
「それは常人の記憶容量すら軽く超えている。ましてや半生の記憶失っている君には用意できない」
「だから、僕の力で得た記憶、というか記録を使ってもらう」
「君が取り戻したかった記録も記憶も消える。それには緋瀬未来との思い出や君が記憶を失った経緯という情報も含まれている」
「それらは君がずっと求めていたものなのだろうけれど、だが求めているからこそ捨てるという行為が代償として成り立つ、ということもあるからね」
「まとめると、君が元来持っている記憶とロゴスによって得た力を合計した現時点での記憶をすべて用いれば、ロゴスの力に相殺されながらも、緋瀬未来の命は時間の改変によってキャンセルできるということだよ。きっかりだ」
「刻の代償が足りることもなく余ることもない。いつもならもう少しアバウトなんだろうけれど、それは論理を司る僕が言っているんだからね」
ロゴスは淡々と説明し終えた。オレはそれを一つ一つ咀嚼して飲み込む。
単純な話だ。オレは再び記憶を失う。前回と違うのは、他人の記憶を奪うのではない、ということだけで。
「お前はどうなるんだ、ロゴス? そのままオレの中にい続けるのか?」
「いや、緋瀬未来の身体に戻るよ。さっきも言ったように、僕は緋瀬未来を守るようにできているんだよ。彼女が生き返ったならば、その使命は再び効力を持つからね。でもきっと今のように完全体ではないだろうね。クロノスと相殺し合って摩耗するのはあくまで人工物の僕だからね」
「そっか。じゃあ緋瀬のことは頼んだよ」
「言わずもがなだよ」
クロノスは未だに拗ねたようにこちらを向かない。まぁあれだけ記憶喪失のことで詰った挙句、再び同じようなことをしようとしているのだから仕方ないことなのかもしれない。
「じゃあ、始めようぜ」
オレはロゴスに言った。
オレは再び記憶を失う。
「俺」はこんなオレをどう思うだろうか。
もちろんそれを知ることはできないけれど、少なくとも褒めはしないだろう。もう少しうまくやれたのではないか、とか。もう少し効率良く立ち回れた、とか。悔いても悔いきれないことはたくさんある。
都合のいいことだけれど、再び目を覚ました「おれ」が緋瀬や香子、怜、そしてヒサを悲しませずに、うまくやってくれることを願うばかりだ。
どうか、幸せに。
どうもkonです。
ついに次回は最終回です。是非最後までお付き合いくださいませ( ´ ▽ ` )ノ




