(7)
第3章第7話です。
ブクマ、コメント等よろしくお願いします。
能美の手から溢れるように流れ出す水色の光に思わずオレは目を細める。光は帯状に曲折しながら蘇芳の体を取り囲むように集まると、さらにその鮮やかさを増していった。
今能美がクロノスの力を使って、蘇芳の体に、いや、正確には蘇芳の記憶に何をしているのかということを想像するとぞっとした。人から母親に関する正の感情を奪ったらどんなことが起こるのだろうか。どんな人間でも誰かに愛されて生まれてきたはずなのだ。それはもしかしたら母親ではなくて、父親かもしれない。名付け親かもしれない。育ての親かもしれない。近所のおばさん、おじさんかもしれない。それが誰であれ、人は誰かに愛された記憶を持っているはずなんだ。オレにとっては、記憶もなく、身元も不明なオレを、名字がたまたま一緒で、知り合いの医者から頼まれたという理由だけで、もしくは仮に裏である種の報酬を受け取っていたとしても、そんな可能性をひっくるめても、差し引いても、それでもオレを家に置いてくれた、帰る場所をくれたヒサがそうであるし、もしくは初めて以前の「俺」を知っていると言ってくれ、それに便乗して嘘をついたオレを許してくれた、オレを待っていると言ってくれた、「幼馴染」の緋瀬がそうである。
でも蘇芳はきっとそれが母親だと思うのだ。あんな実験で、自分の人格を否定されるような、あの異様な言動があったとしても、そんなことがあったのに、それでも蘇芳は母親と一緒に生きることを選んでいたのだ。それは何よりも、あいつが母親にもう一度愛されたいと願っていた、その証拠ではないのか? 母親が冷たく接するようになって人格が分離してしまうように仕向けられていくというなら、その裏返しとして母親に愛されることが蘇芳にとってそのことがとても重要で、幸せであったということなのだから。だからその記憶を奪うという事は蘇芳から幸せを奪うということなのではないだろうか。
だけど。
オレはそんなことを言える立場ではないのだ。なぜなら、その重要で幸せな記憶を守ることすら叶わないのだから。それは一重にオレの無力さゆえであって、弱さゆえであって、不甲斐なさゆえである。もう視界はぼやけ、少しずつ狭められていく。頬に触れる床の冷たさももはや痺れのようにしか認知できない。自分と外界の境界線が曖昧になっていくようだった。下へ落ちていくような感覚が襲う。下へ、下へ、下へ――。
気づけばまたあの白い空間に横たわっていた。だがいつもとは決定的に違う。この白い空間にはあの少女はいない。水色のリボンで美しい白い髪を編んで肩にかけ、やたらと偉そうにしゃべり、すぐニヤニヤする、あの少女はもうここにはいない。オレはいつもあいつに頼りきっていた。目覚めて初めて接した他人と呼べる存在であるあいつがいて、そして時を操るなんて大層な力を得てしまったせいで、苦しいことや、嫌なことに巻き込まれたりもした。もし自分が記憶喪失やこんな能力さえなければもっと平穏に過ごせていたのではないかと思うこともあった。
それでも、記憶を失うという刻の代償を払いながらも、オレはこの能力のおかげで緋瀬に出会えた。緋瀬と本当に心を通わせることができた。そして蘇芳のもとまで辿り着いた。たった一人ですべてを背負い込もうとした蘇芳怜という少女にお節介でもありがた迷惑でもいいから助けに行こうと思えたのだ。
つうっと、温かい何かが目尻から流れた。それが涙であるということに気づくまで大分時間が必要だった。そう、オレは泣いているのだ。ふと自分が最後に泣いたのがいつだったか思い出そうとするが、思い出せない。いや、間違いなく、オレはあの病室で目覚めた後、泣いたことがなかったのだ。つまりこれは「オレ」の初めての涙だった。悲しいという、悔しいという、寂しいという、いろんな感情が溶け込んだその溶液がこんなに心を痛めながら流すものだとオレは初めて知った。オレは何も知らないんだと、自嘲気味に口だけで笑ってみる。
その時。ひらりと一本の水色のリボンがオレの顔元に舞い落ちる。紛れもなく、疑いようもなく、クロノスがあの別れの瞬間手に持っていたものだ。オレはだるい腕を動かして、割れ物を持つようにそっとそのリボンを手に取った。少しでも力を入れてしまったら消えてしまいそうな気がして。
そしてオレは短い誓いを小さく声に出した。自分を奮い立たせるように。自分に願いを乞うように。
「立て」
* * * * *
能美は満足げな表情を浮かべながら、蘇芳怜という少女を眺めていた。能美の右手に握られている水色の結晶からはそれと同色の光の帯を放っている。能美にはこの物体がどういうシステムで動いているのか、ということは実は理解できていない。ただその結晶を掴んだ途端、白い空間にいて、そこにいた少女に時間に関するどんな能力が欲しいかということを問われ、一人の人間の記憶を消したいと答えると、再び現実世界に立っていたのだ。あまりの簡単さと、自分の業績が叶うという喜びから、先ほどから口元が緩んでしまいそうである。
数カ月前、実験の進行に悩んでいた能美が出会った「ある男」から《記憶操作》という情報を得てからというもの、待ち望み続けた瞬間であった。
「フヒ、フフフフフフハハ八ヒヒヒッヒ」
ついに堪えていた笑いが漏れ、不気味なリズムの笑い声が部屋に響く。先ほど緒多悠十の拘束を解いた少女は次々と現れる暗部の男たちに囲まれている。少女の実力は確かに暗部のメンバー個人の実力は凌駕しているが、使い捨ての消耗品として次々と倒されていく巨漢が投入され続ければ肉の壁にはなる、と能美はほくそ笑んだ。蘇芳怜の記憶の消去が終わり次第、彼女をつれてここを立ち去る算段はすでに立っている。そのあとはこの憐れな少女の全裸でも愛でながら、彼女/彼の覚醒でも待とうか、などとどす黒い余裕さえ出てきた。緒多悠十に殴り飛ばされたことは想定外であったが、それ以外のことでは別段問題なくことは運んだ。
あと数秒で記憶の消去が終わると感覚として察知した、その時、背後で何者かが立つ音がした。
* * * * *
「お、お前、なんでまた立ってるんダヨ!? もう諦めろヨ! 無駄なんダヨ! そんな体で何ができるんダヨ!?」
能美は怯え半分、恐喝半分といった顔でオレを見ながら言った。
オレは血に染まった服の左側を力いっぱい引き裂いた。べったりと張り付いたその布をはがし、乱雑に拭ってみせる。そこには先ほどまであった銃創はなかった。綺麗さっぱり傷は癒えていたのだった。
「そ、そ、そ、そんな馬鹿なことがあるかヨ!? さっきまであんなに苦しんでいたじゃないカ! 人間の回復力でそんな早く治癒するなんてあるはずがないダロ!」
「そんなに驚くことじゃあねえだろ? あんたがその手に持ってるのは人の記憶まで消してしまえるんだろ? そんなことができるものがあるんだから、『体の一部分だけ時間を巻き戻して傷を負う状態にまで戻す』ことができたって不思議な事はねえはずだ」
「だ、だが、し、しかし! 僕がお前の力の根源はこの結晶のはずダロ! そして僕は鍵を使ってこれを取り出したんダ! あ、ありえないことダ!」
「ちょっと忘れ物があったんだよ」
MINEのローカルメモリーから無刃の刀、《黎玄》を呼び出し生成する。
「ヒ、ヒイィィィィ!」
能美は甲高い悲鳴をあげながら拳銃を取り出し、そのブルブルと震える指で引き金を引いた。照準の合わない銃弾はオレの頬をかすめ、通過していく。オレは静かに《黎玄》を両手で握り、斜め下に構えると、強く短く息を吐き出すと同時に強く地面を蹴った。一気に距離を詰め、間合いに入ると、刀を振りあげて能美の拳銃を打ち上げ、そのまま面打ちの要領で真っ直ぐ振り下ろした。強く頭部を揺さぶられた能美は白目を向いて倒れた。地面に転がった時の核と《世界樹の鍵》を拾い上げると、セカンドドライバ《刈海神》を呼び出す。
「香子さん伏せて!!」
オレはそう叫ぶと、横薙ぎにその水で形成された長大な刀を、その名が成すように、海神が命を刈るがごとく振るう。するとかがんだ香子の頭上すれすれを通り過ぎた水の刃が次々と暗部の男たちを吹き飛ばした。そして次々とリジェクトキューブが展開され、立っているのはオレと香子だけになった。
「ゆうくん!」
香子がオレの元に走り寄ってくる。
「ありがとうございます……来てくれて」
「全くもう~。心配したんだから~」
わざとらしく怒っているようなジェスチャーをする香子を見て張り詰めていた心が少しほぐれる。
「よし、じゃあ帰ろうか~」
「ちょっと待ってください、香子さん。もう一つやることが残っています」
「ん~? 何かな~?」
「蘇芳の記憶を元に戻す、いや、蘇芳の心を助けにいかなきゃいけないんです」
「う~ん、それはどういうことかな~?」
「この科学者はこの結晶を蘇芳の両親の記憶を消そうとしたんです」
「それは《分離実験》の一部なのかな~?」
「はい、蘇芳の母親に関する正の記憶を消すという工程らしいです。そしてこの結晶はオレが持っているもの、いや、オレが持っていたものなんです。だから……」
「ゆうくんが責任を持って~、怜ちゃんの心を助けにいくっていうこと~?」
「はい。これだけはオレがやらなくちゃいけないことだと思うんです」
「……そっか。でも~どうやるかっていう目処はついてるの?」
「はい。これを使うんですよ」
オレは今や小さな鍵となった《世界樹の鍵》を振ってみせるのだった。
どうもkonです。
やっと能美を打破するところまで来ました。悪役を書いてるときって自分まで嫌な奴にならないといけないから大変だなぁとか思いました。
さて次回からは、能美によって記憶をいじられた怜の心を助けに行くストーリーとなります。ぜひ最後までお付き合いくださいませ。
では次回もお楽しみに!




