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第三章第三話です。
ブクマ、コメント等よろしくお願いします。
「あ……あぁ……」
護身用のナイフを折られた雅はか細い声を発しながら逃げ出すように玄関の方へ歩みだした。しかし香子が回り込むようにその前に立ち塞がった。
「無駄ですよ〜。対外防音装置も置いておいたので〜周りから聞かれることもないですから〜暗部の人もやって来ませんし〜」
香子がそう言うと、雅は力なく床に座り込んだ。
「何を……話せばいいのかしら?」
「お母さんがなんで怜さんのことをこんな特殊な扱いをするのかっていうことと〜、そこまでして御縞学院に協力するかっていうことです〜」
香子は雅に手を差し出し立たせると、イスに座らせ、自らも向かいのイスに座った。
「わ、分かったわ……。でも多分、先に私が御縞学院に協力する理由から話した方がいいわね」
雅はそう言って緑色の液体の入った湯飲みに視線を落とし、そして諦めたような顔を浮かべて語り始めた。
「私はね、一度母親としての自信を無くしたのよ」
* * * * *
そこは病院は病院でも、病を治すところではなく、新しい命が生まれ落ちるのを待つ場所であった。友人から勧められて入った産婦人科のベッドの上で雅は自らの大きく膨らんだ腹部を優しく撫でた。一般私企業の事務職員であった雅は同じ会社で働いていた営業部の若い男性社員と普通に恋に落ち、普通に愛を育み、普通に結婚し、普通に子供を身ごもったのだ。双方の両親も結婚に対して全面的に賛同してくれていたし、どちらもそれなりに善良な市民だったので、ほとんど問題というほどの問題もなく穏やかに時間は過ぎていった。
そしてもうすぐ結婚生活の中で最も大きく困難であると同時に、最も大きな幸福の一つでもあると言える出産を迎えようとしていた。医者の話によれば、雅の体の中には二つの命が宿っているそうだ。二卵性双生児で、一方は女の子、他方は男の子であるだろうということだった。雅も相手の男性もさして裕福ではないので、育児が大変かもしれないという思いはあったが、家族が一度の出産で二人も増えるという幸せに比べれば、些細なことに思えた。
そして出産予定日の今日、雅は朝から不安と幸せで溢れてしまいそうだった。緩やかにではあるが、確実に発展してきた科学技術のおかげで出産予定日予測は非常に正確になっていた。残念なことに夫は重要な取引があるとかで出産には立ち会えそうにないそうだが、取引が終わり次第すぐさま駆けつけてくれるとは言っていたので、生まれた赤ちゃん達を一緒に抱いてくれるだろうと思っていた。
だが幸せというのは思わぬところで崩れる。分娩中、雅の様態が悪化したのだ。原因は不明。そして医師の判断はこうだった。
双子の命のうちどちらか一方しか助けることは不可能。そして男の子の方は女の子に比べて虚弱であり、生存確率は女の子の方よりも低い。よって母体と女の子の救命を優先する。
目覚めた雅の腕に抱えられていたのは、弱弱しく泣く赤子一人だった。医者は全力を尽くしたといって頭を下げた。もう一人は? そう問いたかった。雅は今日二人の子供に恵まれ、そして幸せな生活の続きを辿るはずだった。それがなぜこんなことに? 紛れもなく、自分が一人の命を摘んだのだ。我が子を。彼女は自分を呪った。二人の子供を健康に産むことすら叶わなかったことを。同じ境遇の人間などくさるほどいることは彼女にも分かっていた。だがそんなことは関係のないことだった。ただただ自分が憎かった。二人分の名前を用意していたことに軽蔑さえした。
そこから幸せが壊れるのはあっという間だった。情緒不安定となった雅は精神科を受診するまでに精神を病み、支えようとしていた夫はそれを支え切れるほど強くはなかった。そして最終的に雅に残されたのは、たった一人の娘だけだった。本来なら男の子につけようとしていた名前を、その怜という名前を彼女につけてしまったのは彼女をも呪おうとしていたのかもしれない。心のどこかで、彼女が男の子の命を食っていたような気がしていたのかもしれない。そんなことあるはずもないのに。
ただ、怜は優しい女の子だった。それと同時に自己主張の薄い女の子だった。MEという絶対的な基準と法則が世界をまとめ始めた時、そして彼女がMERであると判明した時、雅はやっと心を取り戻し始めていた。だからこそ雅は、怜がMERとして優秀に育てることに執着した。
この世界はMERであれば、豊かな生活が保障されるようになっていったのだ。それはMEの発見の前後の世界を知っている雅達のような親世代が非常に痛感していることだった。雅が名前という形で怜を呪ってしまったことへのせめてもの贖罪として、決して安くはない御縞学院の授業料を捻出しながら慎ましく暮らしていた。
だが一年ほど前、怜が学院の特待生に選ばれた頃から状況はまた一変した。
学院からいくつかの実験への協力を依頼されたのだ。NORであり、ME研究についてのど素人である雅にとっても危険であるように思える実験ばかりであった。最初のうちは雅もその実験への怜の参加を拒否していた。ただ雅はMERとして、怜に豊かな生活を送ってほしいと思っているだけだったからだ。別に研究に参加して世紀の大発見をしてほしいとも思っていなかったし、戦闘員として、絶対安全武力戦争の英雄となってほしい訳でもなかった。ただMERがNORを超える工業的能力を持つことで、非常に発展した科学の元で回っている《学区》の中で賃金的な優越があることは確かであった。MINE操作師の資格さえ持っていればその特権が得られるこの世界で、少しだけ、他人より幸せになってほしいと思っていただけだったから。
雅の元に能美と名乗る人物が現れたのがことの発端であった。彼はこう言った。怜にはパーソナリティーに不安定要素、つまり欠陥があると。今後このままMERとしての訓練を進めても|MINE操作師(エクスキューショナ―)資格を取ることが厳しいだろうと。この状況を打開するには、分離実験なる実験に参加し、新たなパーソナリティー情報の獲得が必要であると。そして幸いなことに、彼女にはこの世の日を見ることなくついえた双子という存在のおかげで、新たなパーソナリティーとして彼女の兄をモデルにすることでより確実な実験遂行が見込まれると。
雅は絶望しそうになった。なぜここまで幸せから逃げられてしまうのだろうと。ただ、雅は怜に普通のMERとして普通の道を歩んでほしかっただけなのに。歩めたはずなのに。
そして結局、その実験に参加することを承諾してしまったのだ。雅が決めたことに、怜は逆らわない。それは怜が優しいと同時に自己主張をしない子供だったからである。
実験の内容はシンプルかつ残酷なものだった。人格の解離は主に幼少期の精神的暴力によって引き起こされ、その状況を疑似的に作り出すために、雅にはある制約がかけられた。それは娘としての怜には自信や尊厳を失わせるように働きかけ、息子としての怜には逆に働きかける。そうすることで、怜は息子としての新しい人格へシフトしていき、果ては両方の人格が同次元にまで拡張されるということだった。
そうやって生活していくうちに、雅は傷つくと同時にある快楽のようなものを感じ始めていた。失ったはずのもう一人の我が子を取り戻したかのようなそんな錯覚に囚われ始めたのだ。自分が醜く、腐っていくのを雅は分かっていた。それでも、怜のためなのだと、実験に協力し続けたのだった。
* * * * *
話し終えた雅は瞳に涙を浮かべていた。そして香子はそれを慰めるべきなのか、叱咤すべきなのか判断しかね、ただ黙っていることしかできなかった。
「これが私がなぜあの学院に協力してこのような状況に陥っているのかという原因と理由の全てです」
雅は視線を落としたまま言った。だが香子はまだ聞けていないことあることに気づいた。
「もうひとつ聞いてもいいですか~? 世界樹の鍵って一体何のことですか~?」
「私には……よくわからないのだけれど……その実験にも参加してほしいと言われたわ。能美という人の話では『万物のすべてを開く鍵』とかで……分離実験にも必要になるからと言っていたわ」
「万物を開く……鍵?」
それが何を意味しているか、この時の香子には分からなかった。だが、後に最悪の形でその真意を知ることになるのであった。
どうもkonです。
今回は雅と怜についての回想となりました。
分離実験の内容に関しては能美の説明でまだ不十分なところもあったので、あえて少し重複させて書きました、すいません。
次回は再び悠十の視点に戻って戦いの続きとなります。
お見逃しなく!




