(7)
続きです。
「ここ……で合ってるのか?」
オレは端末のマップの住所と現在地の住所が一致していることを確認すると目の前の人気のないアパートに視線を戻した。
とりあえず郵便受けの前に立って教えられた部屋番号を探す。
「五〇二……これか?」
確かに五〇二の郵便受けには蘇芳というステッカーが貼られている。おおよそ間違いないだろう。時計は九時二〇分過ぎを指している。集合時間は一〇時。若干早い気もしたが、オレはエレベーターで蘇芳の部屋がある五階まで上る
それにしたって本当に蘇芳の家に上がっても平気なんだろうか。蘇芳はあまり他人と関わり合いを持ちたくないように見えた。ましてや自分の家に他人を上げるようなタイプだとは思えなかった。
(先に入って嫌そうだったら緋瀬と香子を連れて帰ろう……)
オレは部屋の前に着くと、表札が合っていることをもう一度確認してインターホンを押した。
『……どなたですか?』
一週間ぶりに聞いた蘇芳の声だった。
「クラスメートの緒多だよ。入っても大丈夫か?」
『……平気。……鍵は開いてるから勝手に入ってきて……』
オレは言われた通りにドアを開けて部屋に入る。当の蘇芳本人が見当たらないが、とりあえずリビングで待つことにした。
広いとも狭いとも言えないが、家具以外見えるところに物がほとんど置いていないせいか、がらんとした印象を受ける。オレも人のことは言えないが殺風景な部屋だった。ポスターも無ければテレビも無いし、小物も置いていない。ただ質素なソファがぽつんと置いてあるだけ。ちらりとキッチンを見やるが、冷蔵庫と電子レンジとコンロとゴミ箱があるだけ。食器も全てぱっと見で分からないよう食器棚にしまわれてしまっていているのか、乾燥させているものすら見当たらない。
すると廊下の方でガチャリとドアが開く音がする。
「あ、蘇芳。勝手に……」
目の前の光景にオレは上がらせてもらってるよ、という言葉を飲み込む。
ドアから出てきたのは蘇芳だった。ここは蘇芳の家なのだからそれは全く問題ではない。問題なのは蘇芳の格好だ。あの臙脂色のパーカーは着ているが、下にTシャツも下着も付けていないし、下半身に至っては、パーカーの裾でわずかに隠れているだけで、文字通り何も身につけていない。蘇芳はスレンダーな体型をしていたが僅かに濡れた白い肌が色っぽく見えてしまうし、いつもはボーイッシュな髪型も今はしっとりと湿って、女性らしくなっているせいで余計意識してしまう。
ふと我に帰ったオレは急いで視線を一八〇度回転させる。
「シャ、シャワー浴びてたのか、蘇芳?」
我ながら間抜けなセリフである。
「……そう。……入らないと気持ち悪いから」
蘇芳は何も気にしていない風な口調でそう答えると、髪の毛をタオルで拭きながらオレの前に現れた。
「も、もうちょい隠してくれ!」
オレは二、三歩後ずさりながら目を手で覆った。
「……隠す必要性がない」
「いやいや、十分あるだろ? だってオレは男で、お前は……」
「……僕はどちらでもない」
「は?」
オレは言葉の意味が分からず、いや、単語の意味は分かるが、その言葉が真に指す意味が理解できず、また腑抜けたセリフを吐いてしまった。
目を覆っていた手をどけると蘇芳が後ろ向きになって下着を履いていた。
しかしそれは自分にも見覚えのあるような男性用の下着だった。しかし少なくとも先ほどちらりと見えてしまった蘇芳の身体は確かに女性のものだった。オレは訳が分からなくなって、とりあえず蘇芳が服を着終えるのをただ黙って待っていた。すると蘇芳の方から話し始める。
「……緋瀬さんも葵さんも来るって聞いた……」
「あぁ、そうだよ。来週試験があるから班のメンバーで勉強会しようって」
「……母親が七時半頃に帰ってくるから……それまででもいいかな」
「もちろん。蘇芳の都合に合わせるよ」
すると蘇芳はこくりと頷いて、いつものようにフードを目深にかぶった。着替え終わった蘇芳はパーカーにジーンズだけというボーイッシュな格好で、先ほどの「どちらでもない」という言葉が余計に意味深に思えてくる。
しかしオレは他人がこれ以上とやかく言う事ではないことにやっと気付いた。自分の性別を自分で決める。それは当たり前のことだ。生物学的にどうであろうが、本人が生きたいように生きればいい。
オレはやっと頭の整理がついたところで、思い出したように話し始めた。
「そういえば、もう身体は大丈夫なのか? この前のアレで入院してたって聞いたんだけど」
「……うん。……もう平気」
「災難だったよな、お互い」
「…………」
蘇芳は何も答えない。
「もしかして、気にしてる?」
オレは苦笑して見せながら言った。
「お前が気にすることじゃないよ。《道化騎士》とかいうウイルスが仕込まれてたらしいし、蘇芳がどうこうとかいう問題じゃなかっただろ?」
「…………」
「まぁお互い無事だったんだから良しとしようぜ? チームメイトとしてこれから一緒にやってく訳なんだからさ」
「……緒多くん」
「うん?」
「……君は少し……警戒が緩いと思う」
「警戒? ははは、なんでオレが蘇芳を警戒するんだよ?」
オレが笑って返すと蘇芳はオレに正対したかと思うと、素早い動きで一歩踏み出した。
「……もし僕が本当に敵だったら、今頃君は……どうなってるかな?」
オレの首筋に当てた人差し指を離しながら蘇芳が放った言葉に背筋が凍りつくような気がした。
「その時は~あたしが怜ちゃんを処理するから大丈夫~」
突然声がした。声のした玄関に立っていたのは香子だった。手を銃のような形にして蘇芳の方へ真っ直ぐに向けている。
「もしこの拳銃が本物だったら~、今頃怜ちゃんはどうなってたかな~?」
今し方蘇芳が言ったセリフを彷彿とさせるセリフを今度は香子が言い放った。その後に続いたのは長い沈黙。三人とも何も言えない。オレはただただうろたえ、蘇芳と香子の間には視線による闘争があった。
息が止まりそうな長くて重い沈黙を破ったのは、インターホンの音だった。
蘇芳がインターホンに応えるためオレから離れると、香子も手を下ろした。
「おはよ〜、ゆうくん」
「お、おはようございます……香子さん」
「ちゃんと勉強道具持ってきた〜?」
普通の言葉。普通のセリフ。普通の会話。何事もなかったように話す香子にオレは違和感しか感じられなかった。異常の中に普通がある、という異常。蘇芳もインターホンに普通に答えている。
この異常は香子が学年長だから生じるのか。蘇芳が塾生だから生じるのか。少し違う気がする。
ぼんやりと分かるのは彼女たちがこうした異常に慣れているということ。そしてオレの認識が甘いということ。彼女たちはオレなんかより壮絶な何かを経験したことがある、あるいは経験している。
「ゆ、悠十くん、ど、どうしたの?」
蘇芳の後からリビングに入ってきた緋瀬の言葉にはと我に帰る。
「いや、何でもないよ」
オレは精一杯笑顔を作ってみせる。そうだ。オレは彼女との約束を果たさなくてはならない。前の「俺」が彼女とした「約束」を思い出すという約束。そのためには自分の身ぐらい自分で守れなくてどうする。
「じゃあ〜、勉強会始めようか〜。怜ちゃん、テーブル使ってもいい〜?」
「……構わない」
二人とも緋瀬の前では「普通」でいるつもりらしい。
「ゆ、悠十くん、わ、分からないところあったら聞いてね」
照れ臭そうにそう言う緋瀬に、ありがと、と返してオレはテーブルの席に着いた。
* * * * *
自分の身は自分で守る。しかしそれ以前に問題があった。
「も、もうギブ……」
オレはテーブルに突っ伏してそう溢した。
「え〜、ゆうくん、まだ試験範囲全部終わってないんだよ〜?」
勉強を始めて、約九時間が経ち、七時を回っていた。ただでさえ勉強が出来ないオレが、超記憶の持ち主、学年長、塾生に囲まれて昼飯を食べた時間以外ぶっ続けで勉強したら、あっという間に脳がパンクしてしまう。生まれて初めて、いや、目覚めて初めてこんなに勉強したと思う。
「だ、大丈夫、悠十くん?」
「あんまり……大丈夫とは言えないかな」
蘇芳が時計をちらりと見やる。
「……申し訳ないんだけど、あと三〇分ぐらいで母親が帰ってくるから……」
「あぁ、そうだったな! ほら、緋瀬、香子さん、早く出ようぜ」
オレは勉強道具を手早く片付けて、緋瀬と香子に言った。
「もう〜、ゆうくんは都合がいいな〜」
香子は唇を尖らせたが、渋々と片付けを始め、それを見た緋瀬も帰り支度を始める。
数分後、オレたちは帰り支度を終えて玄関に立っていた。
「じゃあ、蘇芳、月曜日に学校でな」
「そういえば初めて学校で四人揃うね〜」
「そ、そういえばそうだね! 最初は香子さんが遅刻してたから」
「ごめんち〜、ごめんち〜」
オレたちは蘇芳に礼を言うと、部屋を出て、エレベーターに乗り込んだ。
「あーづがれだー」
「ゆうくん試験やばいんじゃな〜い?」
「うっ……」
「ミィちゃんと怜ちゃんは基礎は出来てるけど〜、ゆうくんは基礎単語分からなすぎ〜」
「が、頑張ります……」
オレは頭を抱えたくなりながらも香子の言葉に答えた。緋瀬も苦笑いをしているあたり、かなりオレの現状はやばいのだろう。
「勉強しよう……」
自分に言い聞かせるように呟いたとき、一階に到着し、エレベーターの扉がするすると開く。エレベーターを降りて郵便受けの所に出ると、三〇から四〇代くらいの女性が立っていた。その女性はこちらに気づくと軽く会釈をした。オレも会釈を返すと、女性はオレたちの顔を見て口を開いた。
「あの……もしかして、学園生の方ですか?」
「そうですけど、どうかされましたか?」
「あ! もしかして〜怜ちゃんのお母さんですか〜?」
「はい。いつも怜がお世話になっております。怜が友達を家に呼ぶなんて珍しいですから、家がみすぼらしくて……お恥ずかしいです」
「いえいえ! そんなことないですよ。こちらこそお邪魔しました」
「じゃあ、気をつけて帰ってくださいね。もう日が落ちていますから。これからも『息子』をよろしくお願いします」
そう言って蘇芳の母親はエレベーターに乗ってもう一度会釈をすると扉が閉まった。
聞き間違いかと思った。しかし蘇芳の母親は確かに「息子」と言ったのだ。
「ゆうくん」
「はい?」
「ミィちゃん連れて先に帰ってて〜」
「何か忘れ物ですか?」
「ちょ〜っとね〜」
そう言って香子はエレベーターに乗った。
「か、香子さんどうしたのかな?」
「ごめん、緋瀬」
オレはもう閉まってしまったエレベーターを見つめながら緋瀬に言った。
あの二人を二人っきりにすることにオレは嫌な予感がしたのだ。ただの忘れ物ならいい。だがもし何かあったら。もうこれ以上自分の知らないところで何かが進行して欲しくなかった。オレには知る義務がある。何が起こっているのかを。
オレは緋瀬を残して古い階段を駆け上がった。
どうもkonです。
あまり喋らない蘇芳ですが、彼女(彼)のストーリーも丁寧に書いていこうと思います。
コメント、ブクマ等よろしくお願いします。
次回もお楽しみに!




