(8)
続きです。
読まれた方は(必ず、と言いたいぐらい)コメント、ブクマ等をお願いします。
作者が小躍りして喜びます。
では、どうぞ!
階段で五階まで駆け上がるとさすがに息が切れる。オレはエレベーターから出てきた香子の姿を捉えた。彼女はやはり蘇芳の部屋に向かっている。
そして香子は蘇芳の部屋の前に辿り着くとドアに何かを取り付け始めた。オレは嫌な予感がして足を早めた。
「香子さん何を……」
香子の背後から声をかけると、彼女は指を唇に当て、静かに、と唇の動きで伝えた。
彼女がやっていたのは間違いなく盗聴だった。なぜ蘇芳の家の中を盗聴する必要があるんだ? 彼女は自身を内なる保護者と呼んでいた。学年長として学園の生徒を生徒として守る。それが内なる保護者ではないのか?
「踏み込んでみなきゃ分からないこともあるんだよ〜?」
オレの心を読んだかのように香子は言うと、簡易盗聴器のイヤホン部分の片方をオレに差し出した。
オレは一瞬迷ってそれを受け取る。
『さっき怜の友達に会ったわよ』
『……うん』
『学校で仲良くなったの?』
『……うん』
『へぇ、そうなの。良かったわね』
『……うん』
『でもね、怜。あなたは御縞学院の生徒でもあるのよ? それは、分かってるわよね』
突然に母親の穏やかな口調が一変する。
『あの女の子、学年長よね? 気をつけないと、学院の情報が漏れたりしたらどうするの? 学院にはお世話になってるんだから、期待を裏切るようなことしちゃダメよ。お兄ちゃんが悲しむわよ』
『……ごめんなさい』
『お兄さんならきっとあなたみたいに学園の友達なんかと仲良くしないで、学院の研究をもっと手伝ってたかしらね。お兄さんならきっともっと早く世界樹の鍵の適合実験に成功してたかしらね』
『……ごめんなさい』
『そういえば学院が情報提供をするようにおっしゃってたオダユウト、だったかしら? その生徒のことは分かったの?』
『……今日来た友達の中に……いた……』
『ああ! あの男の子ね? そう? やっぱり凄いわね。あなたは私の自慢の息子よ、怜。どうしてこんなに兄妹で違うのかしら? 見習わなきゃダメよ怜』
そこにあったのは狂気だった。
オレは盗聴器を外して香子の顔を見た。
「蘇芳って兄がいるんですか? 同じ名前の?」
「いや〜? 怜ちゃんは同名の兄どころか一人の兄弟姉妹のいない一人っ子だよ〜」
香子が言うことが本当ならば、蘇芳とその母親の会話は完全に破綻している。
蘇芳の母親は「兄」という存在と「妹」という存在の二つの存在を蘇芳怜という一人の人間の中に見ているのだ。
そんなのどう考えたって異常だ。蘇芳がもし女性として生まれ、それに反し男性として生きたいと願って、それを認めたが故に母親が蘇芳を「息子」として呼んだならそれは何も間違っていないと思う。
だけどもし、母親が男性としての存在と女性としての存在を押し付けたのなら、それゆえに蘇芳が自分という存在を見失っているのなら。それゆえに「どちらでもない」なんて哀しい言葉を吐いたのなら。
それはきっと間違っている。いや、正しいか間違いかなんて問題じゃない。オレは神じゃない。善悪を判断する者ではない。オレはオレの意思でその現実を否定する。
「香子さん離れてください。このドアぶっ壊して部屋に入ります」
「入ってどうするのさ〜?」
「蘇芳を助けるんです」
「助ける〜? どうやって〜?」
「それは……」
「考えなしに飛び込んでいったら〜逆効果になるかもしれないでしょ〜? だったらもう少し話を聞こうよ〜。それにもう少し聞けば御縞学院が企んでること、分かりそうじゃな〜い? ゆうくんも無関係じゃないみたいだし〜。この前の暴走事件のことだって何か分かるかもしれないんだよ〜」
「で、でもこんなの聞いて冷静にしてろって方が無茶ですよ。何か手遅れになるようなことが起きる前にーー」
そこまで言って、オレは背後に気配を感じ、言葉を飲み込んだ。振り返るとスーツ姿の巨漢が二人立っていた。
「あんたらは……」
そういったオレの腹にその巨漢の一方の拳が食い込む。堪らず倒れこんだオレをもう一方の男が押さえつけてきた。
「ゆうくん!」
香子は軽やかな動きで地面を蹴り、オレを殴った方の男に飛び込んでいった。男は下衆な笑みを浮かべると大きく拳を振るった。
しかし香子は拳を避け、なんと男の腕の上を駆け抜け、コンパクトなフォームで男の顔を蹴り飛ばした。アパートの廊下に転がった男を見て、オレを押さえつけている男がオレの頭を片手で握り、持ち上げると、拳銃を取り出してオレのこめかみに当てた。
「抵抗を止めていただこう」
「てめぇら一体何なんだよ!? 」
オレは掴まれた頭の痛みに耐えながら叫んだ。すると香子に蹴られて転がっていた男も起き上がり、拳銃の銃口を香子に向ける。
「君たちこそ一体どなたなのか教えていただきたい。下手に抵抗をしないでもらえた方がこちらとしても弾丸が二発分節約できて助かる」
「へぇ〜。御縞学院の人って結構おっかないんだね〜?」
「いや、本当に、勘のいいガキというものは非常に不快なものだ」
オレの頭を握る手にさらに力が入る。思わず呻き声が漏れる。
「ところで下にいた娘も君たちの知り合いかい?」
ブチッ
オレの中の何かが切れた。
* * * * *
「やあ」
クロノスは真っ白な世界で膝を抱えて座っていた。
「ずいぶんとまぁ……怖い顔をしているね、ユウ」
「クロ。お前の力で何ができる?」
「時を関することなら何でもできるさ。まぁユウがそれを使いこなすことができるかどうかは別だけどね」
「そんなことは関係ない」
オレは座り込んでいるクロノスを見下ろす形ですぐそばに立つ。
「やらなきゃいけないことがあるんだ」
「それが記憶を失うという代償を伴っても」
「そうだとしても、オレが無力のままじゃまた失うかもしれない。自分も守れない。誰も守れない」
クロノスは真顔でオレを見上げた。
「ならば与えよう、人間」
――刻の代償をもって、怒れる汝に、刻を歪める指を与えん。我の口づけをもって契約の証となす。
そう言ってクロノスはオレの右手の指先にキスをしたのだった。
* * * * *
「放せよ」
オレは低い声で言った。
「状況を正しく理解していないのか? 君は今完全に封じ込められてるんだよ。武器の一つも持たないで何が――」
「うるせぇよ」
オレは男の言葉を遮って言うと、右手で拳銃を強く払いのけた。すると拳銃は銃身の中程でポッキリと折れたのだ。
「な、なんだ貴様! 何をした!?」
男は恐怖の表情を浮かべオレを放した。
クロノスが「刻を歪める指」と呼んだそれはその名の通り時を歪める、すなわち触れたものの時間軸を歪めるということらしい、ということオレは瞬時に悟った。
つまりオレが先ほど払った時に触れた拳銃の一部分に対する時間軸は歪み、そしてそれと空間的に繋がっている拳銃の触れていない部分と時間軸とのズレが発生した。そうなると、時間軸の異なる物体同士は干渉が出来ないために、空間的な繋がりが切れる、すなわち中ほどで折れたわけだ。
「オレが誰だろうが、オレが何しようが、てめぇらに教える必要も義理もねぇ。ただオレの質問に答えろ」
すると香子に拳銃を向けていた男が銃口をオレの方に向け直すと、間髪入れず引き金を引いた。
視界が一瞬水色を帯びる。
『弾丸がオレの額を貫いた』
そして視界が元に戻るとオレは額に真っ直ぐに飛んでくる弾丸を右手の指で受け止める。時間軸が歪められて運動エネルギーの統合性を失い、ひしゃげて歪な形になった小さな金属塊を投げ捨てた。
すると香子が銃口がオレを向いている隙をついてはその男をあっという間に制圧する。オレは銃を砕かれ呆然と立ちすくむ男を睨んだ。
「緋瀬に何をした!? てめぇらは何者なんだよ? 御縞学院の何なんだよ!?」
オレは答えない男を左手で殴り、押し倒すと右手を手刀のような形にして男の首すれすれの地面に突き刺した。
「早く答えろ。別にてめぇの首を裂くことは簡単だ。だがそれじゃあオレにもてめぇにも得がねぇだろ?」
「……我々は御縞学院の暗部組織だ。主に学院生の監視を行っている。そこに君たちが現れたので、情報守秘の為に拘束しようとしたまでだ」
「緋瀬は……緋瀬に何かしたのかって聞いてんだよ!」
「下にいた娘は睡眠剤で眠ってもらっている。怪我は一つもさせていない」
オレはその言葉を聞いて大きな安堵の息をついた。
「それだけ分かればオレはいい。香子さん、そっちはどうですか?」
「大体聞きたいことは聞けたからいいよ〜」
オレはその男から離れた。
「とっとと失せろ」
「殺さなくていいのか」
「てめぇらを殺して何になるってんだよ」
「……一つだけ聞いてもよいか」
「なんだよ」
「貴様の名前は……オダユウトではないか?」
なんなんだ、オレのことを知っている、いや、御縞学院にオレの情報が伝わっているのか?
「そうだけど。それがどうかしたのかよ」
オレは平静を装って答えた。
「そうか……ならば貴様が記憶操作ということか……」
男二人は背を向けると階段を降りて消えていった。
御縞学院。道化騎士。世界樹の鍵。そして記憶操作。
オレは己の不安と混乱を写したかのような新月の夜を仰いだ。
どうもkonです。
今回は結構書きながら悩むことが多かったです。蘇芳と母親との会話とか、クロノスの「刻を歪める指」とか、表現する言葉がなかなか見つからなくて(笑
そして今回はラストにやっと記憶操作というタイトルの回収をさせていただきました。
まだまだ回収しなきゃいけない伏線とか描かなきゃいけないエピソードとかがいっぱいありますが、是非気長に付き合ってくださいね。
では次回もお楽しみに!




