(5)
続きです
一瞬何が起きたのか分からなかった。派手な音を立ててオレの頭を殴打した金属製の物体は、より派手な音を響かせながらポッドの固い床に転がった。その物体は見たままというか、非常に前時代的な黄金色の「たらい」だった。一体全体なんでってこんなものが突然空中から落ちてきたりするっていうんだ。この学園には数世紀前に流行ったらしい「たらい落とし」なるユーモアに満ち溢れたシステムがあるとでもいうのだろうか?
こぶができた部分をさすりながら顔を上げると、我らが担任、篠原紀伊がその小さな体躯に似つかわしくない凄まじい怒気を放ちながらオレを睨んでいた。
「私の授業で、しかも初日の授業で上の空とは……よほど自信があるのだろうな? 緒多?」
よく見るとポッドの電子端末の画面には「解答権:緒多悠十」と表示されていた。クロノスと話している間に篠原先生がオレに質問をしていた……ということなのだろう。
「え、いや、すみません! その、質問はなんでしょう?」
「はぁ……。MEによる物質生成において特に注意するべき要素を述べよと言ったんだ。MER適性テストをクリアしているなら中学の時に導入ゼミで勉強している基本中の基本だ」
「物質生成、ですか……」
なぜか全く分からなかった。思い出は失っていたとしても、知識は残っているはずなのに。記憶を失う前のオレは相当不真面目だったのだろうか。
「分かりません……」
ボゥ! と篠原先生の背後で怒りの炎がメラメラと燃え出す幻覚が一瞬ちらついた。
「な、なるほどなるほど……ならば貴様はいろはも分からないすっからかんなわけだ。……いいか、今から教えてやるから一字一句漏らさずににメモを取れ。まず第一に生成する物体の性質・形状のイメージが固定化されていること、第二に生成する場所が明確に特定できること、そして第三に……」
次の瞬間頭部に加えられた衝撃で視界がぐらつく。さっきの二倍はあるたらいが先ほどの再生よろしくけたたましい音を立てて転がる。
「生成する場所に人がいないことをきちんと確認すること。でないと今見てもらったように『大変』危険だ。分かったか、緒多?」
「は、はい……大変よくわかりました……」
「よし、分かればいい。私は真面目で物分かりのいい生徒が好きなのでな」
「はい、肝に銘じます……」
オレがそう言うと、たらいが黄色を帯びた光の粒子となって分解していき、最終的に消えてなくなった。
「皆すでに習ったことであると思うが、MEの生成にはMERの生成イメージの固定化と生成座標の明確化が重要になってくる。その二つが確立されて初めて安定した生成が可能になる。逆に生成状態を解除する還元にはそうして創り出したイメージを解いていくことで実行される。還元の方が生成より比較的実行しやすいと言っていいだろう。私は今とくになんの機材も用いていないが、MEの競合や収束元素量などの状態によっても生成安定度は影響を受けるし、細かい装置を生成する際にその設計図を脳内にすべて記憶するのは実質的に不可能だ。よって今の金属製のたらいのような単純なものでない限り、それらの計算や情報は外部に委託するのが一般的とされている」
電子端末に表示されたレジュメのページが切り替わり、円板状の装置の模型図が表示された。
「これがそうした処理を行う為の装置、MINEだ。学園ではこの装置を一人一つ支給している。この講義が終わったのち、MINEのパーソナライズを行い、続いて一般演習、執行演習を実施する」
執行演習という言葉が出ると、今まで静かだった教室が少しざわめき始めた。
「お前たち、静かにしないか。執行演習には確かに賛否両論あることは学園としても認知している。しかしながら、日本を含む国際社会ではワシントン執行協定に則り、現在は国際紛争解決の方法としてMEを利用した絶対安全武力戦争が専ら用いられている。故にMERとしてこの学園に入学したお前たちには執行演習の必要が生まれてくる。戦争に参加しない場合でも国外の組織が学生のMERを誘拐するということも起きている為、自衛方法としても執行演習が必要となるだろう」
篠原先生が言ったことはオレの知識の中にもあった。MEの普及により戦争を安全化・効率化することで、従来の戦争と違い死者が出ず、議論と異なり平行線状態になってしまうこともない、第三の国際問題の解決方法が生み出された。
具体的にどのように安定化するかということは分からないが、絶対に人が死なないというシステムのもと戦争が行われ、敗戦国は勝戦国にその戦争の要因となった土地や条件を譲るだけでなく、その戦争に投入された戦闘員としてのMERの三分の一を譲渡しなくてはならないなどといった「戦争規則」のようなものがワシントン執行協定によって定められている。
この結果、MERの数はそのままその国の経済的・軍事的国力を意味するようになったのであり、MERの教育はさらに重要視されるようになった。そしてその教育には戦闘員としての教育も含まれ、その戦闘訓練を「執行演習」と言うのであり、それ以外の生活や職業に利用するような生成の訓練を「一般演習」として位置付けているのである。
しかしながら先ほど篠原先生が言ったように、この執行演習という制度には賛否両論がある。国際的変化としての絶対安全武力戦争に対応し、国を維持するためには必要と考える者もいるし、学生を安全とはいえ戦争というものに関与させることに苦言を呈す者もいる。しかし前者の意見を持つ者は総じて国を運営する立場の者に多いため、今もなお学園に執行演習が導入され続けているのである。
篠原先生は生徒たちが静まるのを見計らって再び話し始めた。
「では講義に戻るぞ。MINEの主な機能は、生成する装置の設計図等の記録、周辺環境分析、五感のセンサーアシスト、基本運動のパワーアシスト、そして絶対安全機能として使用者を覆い、使用者の代わりにダメージを蓄積するベールの生成と一定ダメージ以上の蓄積で外界との干渉を完全遮断するリジェクトキューブの生成、その他にも通信や演算などの機能もある」
レジュメの模型図が、MINEと使用者の相関関係図へ切り替わる。
「MINEはパーソナライズを経て、使用者の精神傾向を二の二四乗通りのカラーコードに類型化・変換することで使用者との精神的互換性を高める。しかしMINEには自己学習機能として使用者の生成傾向を予測して生成を早めたり、補強したりする機能を持っている為、同じカラーコードを持つMINEであっても完全なパフォーマンス互換性があるわけではない。よって今日配布するMINEは自分のパートナーとして深く関わっていくことが必要であることを理解して欲しい」
パートナー、か。オレは心の中で呟いた。なぜかパートナーという言葉と共にクロノスの顔が思い浮かぶ。クロノスはオレのパートナー、なのだろうか。そんな生易しい関係ではない気もする。誰にも言ってないことだが(言う相手もいないが)、オレの今の目的はあくまで記憶を取り戻すことにある。もしその目的のために必要ならクロノスを排除することもするだろう。そもそも記憶喪失の根源を作ったのはクロノスなのだから。
――本当にそうなのか?
頭の中で自分の声をした誰かが問うた。記憶を消した原因はそもそも記憶を失う原因は自分じゃないのか。クロノスは「俺」に頼まれて「オレ」に記憶を失わせたのではないのか。それにまず根本として自発的に記憶を失わなくてはならないような状態とはどのような状態なのだろうか。
その理由を知って、「オレ」は「俺」を許せるだろうか。「オレ」を孤独に突き落とし、当の自分は綺麗に無くなってしまった「俺」を。
どうもkonです
やっとMEの描写ができて嬉しいです
今回はやや舞台設定の説明的な部分が大きかったですが、最後の悠十の独白はずっと書きたいと思っていたセリフです
今後もよろしくお願いいたします