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第4章第9話
ブクマ、コメント等よろしくお願いします。
MEに関する世界中のすべての記憶と記録を消す。それが何を意味しているのか、オレには分かりすぎるほどに分かっていた。そしてその先にどれほどの空虚さがあるのかも。
「お前、自分が何を言っているのか分かっているのか? そんなことをしたら……」
「世界中の人々にMEを認知することはできなくなる。そして、MERとNORという境も消え失せる。ついでに時間軸も正しい位置に固定すればMEが流入することも防げるだろう。それになんの問題があると言うんだい? まさか悠十君はMEによる工業的、商業的利益が惜しいなんて言うつもりじゃないだろうね? 僕は医師になる前は科学者だった。科学者は常に前進を、進化を、発展を求めるものだと言う人間もいる。確かに科学者は科学の発展を探求するものだ。しかし、科学を暴走させていいわけじゃない。科学者は常に科学におけるバランサーとして機能しなくてはならない。人間のME科学は進みすぎた。人間が利用していい領分を超えてしまっているんだよ。だから、リセットしなくちゃいけない、誰かがやらなくてはならないことなんだよ。そのことを分かったうえでまだ君は僕を止めようとするのかい?」
「ああ、あんたが言ってることは正しいのかもしれない。だけど記憶を消すなんて方法は、絶対にとっちゃいけないことなんだ。それがどれだけ辛い記憶だろうが、不幸しか生まない記憶だろうが、忌むべき記憶であろうが、決して捨てちゃいけないんだ。人間は忘れる生き物だけれど、だからって記憶を放り捨てていいわけじゃない。忘れられた痛みがあんたには分からないのか? 緋瀬がオレに記憶がないと知ったとき、流した涙をオレは知っている。もう二度とあんな顔を誰かにさせるわけにはいかないんだよ。他に方法があるはずだ!」
オレの声が遊園地にこだまして、その余韻が消えるまで、蓼科は黙ったままだった。そして完全に静寂が訪れたとき、蓼科は赤く輝く観覧車を見てこう言ったのだ。
「他の方法を模索して生じた結果があの少女の記憶能力だったとしても、かい?」
緋瀬の記憶能力……? 何を言っているんだ、こいつは。
「彼女の記憶力は病気によるものでもなければ、先天性によるものでもない。僕たち科学者が実験のために埋め込んだ、人工の核。非現実たる心象を現実たる現象によって打ち消す、絶対論理の核――」
「――《ロゴス》によるものだ」
「ロゴス……?」
「そう、人間の科学によって生み出された核だ。MEも他の核の力もその原動力は心象、すなわちそれは精神構造によるものだ。だからロゴスはMEの力を砕き、核の力も打ち消す。あの時のようにね」
クロノスの力である水色の光を高周波な音を立てながら弾き消した赤い光。あれは確かに緋瀬の体から出現していた。あれがロゴスの力だというのか。
「じゃ……じゃあ、緋瀬がオレのことを覚えていたのは……」
「それも彼女の中にあるロゴスが君のクロノスの力を打ち消したからだろうね。ロゴスの力は心象を現象により打ち消す、と言ったけれど、それは表向きそう見えるというだけで本質は『現実の記録』にある。つまりMEや核によって改変される以前の状態を記録しておいて、それを復元していると言った方がいいね。そしてそれは彼女の記憶力、いや、『記録』力に帰着する」
蓼科は何か感慨にふけるように、赤を帯びた夜空を仰いだ。
「だが、あれは曰く付きでね。実験の途中で被験者が次々と死んでいった。確か、彼女のご両親も含まれていたよ。そしてロゴス自体も完成とは言えない性能だ。オリジナルの核のような拡張性がないし、そもそも能力のオンオフがはっきりしない。その上この前、悠十君のクロノスを解放して目的を達成する一歩手前で、あのロゴスに邪魔されてしまった。いやはや、困ったお転婆発明だよ。まぁ今回はああいう形で封印させてもらっているけどね」
赤い観覧車を指差す。あの魔方陣のようなものはロゴスの力を囲い込むためのものということか。
「ロゴスがMEを消すための未完成な解決方法だということは分かったよ。いや正直信じがたいが、でもまぁ、理屈は分かった。でも、それならなおさら、クロノスで全世界からMEの記憶を消すなんてことは許すことはできない。そんなことをすればまた緋瀬を一人にすることになる。緋瀬以外の全ての人がMEを忘れて、緋瀬だけがその記憶を保持しているなんて悲しすぎる。そんな思いを緋瀬にさせるわけにはいかないからな」
緋瀬とオレはある意味で対極にある。世界が忘れてしまったことも全て覚えている緋瀬と、世界のことを忘れて世界からも忘れられたオレ。でも、その先にある孤独は似たり寄ったりのはずだ。同一とまでは言わないが、その孤独の空虚さを推し量るくらいのことはできる。
しかし、次に蓼科が発した言葉はそんなオレなりの精一杯の正義をもろともしないほど、簡潔で、残酷だった。
「それなら問題ないよ。彼女はきちんと殺すよ。不確定要素は消さなくてはならない。彼女のロゴスが変質するか分からないからね」
時が止まったように感じた。どろりとした、重たく、粘着質なものが頭と胸を侵食していくような気持ちが襲う。この感情はなんだ。悲しみ? 違う。切なさ? それも違う。怒り? そんなものはとうに超えている。そう、これは、「殺意」だ。
今まで下ろしていた《黎玄》をゆっくりと持ち上げる。視覚ディスプレイに《空牙》の軌道線を描く。全ての方向から蓼科を目掛けて伸びる軌道線を幾重にも重ねて描く。オレは今内から湧き出た感情を、なんの吟味なしに、なんの理性によるブレーキもかけずに実行しようとしているのだ。どろりと流れ続ける殺意と大量の軌道線を描いたことによるイメージ演算領域の消耗で頭が真っ白、否、真っ黒になる。
「何を急に臨戦態勢になっているんだい? まだ話している途中――」
「うるせぇ。ちょっと黙ってろ」
自分の声帯から出たとは信じられない低く、重い声が蓼科の言葉を遮る。
そして号令の一振りがひゅんと空気をかき分けた。
そして無限とも思われる剥き出しの刃が蓼科に向かって真っ直ぐ打ち出された。
* * * * *
「ん……」
未来は緩やかに目覚めた。座った態勢で長くいたせいか体がなんとなくだるく感じる。
「(あれ……? わたし何してたんだっけ? 確か悠十くんと遊園地に来て……それでえっと……)」
まだ覚醒しきらない脳で思い出そうとするが、思い出せない。
――思い出せない?
その時、未来は自分の体が異常な状態であることに気づいた。いや、人間にとって思い出せないという状態はさして問題ではない。それが普通のことで、通常のことで、自然なことである。しかし、緋瀬未来という人物に限っていうと、そしてさらにその記憶力に限っていうと、それは異常なことなのである。異常が通常になっている彼女にとって、通常は異常なのである。
物心ついた時から、彼女にとって忘れるという行為は縁のない言葉だった。なぜなら彼女は「完全記憶能力」の持ち主なのであるから。
そしてそのことに気づいた衝撃で彼女の意識は完全に目覚める。
「ここ……どこだろ?」
周りを見渡してみると、半透明のガラス質の球体に閉じ込められているようだった。そして半透明の向こう側には、かなりの標高から見下ろしたあけぼの遊園地のアトラクションが見える。だがあけぼの遊園地は真っ暗だった。いや、正確にはそうではない。アトラクションや装飾の光は完全に消えている。だが、未来のいる球体の周りに張り巡らされた網目状の赤い光に――それが観覧車の格子を伝っていると気づいたのはもう少し後だったが――照らされていたのだ。
その光には見覚えがある。御縞学院で悠十の体から出現した水色の光を次々と打ち消したあの赤い光だ。美山病院では結局検出されることはなかった謎の現象。
未来には何がどうしてこうなっているのか全くわからなかった。とりあえずここから出なくてはいけないと思い、周りを見渡してみる。目覚めたとき未来はシートに腰掛けていたことから、この球体は人が搭乗することを前提に設計されていると考えるのが妥当である。ということは逆に人がここから出ることも前提に設定されていなければおかしい。しかしどれだけ探しても脱出に役立ちそうなボタンはない。今日はMINEを持ってきていないので、球体を破壊して強行脱出というわけにもいかないし、MINEなしでこの見るからに頑丈そうな球体を破壊しうる凶器を生成できるほど彼女は生成の実力があるわけではなかった。
はぁ、と溜め息をついてシートに腰掛ける。
そして突然に孤独を感じた。それは未来がしばらく感じていなかったものだった。学園に入学して、悠十に再び出会ってから孤独を感じなくなっていたのだった。
他人との距離が遠い少女であった彼女が出会った緒多悠十とはそういう存在だった。それは彼が記憶を保持していた小学生の時も、記憶を失った今でもそれは変わらない。
だから緋瀬未来は緒多悠十に恋をしているのだ。
そして日付が変わった。
どうもkonです。
さて今回は緋瀬の能力に迫る回でした。
やっとタイトル回収ができてよかったです笑
この絶対論理の章もいよいよ終盤です。次回もよろしくお願いします。




