(3)
第3話です。
目を開けるとオレは学校の階段に立っていた。確か参集教室の部屋番号を忘れてしまって、精神世界の中でその原因であるクロノスを問い詰めていたはずだ。とするとオレは今現実世界に戻ってきたということになる。結局クロノスは参集教室の番号は教えてくれなかった(取引で失った情報を与えることはできないらしい)ので、オレは一度外に出て、番号を確認し、また戻ってくるという非常に面倒な作業を強いられているらしい。
「はぁ……」
なんたる不幸、と叫ぶ代わりにため息をついた。そして上ってきた階段を下りようと振り返った時、誰かが階段を駆け上る足音と聞き覚えのある声が聞こえた。
「あ、あの！」
そこには先ほどの黒髪と赤眼の少女がいた。オレは下りたばかりの少女が再び階段を上ってきたことが腑に落ちず、少女に尋ねた。
「どうしたの？」
「え、えっと、間違ってたら、ごめんなさい。あなたの名前ってもしかして―—」
―—オダ ユウトくんだったりしない？
一瞬、時が止まった。オレの名前をオレの顔だけを見て呼ぶことができるのは、二人だけのはずだった。何故ならオレは全ての記憶・記録から排除されているからだ。オレの記憶が始まる三ヶ月前以降に出会った人物など主治医の男と文字通り天涯孤独のオレを家に置いてくれているヒサの二人以外にそうそういない。
「えっと、オレの名前は確かに緒多悠十だけど―—」
君が誰か分からないんだ、と続く言葉を待たずその少女は階段を駆け上がってオレのすぐ前まで来ると、紅潮し、緊張した顔で、何かすごく大切なことを伝えるかのように、口を開いた。
「あ、緋瀬未来です！ 悠十くん、私のこと、お、覚えてますか？ 小学校の時一緒だった……」
その祈るように潤んだ赤い瞳はオレを混乱させた。でもなぜか、緋瀬のその顔は既視感があった。いや、なぜかというには相応しくない。彼女の顔に既視感がある理由など明白だった。
少女の姿はクロノスのそれと瓜二つだった。唯一違うのは髪と瞳の色だけだった。まるで色を反転したような二人が似ているのはただの偶然なのだろう。偶々起こったことなはずだ。何の意味もないはずだ。それでもオレはその偶然に必然を感じたかった。意味を見出したかった。
オレに見知った女の子なんていやしないのに。オレのことを覚えてる人間なんていやしないのに。それでもオレは、誰かにオレのことを知っていると言って欲しかったのかもしれない。
そんな想いが交錯したオレは小さな、そしてそれと同時に大きな嘘を吐いた。
「あぁ、覚えてるよ、緋瀬さんだよね、久しぶり」
オレの言葉にその少女、緋瀬未来の中で張り詰めていた何かが緩み、そして花が開くように笑顔へと変わった。
「ほ、本当に！？」
ただでさえ近い距離にいるのに、さらに体を乗り出した少女とオレの距離は少女のなんとなく甘い香りが認知できてしまうほどだった。
「ちょっと近いかな……？」
オレが控えめに言うと、少女は自分の行動に今さら気づいたのか、一気に血色が良くなり、ごめんなさいがぐちゃぐちゃになった言葉を発して二、三段下がった。
「ゆ、悠十くんも一〇組だよね？」
「えっと、そうだっけな……」
無論覚えていない。
「そ、そうだよ！ わ、私記憶力だけは良いんだよ」
緋瀬は手を弄びながらなんだかとても恥ずかしそうに言った。
「そうなのか、じゃあ参集教室まで連れて行ってくれないか？ 部屋番号忘れちゃってさ」
自分でもなぜこんな嘘をしゃあしゃあと口にしているのか分からなかった。頭ではこの少女が入っているオダユウトという人物とオレが別の人物である可能性が一〇〇パーセントに近いことくらい分かっていた。それでもその限りなく少ない確率をオレは信じたかった。
「う、うん、もちろんです！」
そう言って照れ笑う緋瀬の顔が眩しくて、そして同時に心に何かが刺さる。
こうしてオレに初めての「幼馴染み」が出来た。
* * * * *
「一三一〇」という文字が空中に投影されている教室の前でオレと緋瀬は止まった。白いドアが音もなく自動で開く。
そこには広大な空間が広がっていた。しかもその空間の広がりは二次元的というより三次元的だった。先についていた生徒達は円形の個人ポッドに搭乗し、空中に浮遊していた。一学年が約一〇〇〇〇人であり、それに対しクラスが二〇クラスまでしかないことを考えると一クラスに約五〇〇人もの生徒がいることになるこの学園では教室も小規模なドームのようになっているようだ。それにしたって生徒一人一人に空中浮遊するポッドを用意するのに莫大な費用がかかりすぎる気もするが、《学区》の中心となる学園にはそれほど厚い支援が行われているということなのだろう。
「ゆ、悠十くん、学生証持ってる？」
目の前の光景に驚きを隠せないオレに緋瀬が遠慮がちに言った。
「ああ、持ってるよ」
オレは制服の内ポケットから厚さ二ミリ、縦三センチ、横四センチの瑠璃色の金属製プレートを取り出した。学生証にしては随分と豪華である。緋瀬が自分の学生証をドアの近くにあった端末に押し当てると誰も乗っていないポッドが文字通り音もなく緋瀬のところに降りてきた。
「じゃ、じゃあ、先に上がってるね」
緋瀬がゆっくりと上昇していくのをしばらく眺めてから、オレも緋瀬にならって自分のポッドに乗り込んだ。ポッドは直径約二メートルほどで、授業で使うのであろう電子パネルと座り心地の良さそうな椅子が備え付けてあった。ポッドは自動制御で電子パネルを操作すれば自分の行きたい位置へ移動できるようになっているようだった。オレは他に知り合いもいないので(緋瀬が知り合いであるとは言い難いが)緋瀬がいるあたりに移動した。
「そ、そろそろ先生が来る時間だよね……優しい先生だといいなぁ……」
緊張気味な緋瀬がそう呟くのをオレは頬杖をつきながら、目の端っこの方で見た。やはりクロノスにそっくりだ。髪型はクロノスが水色の瞳で白い髪を水色のリボンと一緒に三つ編みにして右肩にかけているのに対し、緋瀬が赤い瞳で、鮮やかの赤いリボンで黒くて長い髪を先の方でまとめているとかそういうことは違うにしても、同じ髪型にして同じ色に髪にしてしまえば見分けがつかないくらいに似通っていた。性格はまるで別人だが。後でクロノスに聞いてみるしかないし、そのうち緋瀬にも人違いだということを打ち明けなくてはならない、という結論に至るとオレは教室にいる五〇〇人近くのクラスメート達を観察し始めた。やはり同じ中学から来た者同士でグループに分かれているように見えた。そういえば、緋瀬は同じ中学の友達と一緒いなくていいんだろうか。
「緋瀬と同じ中学の友達ってこのクラスにいるのか？」
「え、えっと、ううん、いないよ！ 私この春に引っ越してきたから！」
「そうなのか。じゃあオレと一緒だな」
「え？ 悠十くんって小学校の時からずっとこっちにいるんじゃないの？」
「ええと……それはその……」
オレは下手なことをしゃべってしまったことを後悔しながら視線を彷徨わせた。居心地の悪い無言が続く。もう嘘を告白してしまったほうがいいんじゃないのかという気持ちがよぎったその時。
「静まれ！」
女性の声がマイクを通して教室中に響く。教室の中央あたりに四角いポッドに乗って現れたその声の持ち主は、薄い黄色のブラウスの上に黒いスーツを着込んだ―—身長一四〇センチメートルほどの少女だった。
教室が水を打ったようになり、クラス全員の視線がその少女に集まるのが教室の空気から伝わってくる。肩までの長さの黒髪が外向きにはねているのが特徴的なその少女は腰に手を当てて呆れたように肩をすくませ―—その小さな身体には相応しくない仕草であるようにも見えたが―—もう一度口を開いた。
「それでいい。人が話してるときは静かにしろ。一言もしゃべるな。お前たちが立てていいのは心臓の鼓動と呼吸の音だけだ」
一体全体この少女は何者なのだろうという疑問とあまりに過激なその発言に対する驚きでオレを含むクラスメート一同が唖然としているのに構わず、少女は続けた。
「第十二学区元素操作師養育学園への入学おめでとう。お前たちの担任になった篠原紀伊だ。一般高校生に必要な学術カリキュラムと元素操作師として必要な技術、知識をお前たちに指導するのが私の仕事だ」
その少女―—否、我らが担任、篠原紀伊先生は堂々とした語調でそこまで言い切ると、教諭用の四角いポッドに備え付けてあるオレたちよりも一回り大きい（当人が生徒たちよりも一回り小さいせいで二回りは大きく見えたが）電子端末を操作すると各生徒のポッドにある電子端末に学園の施設の写真が次々と表示された。
「今から一四年前、蓼科総合科学研究所でMulti Element―—通称ＭＥと呼ばれる思念により操作が可能な万能元素が発見されたことぐらいは皆知っているだろう。現在ではその利用法も開発され、様々な場面で社会生活を支えている。しかし、ＭＥを操作することができる先天的因子を持って生まれたMulti Elemntal User、すなわちお前たちのようなＭＥＲだけだ。お前たちにはその因子を持って生まれ、ＭＥを操作する能力と権利を得たと同時に、それを社会のために行使する義務と能力を制御する責任が伴っている。そのために一学区一学園制が施行され、ＭＥＲ適性テストが義務化され、国家からの援助のもと、ここ第十二学区を含む二〇の学区でＭＥＲの教育が行われいる。皆にはその尊厳ど責任を持ってこの三年間、およびその後の社会生活を過ごしてもらいたい」
篠原先生が話し終えると、一瞬再び教室が静寂に包まれ、五〇〇人近くの生徒達が一斉に拍手をし始める。オレは自分がひどく場違いなところにいる気分になった。
というのも、その「ＭＥＲに課せられた使命」というニュアンスの話にどうも適応できないのだ。オレの唯一の身内と言えるヒサはＭＥＲではない。入院していた時にＭＥＲ適性テストなるものを受け、ＭＥＲであることが判明したからこの学園に入学したに過ぎないオレにとって、ＭＥＲでない人々―—Non Multi Elemental Userの略語としてＮＯＲと呼ぶらしい―—の生活こそがすべてだった。はしの使い方とか、言語機能と同じように、ＭＥがＭＥＲの思念によって操作され、その能力が有用であることを知識としては理解していた。しかしそのことがＭＥＲが強者であり、与えるものである一方で、ＮＯＲが弱者であり、与えられるものであるという構造には心が違和を唱えるのだ。
「ゆ、悠十くん、ど、どうしたの？」
緋瀬が心配そうな顔で尋ねてくる。顔に出てしまっていたのだろうか。
「いや、別になんでもないよ」
そう言って少し笑って見せたが、緋瀬は心配そうな顔のままだった。この子に自分の記憶喪失について話したらどんな顔をするのだろう、と不意に思う。嘘をついたことに怒るだろうか？ 突拍子もないと呆れるだろうか？ 好奇の目で驚くだろうか？ いや、きっとこんな心配そうな顔をするのだろう。
まだ出会って数十分しか経っていないのに、こんな風に分かったような気持ちになってしまうのは、緋瀬がクロノスに似ているからなのか、彼女が勘違いでオレを幼馴染だと思い込んでいるからなのかは、分からないが、オレはこの少女が隣にいることに安心感のようなものを感じ始めていた。そして彼女がそういう人間であると分かった（ような気になっている）オレはもう少しだけこの「幼馴染ごっこ」を続けていたいと思ってしまうのだった。
それが彼女を傷つけることに繋がることは容易に予想できたはずなのに。
どうもkonです。
なかなか話が進展せず、申し訳ございません。
できるだけ皆さまに楽しんでいただけるように頑張ります。
ぜひぜひコメントよろしくお願いします。
