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Multi Element 〜刻(トキ)の代償〜  作者: kon
5th MEmory 残存記憶―Relict Memory―(B)
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(7)

第5章第7話です。

 オレの服から落ちたらしいその鍵は、煌々と赤く輝いていた。まるでその鍵を用いる対象を指し示すように。

「なんでもう一つ《世界樹の鍵》が……」

 オレは《黎玄》を一度還元すると、その小さい鍵を手に取り、握りしめる。

「まさか……」

 蓼科は何か思い当たる節があるらしく、香子によって倒された《道化騎士》達を見た。

「なるほど、誇り高い《騎士》が《道化師》を裏切るということかい。まぁ、それこそが道化の者の運命なのかもしれないね」

 その自嘲じみた蓼科の言葉でオレは理解した。

「怜……か」

 《世界樹の鍵》はその設計図がブラックボックス化され、その適合者たる怜達の脳内で保存されている。

 しかし実際の生成には一人のイメージ演算領域では足りない。そのためにパッチワークシステムという統合プログラムが存在しているわけである。

 つまり《世界樹の鍵》を生成し得るのはシステム権限を持っているであろう能見と蓼科、そしてその設計図を保持し、実際にイメージ演算領域を提供している怜を含む適合者=《道化騎士》の12人ということになる。

 怜はボロボロになるまで他の《道化騎士》と戦った。そしてその中で彼らと精神的にリンクしている状態で説得をし、オレがなんらかの方法でそれを活かすことを頼みに、《世界樹の鍵》を生成した上で、きっとオレが怜を抱えて運ぶ時にオレの服に忍ばせておいてくれた、ということなのだろう。

 ちっぽけで弱いオレに、怜や本当は握りたくなかったであろう剣を握らされた他の《道化騎士》は賭けてくれたのだ。

 だが、オレが今やろうとしているのは、あの能見がオレにした行為に酷似したものになってしまう。

 目的のためなら、嘘をつき、親子の絆すらないがしろにして、最期は無残に死んでいったあの科学者と。

 先ほど蓼科の剣を受けたときについた右瞼の切り傷から赤い血液が垂れてきたのを拭いながら、オレは緋瀬のその真っ赤な瞳を見つめた。

「緋瀬……オレは」

「だ、大丈夫だよ、悠十くん。わたしはその、悠十くんが一緒ならきっと大丈夫だと思うんだ」

 しかしそれがうまくいくとは限らない。オレがそう言おうとした時、頭の中で声がした。

「心配するなよ、ユウ。確かにその赤い娘だけではコントロールはできないかもしれないけどね、ワタシがコンソーラーとして媒介すればある程度コントロールもできるだろうよ」

「クロノスの力は打ち消されるんじゃないのか?」

「もちろんそうさ。時間操作の力は使えない。けど言っただろう、ワタシはコンソーラーとしてその娘の力を制御すると。そもそも人間が作った核のレプリカだ。本物の核であるワタシが媒介することができても不思議はないだろう?」

 そうだ。オレにはもう迷うなんて選択肢はないのだ。蓼科が掲げた「模範解答」を超えるような、そんな「別解」を全身全霊で追い求めるしかない。

「分かったよ……緋瀬。一緒に、みんな一緒に帰ろう」

「う、うん!」


 そう言って緋瀬は静かに目を閉じる。すると緋瀬の胸あたりが赤く輝き、あたかも鍵穴を示しているようだった。オレは右手に持ったその《世界樹の鍵》を緋瀬の胸に差し込み、そして回した。


* * * * * *


 その瞬間、オレの脳内に様々な記憶の奔流が駆け巡る。それは取り留めもなくオレの頭を爆散させるのではないかという勢いだった。

「ユウ! 呑まれるなよ!」

 どこかでクロノスの声がするが、その姿は見えない。

 そしてその数秒後(きっと実際には時間は経っていなかっただろう。あくまでオレの脳内の話だ)、記憶の奔流の果てにオレはあるイメージにたどり着いた。

 真っ黒な空間に、巨大な真紅の歯車が無数に配され、噛み合い、回っていた。これが絶対論理の核、《ロゴス》か。

「ゆ、悠十くん!」

 背後から聞こえた声に振り返ると、緋瀬が立っていた。しかしその格好は先ほどの私服ではなく、漆黒のドレスだった。真っ黒な空間でそんな格好をしているので、透き通るような白い肌がやけにはっきりと映った。

 一方のオレも黒いシャツに黒いタキシードになっていたことに気づく。まぁ精神世界で今更何が起こっても驚くまい。

「緋瀬か」

「う、うん。え、えっとどうすればいいのかな」

 クロノスの力を使う時にクロがする行為をしなくてはならない……のだろうか。

「まぁそういうことだ、ユウ。しかも今回は口同士だ。言葉はワタシが言うのに続いて二人で言うしかあるまい」

 口同士、というところには反論したいところだったが、したところでどうにもならないのだろう。

「分かったよ」

 オレは若干緊張しながら、緋瀬の方を見た。

「緋瀬、こっちに来てくれ」

 オレがそう言うと、緋瀬はちょこちょことこちらに歩いてきた。

「オレに合わせて、言葉を言ってくれ。大丈夫だよ、何も怖いことはない」

 オレは緋瀬を怯えさせないように精一杯優しく言った。

「う、うん」

 緋瀬は頷いてオレの服の裾を掴んだ。オレはその手に自分の手のひらを合わせるようにして組んだ。そしてオレは緋瀬を支えるように腰にそっと手を回した。それは端から見れば、粛々と踊っているように見えたかもしれない。そしてクロノスの詠唱が始まった。


――不変の代償をもって、惑わされる汝に、幻想を打ち砕く剣を与えん。我らの口づけをもって契約の証となす。


 クロの声にオレの声が重なり、オレの声に緋瀬の声が重なった。


 そしてオレは静かに、緋瀬の唇に自分の唇を重ねた。


* * * * * *


 オレの左腕の中で気を失っている緋瀬。その胸に鍵を差し込んだオレの右手が何かに触れた。何かこう……柄のような物だった。オレはその柄を掴んで、引き抜く。


 それは、直剣だった。しかしその刀身は暗い赤であり、ずっしりと重かった。MINEのパワーアシストを以ってしてもなお重いと感じさせるこの剣はどれだけの重さなのだろうか。

「これが、現実の重さ、ってやつか」

 オレは緋瀬を後ろに寝かせ、その剣を構える。そして相対する蓼科も同じように《世界樹の鍵》を構えている。

「悪い。随分待たせたな、蓼科」

「全くだよ。日が暮れてしまう……いや夜が明けてしまうかと思ったよ」

 そう、もう少しで夜が明ける。長い永い夜が明けようとしている。ヒサは心配しているだろうか。緋瀬や香子、怜の家族だってきっと心配しているだろう。

「もう終わりにしよう、蓼科」

「僕もそう思うよ。では次で決めよう。君が勝てば、明日もMEは蔓延り、緋瀬未来は生きていく。僕が勝てば、明日からMEは存在せず、不確定要素である緋瀬未来もいなくなる」

 単純明快な二者択一、一目瞭然の二項対立だ。


 そして訪れた静寂。空気も鉛のように重く、ピアノ線のように張り詰める。


 オレの右瞼からまた一雫の血が滴り落ち、それが地面に落ちた瞬間。


 オレと蓼科が同時に地面を蹴った。


 走ってこちらに向かってくる蓼科が魔術でも使ったかのように分身する。しかしその直後、オレの握っている剣からいつか見た赤い光が大蛇のように幾本か顕現し、それらの分身体を喰らう。

 残った一人、すなわち本物にオレは一直線に近づき、やや大振りに剣を打ち付ける。

 しかし蓼科はそれを受け止めるでも弾きかえすでもなく、その鍵特有の形状を利用して剣撃を逸らした。

 あまりに重いオレの剣は受け流されるまま地面を斬りつけ、アスファルトを大きく窪ませる。

 このままこの重い剣を持って振り返ったのでは、後手に回ることになる。オレは剣を一旦離して、左手に、かつ逆手に持ち替えると柄頭を打ち出すようにして背後から斬りかかってきていた蓼科のみぞおちを突く。

 やはり先ほどまでの人智を超えたレベルの反応速度は、ロゴスによってキャンセルされているらしい。このままなら、押し切れる。

 みぞおちを突かれて後ずさった蓼科に対し、オレは剣を持ち直して振り下ろす。


 ガツン!


 金属が砕ける音とともに《世界樹の鍵》がオレのロゴスの剣によって折れたのだ。

 そしてそれは、オレが蓼科に勝利したことを意味していた。それは一瞬の出来事で、あっけないものなのだけれど、それがオレと蓼科の戦いの結末なのである。


 剣の折れた蓼科はそのはずみで倒れ、オレはその首元に赤黒い剣を添えた。

「オレの……いや、オレたちの勝ちだ」

「どうも、そのようだね」

 オレはその言葉を聞いて少しほっとしてしまった。

 もしこの状況で蓼科が抵抗すれば、オレは蓼科の首を斬りはらわなくてならなくなる。オレはやはり、こいつに死んで欲しくないと思ったのだ。死んで欲しくないと思えた。

 そしてオレに戦意がなくなったことを感じ取ったのか、オレの右腕に握られた剣はその形を失っていき、そして一つの鍵とクロノスの結晶にも似た赤い結晶へと変化していった。

「ゆうくん、ここからは香子さんの役目だよ~。彼が罪を犯したのは変えようのない事実だからね~。とりあえず彼は拘束するね~」

 香子が痛々しく真っ赤に染まった肩口を抑えながらこちらに歩いてくる。そしてじっと蓼科の腕を見る。すると、MEが手錠の形を成し、そして香子の言葉通り蓼科を拘束した。相変わらず蓼科は無抵抗のままだった。

 オレはロゴスの結晶を緋瀬の体内へと戻すために横になっている緋瀬のもとへ歩み寄った。

 そして膝をつき、緋瀬の胸に《世界樹の鍵》を突き立てる。《分離実験》でオレが無理矢理にクロノスを取り込み直したときには暴走してしまったこともあり、不安になりながらその開かれた光の穴にできるだけ丁寧にその赤い結晶を戻していく。しかしそんな不安をよそに、クロが彼女の言うところのコンソーラーという役目を果たしてくれているからか、特に目立った乱れもなく、ロゴスの結晶は緋瀬の胸に取り込まれていった。

「ん……」

 結晶が完全に戻って数秒後、緋瀬はゆっくりと目を開けた。

「ゆう……とくん。そ、その……」

「ああ。大丈夫だよ。全部終わった。終わったんだよ。早く帰ろう」

 そう自分にも言い聞かせるように言ったオレは緋瀬を抱き起こす。そしてやっとこの悪夢のような長い夜が終わることに安堵の息をついた。









 しかし。神様はそれほど甘くなかった。








「ゆうくん!」

 香子の悲鳴が空気をつんざくように響いた。

 反射的に振り返ったオレが見たのは、くるくると回転しながらオレと緋瀬の方へ向かってくる、まるで雪のように白い刃だった。

 オレは緋瀬をかばうように左腕を伸ばす。


 ブシャァァァァァ!


 聴覚器官が一瞬麻痺して切り落とされる音を聞き逃すほどの鋭い痛みのあとに聞いたのは、左腕がまるまる切断された肩口から血液が噴き出す音だった。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 御縞学院の地下で能美により銃弾で撃ち抜かれたときなど比にならないほどの激痛にオレは叫んだ。もう喉ぼとけが粉々になるのではないかと思うほど叫んだ。

 だが、そんな叫び声はオレの左眼の視界の端に映った光景に一瞬にして止まった。


 その光景はオレにとって、

 最悪で

 最低で

 最凶で

 災厄で

 惨劇で

 絶望で

 無情で

 凄惨で

 悪夢で

 もうどれほどの形容詞を足しても足りないほどの光景だった。


 オレの傍らに座っている緋瀬の胸に白い刃が深々と突き刺さり、その刃と、さらに刃と同じくらい白い緋瀬の肌が鮮血に染まっていた。


どうもkonです。

あと3話、よろしくお願いします。

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