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第5章第4話です。
ブクマ、コメント等よろしくお願いいたします。
けれどこの世に本当に普遍で不偏で不変なものなんてほとんどない。店主が出すティーカップのようには二人の関係が続くわけではなかったのだった。
ある日、突然に、未来の両親が死んだ。同時に、二人の両親を失った。直接の死因は自動車事故だという。遠因は父、直樹の心臓発作。
そして、未来は地方に暮らす祖母、瞳花のもとに引っ越すことになった。
それは同時に悠十との別れを意味していた。実のところ、未来はそれが一番辛かったような気がする。
実の両親が死んだことより好きな男の子との別れを惜しむというのも、いささか不謹慎なような気もするが、しかしながら未来にとってそれほど悠十という存在は大きかったのである。
未来の両親は、非常に優しい両親だった。手を上げることも、声を荒げることも、何かを強いることも、何かを禁ずることもなく、育ててくれる善良な、「普通の」両親だった。
しかし、「普通の」優しい両親だったがゆえに、やはり未来の「異常な」記憶力というものを、そしてそれに付随する孤独というものを、やはり理解できなかった。
その溝は両親の愛が足りなかったというわけでもなければ、両親の努力が足らなかったというわけでもないのだ。
ただ未来と両親の間にはそうであるか、そうでないかという底なしの溝があったというだけだ。
だから、その溝を埋めるわけでもなく、ただそこにいるだけで同じ側に立っていた悠十は、未来にとってやはり重要だったのだ。
ただ、先ほど述べたように、この世に本当に普遍で不偏で不変なものなんてほとんどないのだ。
そんな未来が全てを記憶する、世界を記録する、普遍で不偏で不変の絶対論理の人工核たるロゴスを有しているなどということは、どうもアイロニーでかつアンノウンなことであったようだが。
そして、ついに記憶を失う前の悠十と未来が最後に出会った日が来る。
その日もまた凍えるような寒さだったが、どこか春の匂いも薫っていたように思う。
いつも通り、二人は五六時計店に向かう。その日の悠十は、走りたいという気分ではなかったのか、未来と同じペースで歩いて向かった。
未来は道中、何度か自分が引っ越す話を切り出そうとしたが、言葉が喉の手前でぐずり出すので、結局話を切り出せないまま、古びた時計屋の前に来た。
悠十が背伸びしてドアノブを回して入ると、あのいつもの場所へと歩いていった。
未来もいつもの通り、本棚へと向かおうとして、立ち止まる。
そしてくるりと体の向きを変えて、先に座っていた悠十の隣に傍にあった椅子を据え、ちょこんと座った。
悠十はその行動に一瞬、ある程度の驚きを顔に浮かべたが、すぐにいつも通りの顔に戻って時計を眺め始めた。
一方の未来がというと、膝に手を置いて、腕をぴんと伸ばし俯き加減で黙り込んでいた。
カチカチカチ
チッチッチッ
時計の進む音だけが、その空間で唯一未来の鼓膜を震わせていた。自分の鼓動すら聞こえない。
もし時計の音がなかったら、世界が静止してしまったのではないかと錯覚してしまいそうである。
そんな時間が七分五十六秒続いた時――時計に囲まれていたので、すべてを記憶している未来はやけに正確にそれが分かってしまったのだけれど――店主がいつも通り、湯気立つ紅茶を持ってきた。最も、未来のいる位置がいつもと違うので、ティーカップを置く位置はいつもとは違ったけれど。
未来と悠十はそれぞれそれを受け取ると、冷えた指先を暖めるようにカップを両手で覆った。
急激に暖められた指先は痺れたような不思議な感覚に包まれた。
そして未来はほっと息をついて、口を開いた。
「ゆ、悠十くんはそ、その、いつも時計見てるよね」
「あ? あーうん。まぁな。クロが好きだからな」
悠十は自身の中に潜む《存在》を「クロ」と呼称する。それは色の「黒」を意味するのか、それとも何かの略なのかは分からないが、いずれにしても幼馴染のような、あるいは兄妹のような親しみを持っているような気はする。
「えっとじゃあ、悠十くんは好きじゃないの?」
「好きじゃないかって言われるとなぁ……。まぁ嫌いじゃないけど、そんな好きってほどでもねぇな。時計ってなんか寂しいじゃん?」
「寂しい?」
時計が寂しいというのは未来にはあまり分からなかった。
「いや、まぁ大したことじゃないんだけどさ。時計の針ってやっと出会えたと思ったら、またすぐに離れ離れになって、また出会って、また離れてって……。なんつーか、うん、寂しいんだよ」
時針と分針と秒針はそれぞれ違ったスピードで、違った歩幅で進んでいく。ゆえに出会った瞬間に針同士の距離は離れていく。
それを、悠十は寂しいという。
時計の針たちがずっと一緒に回ることがないのは当たり前だ。もし出会った針が手を携えて回ってしまったら、針を分ける意味すらなくなってしまう。
だけれど、確かにそれは少しばかり寂しいのかもしれない。
人も出会ってはまた離れていくから。ずっと一緒にはいられないから。
そして未来は言えなかった言葉を、喉の奥でぐずっていた言葉を口にする。
「わ、わたしね、そ、その、引っ越すんだ。違う地区に住んでるおばあちゃんと暮らすの」
「……」
悠十は一瞬こちらを見やって、少しだけ考え込むように下を向いたかと思うと、また時計の方へ視線を戻した。
「だ、だからね、明日から悠十くんとは遊べなくなっちゃうんだ」
未来は話し続ける。いつもそうだが、ことさら滑らかに動かない舌を懸命して、伝えたくはないけれど、伝えなくてはいけないことを伝えるために。
「そ、その、う、うんと、悠十くんとはき、今日で……おわ――」
「あのさ」
ついにその言葉を口にしようとした時、悠十は静かに、しかし力強くその言葉を遮った。
「未来はその、俺のことを忘れないだろ? 絶対にさ」
未来は、こみ上げてくる何かを堪えようと声を出さないようにしながら縦に頭を振った。
それはただ未来が忘れない体質だからというわけではなくて。
未来自身の意思で忘れない、という意味で。
未来はその問いを、肯定した。
「だから、いつかまた出会った時は、また友達になろう。俺がもし忘れちゃってたら、未来から声をかけてくれよ。その時は、絶対思い出すからさ」
悠十は静かに手を伸ばして未来の真っ直ぐな黒髪を乱さないようにするかのようにゆっくりとその頭に触れた。
「だから、待っててくれよ。また俺らが出会える時をさ」
つーっと温かい涙が未来の頬を伝った。
「それでまた一緒に時計屋に来よう。……だから、そんなこと言うなよ」
悠十はそう言って、自分の言葉がやや台詞めいてしまったのを隠すように続けた。
「その、もし俺が金持ってたら、未来に時計買ってやってもいいしよ」
「わ、わかった……ま、また絶対悠十くんと出会うからね。絶対絶対友達になるからね。また未来って呼んでね」
「あぁ、約束だ」
そう言った少年は少しだけ笑った。
これはただの少年と少女の約束の話。
大人からすれば馬鹿馬鹿しい小さな約束かもしれない。
世界から見たら些細な約束かもしれない。
だが、それでも少女は忘れない。恨み続けた自分の記憶力を行使してでもこの約束を絶対に自ら手放したりしない。
また二人がどこかで出会うために。
また新たな思い出を作るために。
また互いにその名を呼ぶために。
* * * * *
「大丈夫か!? 緋瀬!」
いつの間にかうつらうつらしていた未来は自身の名を呼ぶ少年の声で目を覚ました。
「ゆう……とくん」
辺りを見回すとあの頑丈な球状のカプセルごと未来は地面に降りているようだった。恐らくは悠十がMINEを使って外部から管制システムを操作したのだろう。カプセルの一部が消失して出入りできるようになっている。
「大丈夫か? どっか怪我してないか?」
悠十は心配そうな声で未来に尋ねる。
「大丈夫だよ、悠十くん」
見上げると観覧車が放っていた赤光はすでに消えていた。恐らくは光の元手である未来があのカプセルから離れたからなのであろう。
視線を悠十の顔に戻すと、悠十の頬やら肩やらが赤黒く染まっていることに気づく。
「ゆ、悠十くん!? ど、どうしたのその傷!?」
「その、だな……。今まで《道化師》……いや、蓼科と戦っていたんだ」
「え……」
「蓼科が《道化師》だったんだ。《道化騎士》や《分離実験》の黒幕だったんだ。そしてまたあいつは次の段階を踏もうとしている。だからそれを止めるためにオレは戦わなきゃいけないんだ」
出会って間もないとはいえ、悠十の主治医である蓼科が入学以来続いた様々な事件の黒幕であるというその知らせは未来にとって相当のショックだった。
「そ、その、まだ、終わっていないの?」
「あぁ、今は香子さんが戦ってる。怜は戦いでダメージを負っちまって今はあのベンチで休ませてるんだ。だから緋瀬は怜と一緒に待っててくれ」
そう言って悠十が立ち上がろうとした時、未来は思わずその服の裾を掴んだ。強く、強く、掴んだ。
「わ、わたしも……ついて行く」
《分離実験》に怜が巻き込まれ、悠十が奔走している時、未来はその場にいなかった。
香子は内なる保護者としていつも悠十を救っていた。
怜も悠十を助けるために戦って、今休んでいるのだ。
だというのに、未来は肝心な時にその場にいない。傷ついた悠十を事後になって心配するだけ。
もうそんなのは嫌だ。彼が傷つくのなら、自分も一緒に抗いたい。
そう、未来は思った。
だから、この裾を掴んだ手は、絶対に離さない。
悠十は未来の赤い瞳を見つめて、一瞬考え込むように目を伏せ、奥歯を噛み締めた。
「分かったよ」
悠十は諦めたように言った。
そして。
一人の少女と、
一人の少年は、
それぞれの約束を抱いて、立つ。
どうもkonです。
2話に渡って未来視点の回想となりました。
いかがだったでしょうか。
では次回もお楽しみに!




