(6)
今回から本編に戻ります。
「あいたた……」
身体のそこかしこにズキズキという痛みを感じながらベッドから降りる。今日で入学式から一週間が経った。
あの《道化騎士》とやらのせいで蘇芳が暴走状態になった事件の後、マスコミが騒ぐこともなく、春特有の忙しないながらも穏やかな日々が続いた。
オレはいつものようにヒサに作ってもらった朝食を食べ、家を出てバスに乗った。窓の外で右から左に流れるビルの群れの中に一際大きなビルを見つける。
御縞学院。MERのための塾の中でも最大手と評される有名な会社である。この前暴走の後、蘇芳は自身が所属するこの会社の系列の病院で療養と監視を受けているらしい。
オレはあの日夜までこそあの蓼科医院にいたものの、深夜にはヒサに支えられながらもう自宅に戻っていた。学校にも次の日から出席している。
しかし蘇芳はこの一週間一度も顔を見せていない。相当療養が難航しているのか、それとも他に何か原因があるのか。
いずれにしろ、蘇芳が一週間学校に来ていないという事実は変わらない。クラスメートととの溝が深くならなければいいのだが。
バスはいつもと同じ道を辿って学園の前に止まった。ぞろぞろとオレと同じ制服を着た者たちがバスを降りていく。そして校門を通り過ぎようとした時、前方からニコニコと笑いながら全速力で走ってくる少女の姿が目に入る。
「ゆ〜う〜く〜ん!」
助走の勢いのままにジャンプしたその少女はオレにダイブする格好になる。そして無論、全身痛のオレに彼女を受け止めるほどの力があるわけもなく。
「ぐあぶっ!」
奇声としか言いようのない言葉を発しながらオレは硬い地面に押し倒された。
痛い。非常に。それはもう。言うまでもなく。
「おはよう〜ゆうくん」
「おはようございます……香子さん」
少女はオレを座布団にして正座しながらニコニコとしている。いたずらに成功した子どものような顔だ。というか一週間全身痛が治らないのは二〇パーセントぐらいこの人のせいな気がする。
葵香子。栗色の前下がりボブがトレードマークで、適性テストにおける最優秀者であることと同時に学年を代表する学年長であることを示す青いカーディガンを制服の下に着たその少女は奔放な言動とは裏腹にまさに「天才」だった。
座学の小テストも塾生も含めたクラスメート達が苦戦するなか、全回満点を取り続けているし、一般演習で毎回行われる基本生成速度も学年一位を維持し続けている。
しかも塾には通っていないとなると、地の才能が桁外れに高いか、天才的に努力の才能があるのか、いずれにしても「天才」である。
学年長の名は伊達じゃないということか。
しかし、その「天才」とは程遠い、おおよそ「劣等生」と呼べる種別のオレに対して彼女はいやにフレンドリー、あるいはオープン、あるいは「個人的な興味」がある、らしい。
何度も言うことだが、オレには最後のクリスマス以前の記憶は無いし、それと同時にオレに関する記憶・記録もまたほぼ全ての人間・記録媒体に残されていない。今のところ一人の例外を除いてそのことは成立している。
「ちょ、ちょっと香子さん! ゆ、悠十くんまだ怪我が完治してないんだし、そんな風に乗っかっちゃったらダメだよ!」
オレは仰向けの状態から首を反らせてその声の主を見た。
長い黒髪を先の方で小さい赤いリボンを使って留めている。そして瞳は鮮やかな緋色。
「おはよう、緋瀬」
「おはよ〜、ミイちゃん」
オレは仰向けのまま、香子はオレの上で正座したまま、その少女、緋瀬未来に言った。
「お、おはよう……じゃ、じゃなくて香子さん早くどいてあげて!」
あまり背の高く無い香子の腕を引っ張るこの少女こそクリスマス以前のオレの記憶を保持し続けている「例外」である。ただし、その真偽は定かではないし、真偽を判断する材料もない。真であったとしてその原因は不明。
その「例外」たる緋瀬と以前の「俺」はある重要な約束をしたらしいが、オレがその記憶を取り戻すまで待つと彼女は言った。
そしてこの一週間の間に彼女と一緒に過ごすなかで、緋瀬はオレの記憶が戻るまでは以前の「俺」の話はしないと言った。悠十くん自身で思い出して欲しいから、と彼女は言ったのだ。
確かに以前の「俺」がどんな人間でどんな人生を歩んだのか、ということには興味があったし、それを知れば記憶を失った過程もいくらか明らかになるかもしれない。
それでも。彼女が、オレ自身で思い出すことを望むなら、オレはその願いを遂行すべきなのだと感じたのだ。それが一度嘘をついて彼女を傷つけたオレができることだから。どんなに絶望的でもオレにはその望みを追う義務がある。
「とりあえず、香子さん、そこからどいてもらえると助かります」
オレは痛みを心頭滅却して耐えながら言った。
「えぇ〜、ゆうくんってば意外とケチ〜」
不満を垂れながら香子はオレの上からどくとぱんぱんとスカートをはたいた。いくらか理不尽である。オレと緋瀬、香子は三人並んで歩き始めた。
「怪我が治るまではちょっと勘弁してくださいよ」
「じゃあ怪我が治ったら毎日ダイブしていいの〜」
「いや、さすがにそれは……」
「そ、そうですよ! お、女の子が男の子にダイブなんてするものじゃないよ!」
「別に性別は関係な……」
「悠十くんはちょっと静かにしてて!」
緋瀬もまた少々理不尽である。
そんな日常的、もしくは阿呆らしくもある平和なやりとりを続けているうちに一〇組の教室に着いた。
この日常がずっと続けばいいとオレは思っていた。
* * * * *
「突然だが、来週実力試験を行う」
講義が終わるまであと五分というところで篠原先生が言った。一瞬クラスの空気が凍りついたかと思うとざわめき始める。
「いちいち騒ぐな。この実力試験の目的は来月の定期試験の前に皆の実力を把握するためのものだ。成績には反映しないが、チームで赤点の者が出た場合、そのチームメンバー全員には再試を課す。再試が嫌なら、チーム内で勉強を教えあうなどして試験に備えること。では少し早いが講義はこれで終える」
そう言って篠原先生は職員用のポッドを下ろして消えていった。
その瞬間クラス中のチーム達がスケジュール調整をし始めた。
「ミィちゃん、ゆうくん、あたしたちも勉強会やろ〜?」
「え、えっと、あたしは……」
緋瀬は少し答えづらそうだった。おそらくあの記憶力がバレるのが嫌なのかもしれない。すると香子がそっと緋瀬に耳打ちした。
「だ、ダメです! わたしも行きます!」
何を言われたのか、緋瀬は顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「ゆうくんはもちろん来るよね〜、一番赤点取りそうなのゆうくんだもんね〜」
「はい……行きます……」
断れる筈もない。オレはしぶしぶという顔をしながら答えた。
「で、どこで勉強会開くんです?」
「う〜ん……あ! そうだ〜、いいとこあるじゃ〜ん」
すると香子は今朝と同じいたずらっ子のような顔をした。
「怜ちゃんのお家〜!」
「怜って……蘇芳ですか?」
「そだよ〜。怜ちゃん学校ずっと来てなかったけど、明日から来れるって聞いたし〜、授業聞けてないから教えてあげないとかわいそ〜でしょ〜?」
「でも、蘇芳は家に人をあげるタイプではないと思うんだけど……」
「あ〜、大丈夫、大丈夫。学年長の家庭訪問って名義にすればいいから〜」
「それ職権濫用でしょ!? なぁ緋瀬からも何か言ってく――」
するとすかさず香子が緋瀬に耳打ちをしたかと思うと、さらに顔が赤くなった緋瀬の周りにお花畑のエフェクトがかかる。
「ふぇ、ふぁい、いいとおもいまふ……」
完全に香子のせいでほだされてしまったようで、呂律が回っていない。
「でも、さすがに本人が嫌がってるのに行くのは……」
「大丈夫〜、もうお母さんにオッケーもらったから〜」
「い、いつの間に……」
再びニヤリと笑った香子の表情の裏に何かが隠されている気がしてならないオレであった。
どうもkonです。
今回はゆるーい展開でした。たまにはいいかなと思います。ヒロインたちを魅力的に書く技術が欲しいです。本当に。
次回からは蘇芳怜さんの家に舞台を移しまして、彼女がどういう人物なのか、どういうバックグラウンドの持ち主なのかということについて書いていこうと思っています。バトルが好きなことは少々退屈かもしれませんが、今後の展開にも大きく影響すると思いますので、お見逃しなく。
ではまたお楽しみに!